フォーカス
震災、文化装置、当事者性をめぐって──「3がつ11にちをわすれないためにセンター」の設立過程と未来像を聞く
甲斐賢治/竹久侑
2012年03月15日号
対象美術館
文化装置が劣化している
甲斐──少し専門的な話になりますが、集団で映像を囲み、わいわいするような場が設計される必要があると、僕はそういう考えのもとにremoで活動してきました。いまの映画館は自由に話すことも許されなくて、クラシックホールみたいになっていて、文化装置として劣化しているようにも思うのです。たとえば、古いフィルムを収集し、そのなかから、ある街が映っているところだけを編集して、あらためてその界隈の公民館なんかで上映会を開くと、おじいさんやおばあさんがワーワーしゃべり出すようなことが起こります。メディアというとなんだか冷たいし、ただ「情報」を運ぶだけのもののように理解されていますが、そんな暖かい空間をつくり出すこともありうるんです。そんな環境を今回の震災を機にさらにつくっていきたいと思っています。人が議論したり考えたりするのに使える場や映像を、どうすればつくれるのかにもともと関心があるんです。
美術館での振る舞いも、本来、一枚の絵を見ること自体が、とても能動的だったはずなのになぜか受動的なものになっているように思えます。それを変えるには、「行政サービス」……まあ、そういう言葉からして問題ですが、サーブする側とされる側の関係性が変わらないといけない。smtの『コンセプトブック』で桂英史さんは、smtは「最先端のサービス(精神)を提供する」と書いています。その「精神」とは、提供する側と提供される側の関係をつねに反転させながら考えていくことだと。だいぶ先を見通していた言葉だと思います。
竹久──でもその言葉だけではうまく伝わらないですよね。
甲斐──なのでそれを実体化していきたいと考えています。サービスを受容する側を主体化するようなプログラムに転換していこうよと。実は内部の学芸員もそう思っている節がある。彼らも提供する側として一生懸命やっているけれど、出しても出してもなにかこぼれていくような徒労感があるんじゃないかな。
竹久──その徒労感はよくわかりますよ。
甲斐──ドイツにNGBK(ノイエ・ゲゼルシャフト・フュア・ビルデンデ・クンスト)という事例があって、一昨年、リサーチに行きました。40年以上前にベルリンに設立された非営利組織で、現在会員数850人。その会員のなかから5人以上のグループになれば、展覧会を企画立案することができます。そして、その企画を年に1回の総会でプレゼンテーションし、通過すれば、展覧会を実施することができます。そのような仕組みで年に5本程度の展覧会をNGBKが持つギャラリーで実施できるのです。そこのテーマは、社会と芸術の融合にあり、設立時の展覧会がなんと「ファシズム」でした。いまでも、とても社会的な展覧会が毎年なされていて、また多くの人材を生んでいて、ベルリンビエンナーレなどに携わるスタッフの半数はNGBKの出身とさえ言われています。そこには到底およばないけど、それを目指してひとまず、市民自らが展覧会を企画、実施する事業「コール&レスポンス」も今年やり始めました。
震災もあったからだと思うのですが、いまは本当に多くの人々がどこか真摯にさまざまな事業に関わってくれています。内部に向けては、市民活動をキュレーションすべきだと言っています。アーティストを選ぶように、優れた市民活動とどう協働するか。協働は責任を持ち合うわけだから支援じゃないんです。相互依存を許容する自立しあう関係なんです。
竹久──それに近いことを私は水戸で個人的に試みています。MeToo推進室(MeToo)の活動です。MeTooは水戸芸術館(水戸芸)の展覧会「カフェ・イン・水戸2008」をきっかけに発足し、その企画運営に関わったのですが、当時は対等な立場での協働といえる関係性ではなかった。私はそのときはその展覧会担当の学芸員という立場でしたが、その立場ではMeTooのメンバーとフラットで率直な関係性が築けなかったので、MeTooが2年目に入ろうというときに一人の市民としてMeTooのメンバーになりました。そして「じゃあ2年目はなにをする?」