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森村泰昌インタビュー「芸術の良心、未知の芸術──ヨコハマトリエンナーレ2014とアーティスト像」
森村泰昌(ヨコハマトリエンナーレ2014 アーティスティック・ディレクター)
2014年01月15日号
今年の8月から11月にかけて「ヨコハマトリエンナーレ2014」が開催される。アーティスティック・ディレクターを務めるのは、アーティストの森村泰昌氏。「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というテーマや一部の参加アーティスト以外、現在のところあまり情報は発表されていない。現在の国際展や3.11、そして東京オリンピックを含めて、森村氏に伺った。[聞き手:福住廉(美術評論家)]
沈黙の豊かさ
福住──「ヨコハマトリエンナーレ2014」のコンセプト「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」について改めてお伺いします。ステイトメントのなかで「忘却の海へと向かう冒険の旅」と書かれているように、森村さんは記憶と忘却を対置した上で「忘却」の可能性を重視していますが、現在のアートはむしろ「記憶」の方に傾いていると思います。たとえば「大地の芸術祭:越後妻有アートトリエンナーレ」にしろ「瀬戸内国際芸術祭」にしろ、その土地固有の歴史や記憶をテーマとした作品が数多く展示されていますね。なおかつ東日本大震災や福島第一原発事故のような大災害ですら、近年では忘れられていく傾向がある。そうすると、芸術に期待される社会的な役割はむしろ「記憶」であると言えるように思います。そのなかで森村さんはあえて「忘却」を中心的なテーマとした。その経緯からお話ください。
森村──たとえば先に起きた大きな災害や原発事故について、実にいろいろな人が実にたくさんのことを語っています。しかし、ホントは「語る」人よりも、取材を拒否したり、沈黙を保っている人の方が圧倒的に多いはずなんです。「語る」ことは記憶としてクレジットされる情報となり得ますが、「沈黙」とか「拒否」は、情報化されません。そして沈黙とひと口に言っても、多種多様な沈黙があって、無関心という沈黙があれば、あえて沈黙するという態度をとった人も確実にいる。それらの沈黙の重みは記録化されないし、黙っているからなかったことになる。でも「ないこと」の中にはそれでは済まされない何かがあると思うんです。
荒唐無稽な話かもしれないけれど、宇宙研究をしている科学者たちが言うには、宇宙について僕らが知っているのはたったの4%だけだそうです。残りの96%は暗黒物質と暗黒エネルギーで、そこは知ろうと思っても絶対に知り得ない。知らないものを目に見えるかたちで知ろうとしても、われわれが知りうることのできる世界はたったの4%しかない。それと同じ見識をかつての禅の僧侶は「無」と言い表したのだと思いますけど、人間には知り得ないということがあるという謙虚な世界認識はすごく大事です。
われわれの情報化社会においても、同様のことが言えますね。artscapeは月間300万件もアクセスされているそうですが、インターネット上にはまったく検索されない情報が無際限にある。アクセスされない情報の方が検索可能な情報よりもはるかに膨大で、豊かだと思うんです。実際にそういった問題に関係する芸術作品が現実にありますよ。それらを皆さんに観てほしい。いろんなことを考えさせられるし、知り得ないとか検索できないとか、そういう一見ネガティヴにとらえられがちな領域を、むしろ、前向きにとらえることで精神的には豊かになるのではないかと思うんですけどね。
アーティストのアティチュード
福住──2012年12月の時点で「芸術の良心」という言葉を使われていました。その背景には、「芸術の良心」がないがしろにされがちな昨今の国際展や現代アートのシーンへの特別な思いがあるように感じました。
森村──今回選ぶ作品は、極力「お金の匂いのしないもの」にしようと思ってるんですよ(笑)。「お金の匂い」というのは僕の言葉ではなくて、ある美術雑誌のインタビューで「森村さんの作品って、こう言ってはなんですが、お金の匂いがしないですよね」って言われて、自分自身ではそういう自覚がなかったものですから、「へえ、そうなんや」と思ったんです。作品が売れる売れないという話ではなくて、アートの市場とは別に、お金の匂いがする作品としない作品があるということなんです。「芸術の良心」とは、まさに匂いを嗅いでみて、お金の匂いがしないということです。
