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河本信治インタビュー「思考と創造のプラットフォーム/PARASOPHIA: 京都国際芸術祭2015」

河本信治/坂口千秋

2015年02月15日号

京都で初めての大規模な現代美術の国際展、PARASOPHIA: 京都国際芸術祭2015が開催される。京都という一種特殊な都市を舞台に、国際展の既成概念をひとつずつ見直し、手作りで、信頼関係をベースに生まれるPARASOPHIAとは、はたしてどのようなものなのか。アーティスティック・ディレクターをつとめる河本信二氏にその全貌をうかがった。[聞き手:坂口千秋(美術ライター)]


──最近は日本全国どこでも芸術祭で、一種のブームですが、もともと芸術文化が豊かな京都で、なぜいまさら芸術祭なのですか?

河本信治:京都は比較的現代美術に寛容な街で、これまでも展覧会がさかんに行なわれていますが、個別バラバラに積み上げられてきたところがありました。これを一度きちんと統合したいという思いは以前から関係者の中にはありました。が、今回の発案者は民間の経済界の方でした。京都経済同友会の長谷幹雄氏という方が、ヴェニスの建築展を訪れた際に、世界中から建築家や作家、批評家、ジャーナリスト、観客がヴェニスの街に集まって、交感し、また2年後にやってくる―—街全体が思考の装置になっているのを見て、京都もこうありたいと願ったことに端を発しています。
 京都は観光で栄えていますが、先人たちがつくった歴史や伝統文化をただ繰り返し利用しているだけでは、自分たちの時代に何も残せないのではないか。そういった危機感を敏感に感じとっていらした。未来の文化や生産の場を京都に定着させていかなければならないという、素直な気持ちだったと思います。
 でも、その手段として国際展をやりたいと相談を受けて、まだ私が京都近代美術館にいた時でしたが、「正直、やめたほうがいいですよ」と言いました。国際展を起爆剤に、という考え方自体が80年代的で、もはや新興勢力の第三世界が西欧の文脈にコミットするための手段と化している。そんなヨーロッパの国際展インダストリーと関わりたくなかったし、ビジネスのように次々とこなすキュレーターやアーティストの姿にも疑問を感じていました。ただ、これが民間の発案だというところに可能性を感じたのです。民間がアイデアを出し、一歩引いた形で行政がサポートする官民合同の新しいかたちが成立するなら、私のヴェニスやドクメンタでの経験から多少アドバイスできるかもしれない。それは京都が行政として成熟した組織に近づいていることでもあります。そうしてベーシックなデザインのお手伝いをするうちに、アーティスティックディレクターをやれといわれて手が引けなくなった(笑)。

──どのような方向性で考えていかれたんですか?

河本:街おこしイベント的な国際展とも世界のメジャーな国際展の流れとも異なった、ある程度の知名度を持つ京都だからこそ可能なやり方があると思いました。いまだに京都には、日本の一部を背負っているという自負があるんです。未来をつくろうとするなら、まず京都が思考と創造のプラットフォームにならなければならない。人が集い、アートを通じていろいろなことを考え、そこから派生したものが京都を通じて、過去と今と未来をつなげていく―—そういう生産のサイクルにもって行きたいと考えました。どんどん消費して回転させていく今風の流れにやや反動的ではあるけれど、京都の適正規模でならやれるのではないか、それなら協力するという友人たちもいました。

──「PARASOPHIA」というタイトルにはどのような意味が?

河本:キャッチーなタイトルや具体的なテーマは不要だと思ったので、軽い音感で、変化と広がりを想起させる言葉として「PARASOPHIA」としました。「別の、逆の、対抗的な」という意味を持つ接頭辞paraと、叡智や学問体系を意味するsophiaからなる造語です。またパラが指すベンゼン環の六角形の図像イメージは、京都の街のかたちとも重なります。知や文化の創造の場であり、装置である京都の象徴です。

作家が発見する未知なる京都

──京都には名所旧跡が多くあります。会場を決定する際にどのような視点で決めていったのですか?

河本:いかにも京都らしいステレオタイプな場所で作家になにかやってもらおうという発想はありませんでした。あくまでも作家が自分でリサーチして場所を選びました。結果、神社仏閣でやりたいという作家はいませんでした。会場は、京都市美術館と京都府京都文化会館をメイン会場に、街なかに数カ所あります。国際展の多くは「シャンブル・ダミ」展からの流れで街中に拡散していますが、回るのしんどいですよね。できるだけコンパクトに地下鉄の路線上に整理しようとしています。ただ、作家のプランによって収まらなかった場所もあります。

──作家は京都へ来て新作をつくることが前提だったんですか?

河本:出来る限りリサーチには来てもらいました。そのため作家数も40人前後に抑え、最終的に36組になりました。最近の国際展の100人、200人規模と比べると少なめですが、各作家に十分な展示スペースを確保し、きちんと顔を合わせてケアできる適正数です。過去に紹介された作家でも、未知の作家でも、おもしろいと思える作家たちに声をかけています。トレンディな国際展のやり方に比べたら、極めて偏見に満ちた時代錯誤な組み立て方だと思います。

──街なかに展示される作品には、どういったものがありますか?

