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「直後」のリアリティを世界へ──国際交流基金巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」企画監修者:五十嵐太郎氏に聞く
五十嵐太郎(東北大学教授/建築史、建築批評)
2012年03月15日号
東日本大震災に対する、内外の建築家50人の、避難・仮設・復興に向けたさまざまな提案と具体的な設計活動を世界に紹介する、国際交流基金の巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」が、東北大学を皮切りに始まりました(国内開催東北大学のみ)。ほぼ同時に、パリでも開催され、ついでロシアでの開催も予定されています。自ら被災者でもあるキュレターの東北大学教授五十嵐太郎氏に、同展の企画コンセプトについてうかがいました。
まず、今回の国際交流基金巡回展、「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」開催に至るまでの経緯をお話ください。
五十嵐太郎──東日本大震災で東北大学の研究室が大破して使えなくなり、僕自身が半分、被災の当事者になりました。その後場所がない状態で、いわゆる「漂流教室」のように色々なところを間借りしつつ授業やゼミをしていました。同時に、みすず書房から出版された『被災地を歩きながら考えたこと』にまとめたように、500km程にわたる津波に襲われた沿岸のほぼ中心的な場所にいたので、なるべく多くの被災地を巡るということをしていました。また、僕自身も展覧会で紹介しているように、南相馬市の仮設住宅の集会所の基本設計や、女川の倒壊建物の保存プロジェクトなどに研究室でとりくみました。それまで、研究室ではリサーチが多く、展覧会に関わるということはありましたが、自分たちが主体となって建物を設計したりつくることはしていませんでした。今回、そうしたなかでプロジェクトをやるようになったのは、明らかに震災が僕をとりまく状況そのものを変えたひとつの帰結だと思います。そんな活動をしながら夏までを過ごしていました。
そんな中で、昨年秋、国際交流基金から建築でどういう活動があるのかを紹介したい、展覧会としてまとめられないかという打診があったわけです。
当初国際交流基金としては、アーティストが3.11を受けてどのように作品にしたかというような展覧会を考えていたようですが、リサーチしていくと、アーティストも被災地に入ってはいるけれど、まだ作品をつくるまでにはいたってないという判断があったようです。建築と比べて、アートが作品に反映されるには、自分の問題として捉える時間が必要なのだと思います。また被災地に入っても結局、没になった企画もあり、事例が多く集めることができなかったようです。
今度の建築展で約50組の建築家・プロジェクトを展示しています。展覧会には色々あって、作品やプロジェクトを5つのだけピックアップして、それが圧倒的に素晴らしいから他は見なくていいという見せ方や、いくつかの傾向を10くらいにグルーピングして見せるという方法もあります。今回はそのような方法を採らず、割とフラットに約50組を選びました。つまり、「数が多い」ということを表現しようとしたわけです。阪神・淡路大震災の時と比べると、今回は建築家に様々な活動があって、しかも圧倒的に数が多いというのが特徴です。また、どれも被災者を支援しようと考えて行われていますから、このプロジェクトが良くて、このプロジェクトがいまいちだというような価値付けをしないで、あえて、これだけいろんな組織が動き、さまざまな活動があったということを見せたかった。それはメッセージになってもいます。これは最終的にパネルとして組み立てるまで、やりとりする相手が多い分、原稿や編集のやり取りの相手が増えるのでとても大変でした。
ここでフラットと言ったのは、アーキエイドやJIA東北支部という組織が入っている一方、個人の大学院生も磯崎新さんも参加者のひとりであるということです。つまり、組織でも個人でも、巨匠の建築家でもパネルの数は同じで、それらをフラットに並べるというのが展示の特徴のひとつです。
展示構成そのものに関わることでは、全体を第一段階、第二段階、第三段階と分けています。第一段階というのは緊急避難的な措置です。例えば、ダンボールの家具や布で体育館に間仕切りをつくったり、アーキエイドのような初動でできた組織です。第二段階はいわゆる仮設住宅です。今回はプレファブが足りなかったということもありますが、木造が多く、そこには建築家が介入する余地があり、それらの試みを紹介しています。第三段階は復興計画ですね。これは制作のスケジュール上、昨年11月末に内容をフィックスしなくてはいけなかったので、その時点で実現していたものはひとつもなく、すべてアイデアやプロジェクトになっています。一番最後に七ヶ浜町のコンペ──七ヶ浜町遠山保育所/最優秀:高橋一平が入っていますが、これは実現を前提にしているものなので、ようやくギリギリ建築家の具体的な復興計画を紹介しています。ですから、この第三段階はこれから増えるものです。実際、展覧会に組み込めませんでしたが、第二弾のコンペとして実施された七ヶ浜中学校(小中一貫校構想)/最優秀:乾久美子が続いてます。
タイトルに「直後」という言葉を入れているのは、実はそのこととも関係しています。英語でも「immediately」と入れています。この情報は海外で約2年間回るので、その言葉がないと、おそらく1年後に見た時に最近の情報がないと思われてしまいます。展覧会の内容が古びて見えないように、意図的にそういうタイトルにしています。震災直後に何ができたか、半年というスパンの中でこういうことができた、逆に言うとこういうことができなかったという内容になると思います。段々と時間が経って、直後ではなくなっていきますが、海外の方にとってこの展示は復興計画の最新版をフォローアップするものではなく、地震が起きてから約半年くらいの「直後」というフレームワークで見てもらえたらと思っています。自然災害は国や地域によってまったく違いますが、そういった前提で見てもらえば役に立つものになると思います。少なくとも日本では半年スパンで、建築家がこういうことができた/できなかったということが伝えられる内容になると思います。
国際交流基金からは、海外からの支援を紹介したいという要望がありました。そこで、展覧会の4番目の構成として外国からの建築家の紹介をしています。ベルギーの大学が石巻でワークショプをして提案したまちづくり「石巻建築ワークショップ(IAW)」 や、変わった事例では、アフリカのカーボベルデ共和国で、被災した漁村の日本人を丸ごと引き受け、移住させる日本人村計画も入っていたりします。そのように、海外からの提案を入れていることも特徴です。