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「直後」のリアリティを世界へ──国際交流基金巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」企画監修者:五十嵐太郎氏に聞く
五十嵐太郎(東北大学教授/建築史、建築批評)
2012年03月15日号
選ばれた50組というのはスペース的な限定によるものなのですか。また、選択するに際して設けた基準のようなものはありますか。
五十嵐──50組というのは、展示の面積が200平米くらいで、そこにパネルで割り付けていくと、だいたい50くらいだと計算した記憶があります。この展覧会がユニークなのは、普通の展覧会だとあらかじめ巡回する場所がすべて決まっていますが、これはあてどもなく各国を回っていくということですね。最初にすべて決まっているわけではないということです。展覧会のセットは2セット制作し、ひとつは、最初がパリ、その次にロシア。おそらく、ドイツやイタリアなどもまわるらしい。もう1セットは、仙台で展示した後に韓国で数カ所、その後中国というところまでしか決まっていません。世界の各地からの「開催したい」という要請があった場合、輸送費を負担してもらえれば、デザインした簡単なイーゼルによるセットを送ります。その地域の事情によってはホワイトキューブの美術館だけが会場とは限りません。各国の日本文化会館とか、エクスポの会場とか小学校とか、ホワイトキューブの壁がないような場所でもイーゼルで組んだ自立壁によって展示できるようにしています。また、展示に不慣れな人でも簡単に展覧会セットを組めるようにしてあります。どんな過酷な場所であってもなるべく展示可能にすること、障壁を下げることが求められました。最初から少ない会場で実施するタイプの巡回展であれば、もう少しサイトスペシフィックで、複雑なシステムにするという方法もあったかしれませんが、これはなるべく多く、いろいろなところを旅するのがコンセプトです。
また、展示物を2セットつくったというのも珍しいプログラムだと思います。建築家にも「模型をふたつ作ってください」とお願いしました。それは、今回の巡回展が「2年」という短期決戦のため、2セット制作して海外をぐるぐる回そうというプランだからです。国際交流基金では、10年間くらいかけてまわる展示があるのですが、「2年間」というのはやはり先ほどの第三段階が進んでくるからだと思います。それでも「直後」という表現は強調しておかなくてはいけないと思いました。
ちなみに、もっと大きな枠で言えば、国際交流基金は東北三部作と呼ばれているものを企画しているようです。ひとつは東北の写真展、これは飯沢耕太郎さんが監修していると聞きました。あとは東北の工芸、そしてこの3.11以降の建築ですね。国内でも開催するのは建築展だけです。あとのふたつは海外を回るようです。
国内でやりたいという話は途中で出てきました。国際交流基金が被災地で開催を希望したので、最初はせんだいメディアテークを考えましたが、3月は卒業設計日本一などで埋まってしまっていました。いろいろ検討した結果、ちょうど東北大学に仮設校舎ができて、ギャラリー的な空間があったということ、しかも、展示パネルのひとつに被災した東北大のその後の経過──仮設校舎による教育復興──などがあったということです。会場自体が1/1の展示物になり、辻褄も合います。仙台は国内で唯一の会場です。国際交流基金が海外巡回展を国内でもやる場合、東京以外の会場というのはかなり珍しいみたいですね。
建築家やプロジェクトの選択基準はなるべく多くという感じなので、それほど明確にはありませんが、地元の建築家の割合を比較的増やしています。東京発のメディアを見ると、どうしても東京で活躍している有名建築家の提案が多く、地元の建築家がゼロです。それは雑誌でも展覧会でも同じです。地元の建築家もいて、地道な活動をしていますが、知名度では負けてしまう。仙台で東京発のメディアを見ていると、東北で被災しているのに東京の建築家のアイデアばかりが載っているのは少し奇妙に見えました。ですから、このセレクションが偏っているとしたら、海外からの提案がやや多いということと東北を拠点に活躍している建築家はできるだけもらさないように入れている、ということです。もちろん東京で活躍している建築家も入っていますが、他の展覧会との比重で言うと、地元の建築家が多いのは特徴です。10組に限定するとすべて東京ベースの有名建築家になってしまうかもしれませんが、50組に増やしたことで、海外の建築家と東北の建築家が増量できました。また、四国や九州からの提案も入っています。それは遠くだからということではなく、提案が良いから入っています。今回は僕の知り得る情報で拾えたものを挙げていて、アーカイブ的な網羅性が高いと思います。