河本:スーザン・フィリップスは、高野川と鴨川の合流する中洲を鑑賞場所に新作を出します。京都は囲われた城郭都市の形態をもつ日本でも数少ない都市ですが、ヨーロッパのように情報交換と取引の場となる広場がなく、結界の外の三条河原がその役割を担っていました。情報交換と商取引の場であり、エンターテイメント、処刑場でもありました。フィリップスはそうした三条河原を中心とした鴨川の歴史に対するメタファーとして表現したいといっています。


スーザン・フィリップス/Susan Philipsz The Distant Sound, 2014.
Three-channel sound installation. Installation view, Moss, Norway, 2014. Photo by Eoghan McTigue. © Susan Philipsz

 また、戦後初の店舗付集合住宅で築60年以上経過した堀川団地の空室では、ピピロッティ・リストなど3人の作家が展示します。ここも部屋を使ってほしいという意図はなく、その場所に興味を示した作家がいたということです。
 さらに旧崇仁地区といわれる河原町塩小路は、芸大の移転予定地で、居住者はすでに移動しほとんど更地となり金網で囲われています。そのやや特異な匂いを嗅ぎ分けて、ベルリンのヘフナー/ザックスという2人組が、この場所の歴史に言及した擬似モニュメントを作ります。彼らは3週間くらい京都市内を自転車で回って、自分たちしか見つけられないものをリサーチしていきました。

──普段観光客はめったに行かない、それどころか京都人ですら行かないようなところですよね。

河本:京都にふさわしいものを探す気持ちではなく、彼らが京都を経験し、作品を制作してもらうことを考えました。京都に来て作品が少しでも変わったら、そこで生まれた関係は持続する可能性が高い。そのようにして、京都を思考と創造の装置にしたいと思ったのです。

──そうした作家のリサーチやレクチャーは丁寧にアーカイブされています。電子書籍「Parasophia Chronicle」や動画公開など、ホームページはかなり読み応えがあります。

河本:PARASOPHIAはプログラムだと思っています。展覧会はひとつのかたちですが、オープンリサーチプログラムやワークショップはすでにスタートしています。会期中はレクチャーやフォーラムなどの関連プログラムをたくさん用意して、終わったあとも内外の人がそれをシェアウェアのように共有していけるようなベクトルをつくりたいと考えています。

──展覧会だけが成果物ではないと。

河本:はい、展覧会は通過点だと思っています。

──最初に声をかけた作家は誰ですか?

河本:蔡國強には早い段階で声をかけました。彼はエンターテイメントやワークショップの要素も含んだ幅広さと懐の深さがありながら、根深いところでは中国への批評性が下敷きになっている、非常に重層的な作家です。中国僻地の農民が自作したロボットや潜水艦、飛行機などを収集する彼の《農民ダ・ヴィンチ》に興味がありました。PARASOPHIAでは、《農民ダ・ヴィンチ》の派生系として、京都市美術館の1Fで《子どもダ・ヴィンチ》というブリコラージュ的なワークショップによる巨大な作品を展示します。京都の都市計画のモデルといわれる長安にある仏舎利塔を日本の竹で組み立て、ペットボトルなどの日用品を使って子どもたちとワークショップを行いながら、長安と京都の過去と現在をつなぐ作品です。
 このエリアは無料ゾーンになります。周囲にはブックショップとカフェ、ワークショップの教室も配置して、美術館をこの期間PARASOPHIA的な構造にしてしまおうとしています。


蔡國強《農民ダ・ヴィンチ》2013 サンパウロ、ブラジル銀行文化センター屋外での展示風景
Photo by Joana França

観客が自分の力で作品を読み替える

──以前河本さんがいらした京都国立近代美術館での展覧会と、今回のような国際展と展覧会の作り方は違いますか?

河本:それは全然違いますね。美術館のコンテクストでいったら、やっぱり近代美術館を規定する歴史と価値観から逃れられないものがある。そこで現代美術作品をやることは、抽象表現主義があって、ポップ、ミニマル、コンセプチュアル、80年代にはポストモダン論争があって、という、近代美術館システムがつくってきた近代美術史という物語を相対化する、というジレンマを引きずらざるを得ないんです。でも、同じ美術館という建物でも国際展をやる場合には、それをまったく無視できる。つまり今の作家たちの活動理念や哲学に対する共感の表明でいいんです。それが美術館での大型グループ展と国際展の一番大きな違いだと僕は思います。見る側はあまり気にしないかもしれないけど、美術館システムの呪縛から自由になれるわけです。

──河本さんの退館展「マイ・フェイバリット」★1の序文で、「何かの発見は一人ひとりの意志と営為に依存するしかない」と書かれていました。今回作家のラインナップを見て、「河本さんの芸術祭」という第一印象だったのですが、まさに「マイ・フェイバリット」につながるところで納得のいくものでした。

