フォーカス
森美術館〈メタボリズムの未来都市展:戦後日本・今甦る復興の夢とビジョン〉を語る
八束はじめ/太田佳代子
2011年10月15日号
対象美術館
レム・コールハースのアプローチ
太田──コールハース自身がメタボリズムに関心を持った理由のひとつには、非西洋の建築運動であること、そして、世界全体で建築界に起こった最後の建築運動だと位置づけているからだと思います。今日、建築のムーブメントやマニフェストといったものは起こりそうにありません。しかし当時はそれが起こり得ましたし、かつその当事者たちがまだ生きています。コールハースとオブリストは既にロバート・ヴェンチューリやセドリック・プライスらにもインタビューをしていて、日本のメタボリズムもやって不思議はなかった。ところが蓋を開けてみると、アーキグラムやスーパースタジオとも全然違っていたのです。
結局7人のインタビュイー一人ひとりの話の展開によって、戦後から1970年代という日本の現代にとって大事な30年間、ある意味では歴史的なピークとも言える時代に、いくつかの点で非常に深く関わっていることがわかってきました。それは建築以外のさまざまなフィールドを押さえないと見えてこない。そんなわけでリサーチに5年掛かってしまいました。2005年の後も、伊東豊雄さんや原広司さんなど、他にも10人以上の方々にインタビューしましたし。
八束──レムの文章を読んでも、通りいっぺんの勉強やリサーチではなかったことがよくわかります。そういう見方が外国人から出てきたのは、メタボリズムがやはりこれまでの「スタイルとしての前衛主義」では済まないということの表われです。太田さんたちのプロジェクトはスタートしてからインタビュイーのうち3人が亡くなられ、ぎりぎりのタイミングですね。『プロジェクト・ジャパン』を見ても、よくこれだけ調べたなと関心しました。図版もふんだんに使用されています。多いだけではなくて、選択にもひねりが利いている。僕のは予算の関係でそうはいかなくて、これは羨ましかった。
太田──本の構成を始めた当初、コールハースから、建築の外から見た建築の本にしよう、建築写真ばかりが並ぶ本は避けようという強い提案がありました。それは彼のジャーナリストとしての出自も関係していると思いますが、『錯乱のニューヨーク』や『S,M,L,XL』含め、彼は決して建築論をプロパー向けにしません。建築と人間との絡み合いを理解し、表現するのは難しいけれどやる価値がある。私も彼らの事務所や自宅に伺っては「アルバムを見せてください」と言って回り、皆さん協力的にご自分の古いアルバムを開陳してくださいました。時にスキャナーを持参し、膨大な数の写真を持って帰りました。写真の選択や編集は基本的にロッテルダムのAMOでやっていましたが、コールハースは写真の洞察力がずば抜けていて、たとえば黒川さんと三島由紀夫の関係を何枚かの写真で見抜いたりもしました。これまで誰も気づかなかったのに。そこから日本のアイコンと建築の関係、虚構の世界で育まれていった男性像と建築家の関係といったものが見えてきました。
磯崎さんは黒川さんのことを「メディア建築家」と言いましたが、確かに1960〜1970年代の週刊誌を漁ると、黒川さんがすごく沢山登場します。実は丹下健三がその先駆けなんですが、それは当時の社会が求めたアイコンを饒舌に語るひとつの現象だったと思います。逆にいえば、日本では黒川さんがいたがゆえに、世界に先んじて建築家がアイコン、オピニオンリーダーとして社会と関係を築いていたのかも知れません。
膨大な写真の中には、家族写真などのインティメイトなものもあり、そういったものも建築を捉えなおす新しい刺激になることがよくありました。人の生活や生き様から建築が発想されてくるという視点も含まれているわけです。
八束──『プロジェクト・ジャパン』は確かにモノとしてではなくコトとして取り上げるという意識が強いですね。また、それを可能にした時代、運動だったのだろうと思います。今の建築は、再び建築界の中だけでのモノでしかなくなっていると思います。
メタボリズムをどう展示するか?