という話題になったときになにかお勧めはないかと聞かれ、大友良英さんによるYCAMでの「アンサンブルズ」のことを話したら、みんなぜひ大友さんを呼びたい、水戸でなにか一緒にしたいということで合致しました。それでMeTooと水戸芸と水戸商工会議所との連携があって始まったのが「アンサンブルズ・パレード」です。この企画では水戸芸術館現代美術センターが事務局的な役割を担っていますが、頻繁にMeTooと商工会議所とともに全体会議をします。私があらかじめまとめた議題について意見交換し相談しながら、一緒に形づくり、ともに現場を運営するやり方です。3年目はその協働関係がMeTooとのあいだでさらに発展し、「アンサンブルズ2010-共振」という複合的なプロジェクトを共同で主催したのですが、基本的に水戸芸の外で行なわれる展示やイベントの企画運営はMeTooが担い、そのほかにもいろいろな地域の方々が、展示制作や、プロのミュージシャンとの共演、パレード、企画公募など、さまざまなかたちで関われるスキームをつくりました。「アンサンブルズ」をとおして、市民の方々が受け身ではなくて主体的に発言して事を起こし動かす側となるようなプラットフォームを美術館のプログラムのなかで試みてきたつもりです。昨年後半からは、一歩進んで、水戸芸との連携を基本にするというより、MeToo独自の企画の開催に重きが移っています。だんだん、MeToo推進室だからできることをみんなそれぞれが考え話し合ってやろうという雰囲気になってきていますね。
甲斐──そういう活動はすごく重要ですよね。僕のイメージは、もう少し外側からの必然性を重視したものかもしれません。たとえば、みやぎ民話の会という、40年間各地を訪ね歩いて民話を採話している市民グループがあります。記録した民話をまとめて小さな本を出したりしていました。すでに400冊を越えているんです。その活動を、本当に凄いなあと思っていて、その人たちに声をかけて、これまでICレコーダーなどで録音していた民話の音声データをsmtのライブラリーにコツコツと保管し、配架され、貸し出されていくような構造を一緒につくらないかと話し合いを始めています。つまり、smtの外にあるはずの深い動機や必然や切実さを持つグループを見つけだし、そことの協働を目指していて、冒頭でお話しした、smtにもともとあったワークフローをこの2〜3年で一般化させるのが目標です。
竹久──一方で、公共の施設であることが障壁になることもありますよね。公共の文化施設は提供する側、市民はそれを受ける側という、定着した関係性があるから。
甲斐──それをいまリセットしたわけだから大変です。個別に説明したりしています。収蔵品がない美術の入れ物として、メディアやアートを用いた市民活動の拠点とて、アーカイブとライブラリーの仕組みを使って、いわば「コレクション」するようなつもりでキュレーターは動くしかない。支援ではないんだと僕は考えています。
竹久──いわゆる「美術作品」をキュレーションして、見てもらうための活動はどのように考えていますか。
甲斐──それも同じスキーム。この街にどういう必然があって、なぜその作品をキュレーターとして選んで展覧会をつくるのかという説明が必要です。それと同じように、優れた市民活動を招いて一緒にやるということです。
竹久──両方やるということですね。
甲斐──もちろん。ただ、同じ考え方で動くんです。仙台が東北で一番大きな発信力をもつ街として示さなければいけないのは「多様性」だと思います。そうでないと東北にとってなにか息苦しい。ある種の多様性をつくっていくための「変な景色」をとにかく入れなくてはいけない。そういう意味での異物としてのアート、しかも外からも関心を持ってもらえるような発信力を持ったものを考える。一方で、とにかく現状の政策や機関の方針とどう付き合っていくかも重要ですけどね。
この記録をどう使っていくか
竹久──これから「わすれン!」はどう展開していく予定ですか。
