フォーカス
失われた作品を求めて──ナチスによる略奪とグルリット・コレクション
木村浩之
2014年06月01日号
第二次世界大戦後半のヨーロッパ。そこには、ナチスによる略奪や破壊から文化財を守る使命を負った兵士たち──美術・建築分野の専門家たちを含むメンバーで結成された──がいた。戦後も、彼らは隠された文化財を探し出す役目を担った。「モニュメンツ・メン」と呼ばれた彼らの存在と業績は、ジョージ・クルーニー、マット・デイモンらが出演する同名の映画が公開(2014年2月)されたことで、広く知られるようになった(邦題『ミケランジェロ・プロジェクト』)。
この大戦により、数えきれないほどの文化財が失われたが、その一方で、破壊を逃れた文化財もある。しかし、元の所有者が特定できない作品もいまだ多く、また、その存在すら知られていない作品も相当数あると言われている。それらはもとの所有者に返却されるべきとされているが、戦後70年になろうとしている現在も、まだその作業は終わっていない。
2012年、ドイツで「戦後最大級」と言われる、約1,500点もの膨大な「疑わしい」作品群が個人宅で見つかった。この事件の完全な解決までには、まだしばらくかかると見られているが、現在までの進展を振り返ってみたい。
1. 背景
ことの始まりは、2010年9月。コーネリウス・グルリットが、スイス・チューリヒから自宅のあるミュンヘンへと向かう電車内で、ドイツ税関員から検査を受けたことだった。このとき彼は、一般の乗客に比べ多くの現金を所持していた。
彼の持っていた9,000ユーロは(約125万円)、無申請で持ち込める限度額1万ユーロ以下であったにもかかわらず、洗い出せば必ず何か出てくるとの税関員の直感により、身元を聞き出されるきっかけとなった。
リーマンショック以降、財政難に悩む各国の政府は、税収確保のため脱税チェックを厳しくした。スイスの銀行に富裕層の隠し口座があるのではないかとの疑惑から、スイスの銀行が外国政府から訴えられ、事態の深刻からスイス政府が仲立ちするかたちになっていた。その挙句、アメリカ政府の圧力により、スイス政府は、スイスをスイスたらしめてきた、かの銀行機密法の法改正を余儀なくされるに至った。またそれにとどまらず、UBS銀行など、スイスの大手銀行がアメリカ政府に罰金を支払うはめにまでなっていた。追加税を払いたくない二重国籍のアメリカ人がアメリカ国籍を返上するケースが増えたくらいだ(しかし簡単には返上させてくれない)。さらにドイツ政府も、スイス銀行の顧客リストデータを違法と思しきルートで買い取って脱税を取り締まったことで議論を巻き起こした。データCDの購入額は3億円とも言われているが、脱税容疑で社会的身分が脅かされるのを恐れた者が続出したのか、「自主的」に支払われた滞納税の納入額だけでデータ購入額を上回ったという。それだけスイスには資産が隠されているということだ。こういった状況を反映して、ドイツ税関ではスイス国境での現金等の持ち込み、持ち出しに神経を尖らせていたのだろう。
こうして電車で片道6時間もかかるルートを日帰りで往復しようとしていたグルリットは、スイスの銀行口座等による脱税の疑いで家宅捜索を受けることとなった(ちなみに、飛行機は手荷物検査があるので、スイスの国境越えは陸路で行なうのが常だ。スイス側は現金などの持ち込み、持ち出し額に制限を設けていない)。
こうして受けた家宅捜索により税務署員が知ることとなったのは、グルリットは住民登録もせず、一切銀行口座は持たず、さらには社会保険などにも加入せず、結婚もせず、近しい親族も持たず、近所付き合いもなく、とにかくまったく孤立した生活を送っていたということだ。唯一の伴侶は、一千点を超えるアート作品だった。
総額10億ユーロ(約1,400億円)とも見積もられる莫大な資産を、ミュンヘン郊外の自宅アパートに「賞味期限の切れた缶詰とともに」保管していたのだ。生活費が必要になるとそれを売りに出して現金を得ていたらしく、家宅捜索時に、絵画の入っていない空の額縁も複数見つかっている。
スイスへ行ったのも、作品を売るためだった。