〈メタボリズムの未来都市〉展のコンセプトは展示の手法などもふくめて、本の編集・レイアウトとどのような関連あるいは差異があるのでしょうか。
八束──本というメディアと違い、どうしても展覧会ではヴィジュアルなものが中心になりますから、今度の展覧会では、自分としては重要だった国土計画の話はヴィジュアルにしにくいのであまり出てきません。ただ、建築作品を美術品のように扱うというよりは、それが都市や社会の一部だということは強調しています。また、メタボリズムと言うと普通は1960〜1970年代を扱うことになりますが、今回は1933年から始まり、21世紀の槇文彦さんのプロジェクトまで入っていて広いパースペクティヴをとっています。それらから何を読み取り、どう答えを出すかは、展覧会に来る人の自由です。また、ヴィジュアルな展覧会ではどうしても見せることができないことは大小のさまざまなシンポジウムで議論をします。そういったトータルな意味で、「シナジー」になってくれるといいなと思っています。
展覧会の大きなストーリーは僕がつくったのですが、基本的には編年体に近いテーマ別展示になっています。森美術館のキュレーターの人たちは本当によくやってくれました。たとえば、大高正人さんが亡くなって事務所をたたんだときに、事務所や大高家から僕が知らないようなものも見つけてきてくれました。カタログもこれほど沢山の資料が載っているのは森美術館としても初めてだということです。
これまでの作品集では見られなかったようなもの、たとえば大阪万博の菊竹さんによるエキスポタワーのオリジナルのドローイングなどもあります。実施策は三本足ですが、オリジナルの計画では4本足で、とりつけられるムーブネットの数もずっと多くて、本当に空中都市のような巨大なドローイングです。黒川さんの東芝館の屋根伏なんかも本当に手描きでよくあれだけ奇麗に描いたというようなものです。これも初出でしょう。
新しい資料としては、映像関係で僕の芝浦工大の研究室の学生たちががんばってくれました。都市計画の提案をデジタルハリウッドの人たちと組んで壮大なアニメーションにしたものが10本ほどあります。これは模型では入れないところまで入って見せていますし、なかなか見物だと思います。また、模型は建築事務所で保管されていると状態がよくないのですが、それを修復したものや、今回リメイクしたものを含め、盛りだくさんの内容です。おそらく二度とできない展覧会でしょう。
建築家ではない人の展示について言えば、川添登さんは出版したすべての本を並べようとしました。実際には果たせなかったのですが。浅田孝さんはプロデューサー時代のプロジェクトを並べています。栄久庵憲司さんについては、本当はキッコーマンの醤油差しとか、ヤマハのピアノとかを並べたかったのですが、それは実現されず、もう少し建築よりの展示になっています。もう少し広い意味でのデザインやプロダクツとの関わりについては、10月のシンポジウムの中で太田さんが現役の通産官僚を招いて話をしてくれる予定があり、そこでまた広がりが出ると思います。
粟津さんについて言えば、非常に絞りにくく、なぜメタボリストだったかがわかりにくいですね。粟津さん自身もスタンスを変えています。しかし、それぞれを厳密に定義しようとすれば、メタボリズムのハードコアだったと思われる人たちですらすり抜けていってしまうし、難しいところです。先ほど言ったように、磯崎さんがメンバーではなかった理由はないと思いますし、粟津さんの代わりに杉浦康平さんが入っていても不思議ではなかったと思います。それほど広がりの大きな運動であったと言えます。
これだけ規模の大きな展覧会ですから、収集された資料は膨大なものになると思うのですが、展覧会で集まった資料はその後どのように保存されるのか、何かプランがあるのでしょうか?
八束──展覧会を機に、これだけ沢山集まった資料をどうするかについてもシンポジウムで議論されます。今回の展示では、ここで出なかったら永遠に消えてしまったであろうという資料もかなりあります。ですから、展覧会が終わったときにそれらを四散させるのではなく、どう残すのかというこの先の問題があります。
建築はドキュメンテーションが膨大にあるので、寄贈されてもお手上げで未整理のものが多くなってしまいます。日本には建築アーカイブスがほとんどありませんし、キュレーションや分類整理できる人もあまりいません。そんな国は先進国で日本だけです。AMOも建築アーカイブのリサーチをしていますね。
太田──デンマーク建築博物館やエルミタージュ美術館のキュレーション用マスタープラン、オランダ建築博物館(NAi)の永久コレクション保存・展示計画など、AMOは建築資料の保存や展示についての提案を何度かしてきました。建築のプロセスから膨大に生まれるものの中で、「何を」保存し、どう見せるのか、これは難しいけれどもおもしろい課題で、世界中の図書館がどんどん生まれ変わっているように、建築アーカイブや建築博物館の構想自体、変わっていくべきでしょう。以前、ロッテルダムのNAiと隣接するクンスタルでOMAの回顧展を同時にやったことがあるんですが、90年代半ばまでを扱った前者とそれ以降を扱った後者の展示物のタイプは見事に違っていましたね。
AMOはOMAの建築の「何に」着目するかの研究を『domus』別冊でやりましたが、建築家自身にも気がつかない建築物の価値というものはたくさんあって、そうした意味では蓄積する、保管する、といった静的な体制だけでなく、むしろ建築資料の価値やドキュメント方法を不断に見なおし、見つけていく動的な活動もアーカイブスには必要だと思います。しかし、なんといってもスペースの問題が大きい。とくに日本では切実な問題だと思いますが、今も世界の建築大国であり続けているわけですから、いいものはポンピドーセンターに寄贈、という時代は早く終ってほしいですね。
八束──建築アーカイブをつくらなくてはいけないという話は政治的で難しい話なのですが、この展覧会はそういった意味で新しい議論のきっかけにもなると思います。