甲斐──すごく悩んでいます。まだ記録を続けるべきだと考えていますが、どういうトピックに目を向けるべきかの判断がすごく難しい。それと、これまではただ待っている状態でしたが、沿岸部にも自らビデオカメラを回している人がいるはずで、そういう人を捜索するというプロジェクトを走らせたほうがいいんじゃないかと考えています。これまでも、当事者としてカメラを持っている人にもっと積極的に会いにいけばよかったとは思うのですがやりきれなかった。現地に行って「そういう人はいませんかー」みたいなうまい呼びかけの方法があればいいんですが……、まだ、アイデアはありません。ただ、たとえば、リアス・アーク美術館の学芸員の山内宏泰さんはひとりで写真を1万枚以上も撮ってる。彼は、これから2年かけてすべてにテキストを入れて、自分で出版するといっています。そういう「執拗な人」にうまく会いたいです。
竹久──素材を集めるさきの、活用に関して指針はありますか。
甲斐──今度、3月6日から12日に「星空と路」というイベントをやります。3月11日には毎年なんらかの事業をやるだろうということで、ちょっとロマンティックに過ぎるタイトルですが、10年後でも使える名前として考えました。沿岸部の人と話すと「まとめすぎで違和感がある」「柔らかすぎる」と言われますが、時間の経過にしたがってかたちが変わっていくはずなので。沿岸部でも印象深く語られるあの日の夜の「星空」と、その後の道のりとしての「路」。普段、放送局とスタジオの「3がつ11にちをわすれないためにセンター」が、全館を用い、資料室、図書室、上映室になります。本も震災関連のものを1階におろしたり、さまざまな支援活動をしている人たちがプレゼンテーションする場所をつくったり、食べ物の放射線量を測定する市民活動の人たちにも仙台に来てもらって、記録と発信してきたものをお披露目するような機会です。
あとは、オランダ政府が支援したいと言ってきてくれたので、英語字幕をつける作業が進んでいます。Ustreamは長いのでちょっと無理だけど、「わすれン!」のYouTubeに上がっているクリップのおおよそに字幕を付けます。
smtという現場を持つ施設としてこれらの映像を今後どう使うのかは、これから本格的に考えていきます。
星空と路──3がつ11にちをわすれないために
職業、土地、日本人……、あらたなアイデンティティをもとめて
甲斐──竹久さんも震災に関連した展覧会を企画しているんですよね。
竹久──東日本大震災を受けてアーティストがとったアクションは、被災地で行なわれた支援活動や記録と、震災を扱った表象としての作品制作があると思います。これらを区分することなくアーティストの「活動」として、ひとつの時間軸に載せて見せる展覧会を考えています。今年の10月から水戸芸術館で行なう予定です。支援活動に関しては、いろいろな動きがあったことがわかるようにできるだけ多く紹介したいと思っています。新たに制作された作品はたくさんあるし、全部を把握し紹介することは到底できないので、リサーチして企画趣旨に沿って選ぶことになります。展覧会で時間軸を現わす工夫は、会場の入口を2011年3月中旬を示すポイントとして設定し、そのころ行なわれていた活動の紹介から展覧会が始まり、会場を進むにつれ時間軸が現在に近づいていくように構成していくイメージです。展覧会全体を通して、観る人々が作家の活動を介し自分自身を見つめていくような、当時思っていたことや決意したことや感じた気持ちの1年半の変遷を時間軸を追って振り返る装置になればと思っています。
甲斐──時系列は作り込めば作り込むほどおもしろくなるかもしれない。あと、ひとり外部にパートナーがいたほうがいいかもね……。
竹久──空間構成を一緒に考えてくれる建築家の方に入っていただく予定です。それから、展覧会で紹介する活動はどうしても形態として展示できるものが主になるわけですが、そうではないものももちろんあるので、展覧会で展示できなかったものも含めて紹介できるようなカタログをつくりたいと思っています。ただそのためには、外部に出版と編集のパートナーがいたほうがいい。しかも、このカタログこそバイリンガルでつくって海外の人々も参照できるソースにすることが重要だと思うのですが、日本の出版社でバイリンガルにするためのコストのリターンまで見込むことがもし難しいなら、海外向けのプロジェクトとしてやってくれる別のパートナーがまた必要に……。誰かやってくれるといいな(笑)。甲斐さん自身のこれからのヴィジョンはどうですか。