たとえば、先日フランシス・アリスの展覧会がありましたね(東京都現代美術館、広島市現代美術館)。フランシスは自分のビデオ作品のことを「いろいろな人の協力によってできているので自分の作品ではない」と言う。そしてYouTubeでどんどん流しているんです。つまり売るためのものではない。ところが葉書大の小さなドローイングは一点の市場価格が一千万円を超えるらしい。だけど、フランシス・アリスの作品って不思議とお金の匂いがしないんですよ。だから、「こんなお金にならないものつくってどうするの」という話をしているのではないんです。今回のトリエンナーレではアリスは選んでいませんが、お金の匂いがしない作家を選んで、お金の匂いがする作家は絶対選ばない。そういう判断はしているつもりです。
福住──お金の匂いがしない作品には、アーティスト自身の態度(attitude)が関係しているように思います。
森村──おっしゃるとおり、まさに態度の問題です。アートマーケットで売れていなくてもお金の匂いがする作品はありますし、お金の匂いがしない作家でも、今回のトリエンナーレをきっかけにアートマーケットでブレイクする人はいるかもしれない。アーティストのアティチュードは、アートマーケットとは別のストーリーです。
福住──「芸術の良心、未知の芸術」と題されたその最初のステートメントに、芸術は「なんでもありというのでは困る」とも書かれています。あえてお尋ねしますが、なぜ「なんでもありだと困る」のでしょうか。
森村──美術に限らず他の何事においても、「なんでもあり」はダメです。人を殺しても良い、盗みも自由だなんていうのは、「考えていない」ということの裏返しなんです。考えること、判断するという手続きを踏まえた時には、なんでもありにはなり得ないと思う。たとえば戦争には殺人が伴いますが、戦争をするとなれば、では戦争とは何か、その価値の可否について考えることになります。すると、世の中にはたくさんの戦争がありますが、それぞれの違いが浮かび上がって見えてきます。人殺しや戦争をやってもいいとは言えないし、一方で絶対に戦争反対だとも言い切れない。そこの部分を自問し、判断を自らに迫る。考えることを抜きにして、自由はあり得ません。
福住──これまでのお話のなかで、森村さんの考えているアーティスト像やアーティストの役割が見えてきました。アーティストは社会の中である態度を貫き通し、葛藤しながら制作をしていくにしても、たとえば3.11や東京オリンピックなど、社会の側から覆いかぶさってくるさまざまな条件があると思います。それらに対して、アーティストはどのようにして自らの態度を保つことができるのでしょうか。
森村──自らの態度を貫くのは難しい……。今回のトリエンナーレは「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」というタイトルです。やはり『華氏451度』 という思想統制の話がどうしても関わるので、戦争中に文学者達が書いているものとか戦時中の書籍の展示に組み込みたいと思っているんですが、たとえば瀧口修造さんの戦時中の詩は美しい言葉で綴られていますね。それが結果的には戦意高揚の内容になっている。しかし、それはそれは美しい詩なんです。そういったものがたくさんあります。それらを批判する意味ではなく、あくまでも美しいものとして「美をつくり出す術の館」である美術館に展示したいと考えたりします。原本を見たり読んだりすると、それが自分の鏡になると思うんです。
たとえば富士山が世界遺産になりましたが、その結果、みんなが富士山に登りたがってますよね(笑)。ある種のブームになっていますけど、そのことの何が悪いのでしょうか。富士山はすばらしい、ものすごく美しいとみんなが思いを馳せ、絵が描かれたりするわけです。それについて悪いことはひとつもありません。東京オリンピックも一緒です。日本でやっと開かれるし、選手には頑張ってほしい。僕自身も、これは冬季オリンピックの話ですが、フィギュアスケートの羽生結弦クンとか応援しています(笑)。すごい人が現れたと思いますし、応援したくなりますよね。そういう自然な感情は、美の世界です。瀧口修造さんの詩とまったく変わりません。そういったものに対して自分の中でどういうふうに見つめ直すかはすごく難しい。僕も瀧口さんについて文句は言えません。だって美しいものは美しいから。それを抑制はできません。