河本:物語はいかようにも生まれる可能性がある、一人の人間の考えによって、ということです。デモクラティックな選び方ではないと思います。最新の動向をすべて調査し尽くして一番いいものを選んだわけではないし、極めてセルフィッシュなディレクションです。なんでいまどきスタン・ダグラスがいるのだ? とか、不思議な組み合わせに感じるかもしれません。
 いくつか全体に通じるキーワードがあります。既存のものを拾い集め組み合わせて別の機能に持っていくブリコラージュ。次にサバイバビリティ。インストラクションも材料もなしに、いきなり状況に放り込まれた個人が、手近なものでなんとか生き延びて帰ってこれるような思考が重要だと伝えたい。その点では、スタッフである我々もインストラクターではなく、動きながら学んでいる感覚です。

───見る側にも、ブリコラージュやサバイバルの思考が必要になるわけですね。

河本:ええ。さらに、今回は「東アジアの近代」という隠しテーマがあります。その多くの部分はシネマプログラムでやろうと思っています。あとは、読むことと、ミス・リーディング。

───ミス・リーディングは歓迎ですか?

河本:「誤読はとても生産的な読み方だ」というのはウィリアム・ケントリッジの持論ですね。もはや私たちはオリジナルテキストを書く能力はないのだ、と言った上で、メディアの歴史を通じて親の世代が直面した問題の原因を少しずつ自分で検証していくケントリッジの姿勢は、とてもPARASOPHIA的だと思います。

──各地域で行われる多くの芸術祭では「わかりやすさ」は歓迎されますが、PARASOPHIAはいわゆる「わかりやすい」ものにはならなさそうですね。

河本:みんなが怠惰になっているのでね。なんでも提供されるのを待っている。僕たちは商品も、わかりやすいコードも提供する気はありません。でもわからないことを面白いと思える人や、ものをつくったり考えたりしたい人が、自分の力で読み替えるための材料はどんどん提供します。ただ、それをプログラムに組み立てることはしないでおこうと思います。

──入れば入るほど奥深い、京都の町家みたいな……。

河本:京都はよくわからないものを続けていく強さがあります。訪れた人は、展覧会として楽しい気持ちになれるはずです。でもそこから踏み込んで行けば、どこまでも掘り下げていける。異質なものと出会って、自分が正しいと思っていたことがすべて間違っていた、そういうこともあるかもしれません。サバイバルですから。


河本信治氏

──PARASOPHIAの観客はどういった人々を想定していますか。

河本:特に限定していませんが、シェアウェアをダウンロードすると環境が変わるように、足を運ぶたびに少しずつ意識が変化していくのを見ることができれば素晴らしい。PARASOPHIAはプログラムであってほしいというのはそこなんです。でも物語や写真の反復と似ていて、反復しなければ物語は生まれません。PARASOPHIAというプログラムが、この先も京都に根付いてくれればと思います。

──芸術祭は今後も継続される予定なのでしょうか?

河本:行政も継続を視野にいれているようですが、今回は国際展の一つのケーススタディ、エクササイズだと思っています。地元の関係者が自分自身の経験を積み上げながら、次の展開を考えて継続していける人材や空気を残したいと思います。ファッショナブルなキュレーターを招いて、処理能力の高いチームがやってきてシステマティックに流すやり方以外にも、違う方法があってもいいじゃないかと。時代遅れでも、いまもう一度これをやっておいた方がいいと思うんです。それが京都らしさだと言ってもらえたら、一番いいんじゃないかな。

──今回は河本さんがPARASOPHIAにスピリットを与えたわけですが、ここからどのようにご自身は関わっていこうと思われますか?

河本:まあ、立ち上げてみないとわからないですよ。でもサバイバルするには多少の工夫を自分で考えなければなりませんから、手作りで、実験精神に溢れた面白さをじわじわと伝えていけばいいかな。安定した組織でしっかり計画されたものにはあまり僕は興味がなくて、やりながらどうなるかわからないようなスリルが最終的に面白いものにつながっていくと思います。2ヶ月という会期でどこまで伝わるかドキドキしますけれど、テンション低めで、必要なことはやろうと思っています。



 かつて某ギャラリストが「アートの敷居はむしろ高いほうがいい」と語っていたことがある。そのかわり、本当に見たい人や学びたい人ならいくらでも相手します、と。PARASOPHIAもそれとほぼ同じスタンスだろう。集客数より個々の体験の質をあげる方に力を注ぐPARASOPHIAに期待するのは、各作家の「本気」をどこまで引き出せるか。これまで数多くの作家と仕事をしてきた河本氏だから呼べた作家や生まれたアイデアがあるはずだから。次から次へチェックリストをこなすように見て回る国際展や、観光的な国際展とも違う、敷居の高い緊張感のある国際展があってもいい。もっとも、受け取る側の「わからないからこそ面白い」という態度が生まれなければ、なんにもエキサイティングなことにはならないだろうけど。[坂口]



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