甲斐──今回の震災で考えたのは、この災害によって多くの人が突然、「当事者性」を与えられた。でも、さまざまな支援活動やボランティアなどのように「獲得していく当事者性」も同時にあったように思うのです。ここは、少し丁寧に説明したいのですが……。震災後、「当事者」という言葉の意味を探っていて、英語で「インサイダー」と説明している本を見つけました。つまり、外側にはアウトサイダーがいるわけです。そして、その間にシンパサイザーと呼ばれる、同情者、共感者のような立場があるとその本に書かれていました。これ、とても僕には面白く思えたんです。で、このシンパサイザーという立場があるからこそ、僕らは沖縄の基地の問題や、パレスチナの問題についても考えることができる。あるいは、考えていいんだと言うことです。しかも、知識が前提じゃなく、同情や共感がその行動の動機と理解できる。もちろん、その上に知識や経験が獲得され、そして当事者に少し近づく、つまり、なにか「度合い」としての当事者性が高まっていくという理解です。実際、そう考えるといま僕の目の前には、「与えられた当事者性」と、「獲得していく当事者性」があって、僕にはこの「獲得していく当事者性」こそが──民主党がどうだとか言う意味ではなくて──、人々が本来持つ政治性の根のようなものと言えるのではないかと思うのです。ようは、「獲得していく当事者性」をいかにして高めていくか。日常や路上なども含めてあらゆる文化的な機会を通していかにやっていくかが今後の課題なんじゃないかと。ただ、こう言いながらもなんか理解できているようにも思えず、まだまったくうまく説明できていないような気もしますけど。
たとえば、アートプロジェクトとかワークショップのときに、議員さんらがそのラベルを外して関われるという話があったけど、それと逆説的に同じ意味で、ある人が「産業革命以降、人々のアイデンティティは職業になった」と言っています。日本では職業人としてのアイデンティティはみんな持っているけど、それを外したときのアイデンティティを土地とかお父さんとか日本人というようなところでしか担保できていないように思います。ヨーロッパではそれが民衆とか、シチズンシップみたいなものとしてあって、それによって民主主義を獲得していった。日本にはプロセスとしてそれがない。
竹久──ヨーロッパの職業とか土地以外のアイデンティティとはどんなものですか。
甲斐──民族だったり、言語だったり、国民とかいろいろあるだろうけれど、でもそれのもう少し手前に市民意識というものがどうやらあるように思える。だから数万人も参加するデモがちゃんと起こる。でも僕らには起こらない。おそらくこれは、僕ら自身が社会をどうとらえていいかわからないということだと思うんだけれど、そういうことと、今回の大きな災害を経て見た景色としての「獲得していく当事者性」というのはなにか関係があって、さらに文化装置にも関係があるはず……、なんて考えているんです。たぶん、そういうことはすでに誰かに言われていることなのかもしれないけれど、僕は実務者だから実装してなんぼ。ただ、その実装するっていうことはどういうことなのかっていうのがまだよくわからない……。
竹久──「獲得していく当事者性」が文化装置にも関係しているという考えは同感です。私もその実装に地味に挑戦しているつもりですが、まだうまくいっているという実感がなく、大きな課題です。
関連記事:2012年3月15日号 特集「3.11以降のアートシーン──震災から1年を経て」
[特集]「直後」のリアリティを世界へ
──国際交流基金巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」
五十嵐太郎(東北大学教授/建築史、建築批評)
東日本大震災に対する、内外の建築家50人の、避難・仮設・復興に向けたさまざまな提案と具体的な設計活動を世界に紹介する、国際交流基金の巡回展「3.11──東日本大震災の直後、建築家はどう対応したか」が、東北大学を皮切りに始まりました(国内開催東北大学のみ)。...
[特集]artscapeでみる「3.11以降のアートシーン」
artscape編集部
東日本大震災から一年が経過しました。artscape2012年3月15日号では、3月の地震を美術や建築の側面から考えるためにふたつのインタビューを掲載します。また、この一年の記録として、2011年4月1日号から2012年3月15日号までに掲載した震災に関係するレビュー等をまとめました。...