東北地震以後、「絆」という言葉がよく使われるようになりました。美しい連帯の意識には誰も文句は言えません。しかし日本人だけで「絆」を強めすぎてしまうと、それが、中国・韓国・北朝鮮との軋轢の原因にもなりかねない。だからと言って、「絆」をもっと冷めた目で見ろとも言えないでしょう。だから難しいんです、「美」は。
「ヨコハマトリエンナーレ2014」では、『華氏451』をSFの未来物語として扱うのではなく、また、パレスチナやナチスの歴史的挿話だけでもなく、日本に今生きているわれわれの問題として、当事者意識を持ちたいものだと思わずにはいられません。芸術におけるそういう批評精神が出せるといいなと思うけど、それ自体をテーマにするのではなく、その問題を含む、より大きな世界認識を前提として設定したい。すべてはその上でのことですね。見る人に心の柔軟さ、豊かさ、広がりが生まれると良いなと考えています。
本を書くように展覧会をつくる
福住──芸術の良心を実現しているアーティストはたくさんいるとおっしゃいましたが、実は今「そんなにいるのかな」と思ってしまいました(笑)。
森村──いるいる、たくさんいます。大丈夫ですよ。まあ、60人はいるでしょう(笑)。
福住──出展するアーティストは森村さんが直接選ぶのでしょうか。
森村──最終的にはそうです。僕はキュレーターではないですし、全世界の作家を網羅的に知っているわけではありません。むしろほとんど知らない。ですから、僕がつくったテーマにもとづいてトリエンナーレの展覧会企画チームが情報を集めて、やりとりしながら組み立てていくんです。そのチームは、横浜美術館のキュレーターによる展覧会グループのメンバーと、僕が推薦する人たちなど専門家の集まりのアソシエイトメンバーによって組織されています。
福住──出品作家はどれくらいになりそうなんですか。
森村──今はまだ出展者選定の最中なので正確にはまだわかりません。内諾していただいているけれど、いろいろな条件があるので、正式に依頼状を送っていない方も多いというような微妙な段階です。未確定ということは、逆に楽しみでもありますけどね。
福住──ご自身の作品は出されるのでしょうか。
森村──自分の作品は出しません。これまでも自分の制作と発表は独自に続けてきたので、今回のトリエンナーレでは自分の個展ではできなかったことをやりたいと思っています。自分はあくまでも相補的なものととらえています。あえて内と外に分けて言えば、制作は自分の内なるものとしてやってきたんですが、外なるものにも大切なことがあります。今回は内と外を棲み分けて考えて、外なるものだけでつくるということです。
福住──「横浜トリエンナーレ2005」は川俣正さんがディレクターでした。川俣さん自身は出品していませんでしたが、展覧会の全体には川俣さんの作品を拡大したような印象を覚えました。そうすると、今回も結果的には森村さんの「匂い」のようなものが出ると期待しているのですが。
森村──僕の場合は、いろいろな人の作品を借りて展覧会という一冊の本を書くイメージなんです。こんなことを言ったら叱られるかもしれないけれど、その本には作品という付録がいっぱいあって、その付録の方が贅沢だというような(笑)。最近ありますよね、付録がほしいから買う雑誌。
福住──本体より付録が大きい(笑)。
森村──そう、そんな感じで捉えています(笑)。何となくおもしろい展覧会になりそうな気がしますね。みんなが暗い顔で見るものではなく、ちょっと驚いたり、立ち止まって考えさせられたり……。理想だけど、観客自身が歩きながらひとつのお芝居を体験していくような、そして時々迷路に迷い込むような、最後は「忘却の海」に思いを馳せるような、そういうふうになっていく気はしているんです。物語というか、ある種の流れに乗って漂流していくなかで、いろんな作品に出会って、最後には自分なりの漂流の仕方に散っていく。
芸術の内側への参加
福住──「ヨコハマトリエンナーレ2014」の参加アーティストに、大阪・西成区の釜ケ崎芸術大学
森村──ずっと芸術とは何か考え続けてきたんですが、立派な作品をつくる以前に、もっと大切なものがあるのではないかと思うことがあります。表現しなければいたたまれない切実感は、良い作品が生まれる以前に持っているべき大事な部分です。それを感じさせてくれる場がどこにあるかと眺めてみたとき、たとえば釜ヶ崎芸術大学の活動の中にあるのかもしれないと思ったりしています。西成のおっちゃんたちは習字をやっていたり、詩をつくっています。それらをちゃんと展示し、表現として成り立っているということを見せたいとも考えていますが、同時に何かそれ以外に重要なことが浮かび上がって来ないだろうか。
彼らがいわゆる芸術の「表現」に目覚め、彼ら自身の体験を含み込んだしかるべきものが生まれてくることに期待するのかどうかなど、具体的なことはまだまだわかりません。最終的にどんなものが出てくるのかが問題ではなくて、彼らが何かをやり出す時の場自体に表現の大事な根幹があるような気がするんです。それを、芸術家たちは意外と忘れてしまっている。釜ヶ崎芸術大学を美術館に呼び込むことには意味があるに違いないという直感はありますね。
福住──おっちゃんたちも呼ぶんですか。
森村──まだわかりません。釜ヶ崎芸術大学は、いろんな人が講師として行って地元の人が学ぶというもので、今はおっちゃんたちは聞いている立場なんですが、今度は彼ら自身が先生になり、語れるようにしていきたいと、釜ヶ崎芸術大学のオーガナイザーとかは考えています。釜ヶ崎はまさに忘却の街で、いろいろなことを忘れ去ろうとして来た人たちが、自分たちで語ることをしない限り、次の段階には行けないだろうと。だったら「釜ヶ崎芸術大学in横浜」として、釜ヶ崎のおっちゃんたちが講師になって、お客さんがそれを聞くという関係もあり得るかもしれません。ただ、見世物ではないのだから、釜ヶ崎の人たちにとってどれだけ意味があるのかという問題もあります。
たとえば、「Coffee TAKIDASHI(カフェ炊き出し)」をやるというアイデアも考えているんですよ。釜ヶ崎には「勝利号」というバスがあるんです。初代はかなり過激で、飯場闘争の時に運動家たちが乗り付けていったものですが、今は3代目で、おっちゃんたちの遠足に使っているんですね。その勝利号を会場に乗り付けて、「Coffee TAKIDASHI」というオープンカフェしよか、とかね(笑)。
福住──最後に、横浜市民が関われる間口についてお聞かせください。「横浜トリエンナーレ2005」はボランティアをうまく使って盛り上げていましたが、「2008」以後は方針が変わってしまったため、意欲をそがれて行き場を失った人たちがかなりたくさんいました。
今おっしゃっていた学校的なもののように、展覧会とは別の関連プログラムについて、どうお考えですか。
森村──僕は川俣正さんがやった「2005」も水沢勉さんがやった「2008」も、ともに良いと思わないという考えと、ともに良いという2つの考えを持っています。2つの展覧会はそれぞれ質が違うものです。「2005」の場合は地域の多くの人たちとの密接な関わりがあったという良い点がありました。「2008」の方はやや高踏なものだったと聞いています。そのときは多少不満があったかもしれないけれど、そこで展示された作品や選ばれた作家が、数年後に重要な作家に成長していたり、後にある展覧会に出された作品が「横浜トリエンナーレで新作として最初に発表されたものである」という位置づけがなされたり、そんな具合に、後になって作品の真価がじわっと見えてくることもあるんです。
僕自身はいろんな人がいろんなかたちで参加することは良いことだと思っています。その一方で、それほどたくさんの人数でなくてもよいが、作品の制作や運営に責任を持って参加するという体験は、美術を内側から理解することなので、それはものすごく大切な経験となるんですよね。作品を3カ月維持するとか、パフォーマンスに関わるとか、観客の目線を意識した本格的な体験は、確実に芸術を自分のものにすることができます。「ああ、こういうことだったんだ!」という体験があれば、次にその人たちが芸術の語り部になることもできる。何でもいいから皆さんに参加してもらって交流しましょうということではなくて、もう少し丁寧に関われる場や構造があれば、たくさんの人数には結びつかなくとも、そこからの間接的な広がりとか、ある種の一体感とかは自ずと生まれるのではないでしょうか。