フォーカス
西京をひらく──西京人インタビュー
西京人/坂口千秋
2016年06月15日号
金沢21世紀美術館ではゴールデンウィークから夏休みにかけて「西京人—西京は西京ではない、ゆえに西京は西京である。」展が開催されている(8月28日まで)。展覧会の初日、西京人の小沢剛、ギムホンソック両氏にお話を伺った。[聞き手:坂口千秋(美術ライター)]
展示室の入口に立つ入国審査ゲート。旅人はここでまず、とびきりの笑顔を振る舞うか、好きな歌を一小節、またはチャーミングな踊りを披露することになる。愉快な入国審査を通過したら、ようこそ西京へ。そこは芸術を愛する者が住む、ユーモアとアイディア、友情と愛に溢れた未知の国。西京人は、90年代グローバル化するアートシーンで知り合った日韓中の同世代のアーティスト、小沢剛、ギムホンソック、チェン・シャオションがユニットを組み、2007年以来ライフワークのように続けているシリーズだ。西京とは一体なにか。コラボレーションする理由、家族と友情、そして新たな第5章の展開について。
西京人はどのように始まったのですか?
小沢剛──西京人は2007年に結成しました。その背景には、90年代後半のアジアのアーティストを取り巻く状況があります。世界各地でアジアのアーティストを取り上げるムーブメントが起こっていて、僕らはいろんなところで会う機会があったので、以前から同世代の作家としてお互いを意識していました。2005年に中国の広州トリエンナーレで、キュレーターのホウ・ハンルーから、コラボレーションによる新作の依頼がありました。その頃、中国では反日運動が高まり連日その模様が報道されていて、こんな時だからこそあえて中国の作家とやりたいなと思って、展覧会で東京に来ていたシャオションを誘ったのがきっかけです。
最初は2人だったんですね。
小沢──ところが3、4回やって早くもマンネリ化し始めてしまい、より多い刺激を求めて、共通の知り合いだったホンソックに声をかけました。それが西京人の誕生。第一回のミーティングは、たしか六本木の居酒屋。そのあと3人で東京観光をしながら構想を話し合ったんじゃなかったかな。
ギムホンソック──北京、東京、南京はあるけど西京はない。地上にはないユートピアとしての西京でした。でも各々が持つユートピアのイメージは違っていたし、さらに僕らの英語はとてもヘタだったので、都市の概念や歴史、政治的な話ではなく、もっぱら僕たちの生活や未来について話しました。でも初めから、西京人は第1章から順につくり第5章で完結と決めていました。
西京を探して
第5章までとしたのはなぜですか?
ホンソック──5つもやればプロジェクトとして十分かなと、正直たいした理由はなかったです。でも第1章から第3章までの構想は早くて、各章のタイトルまで決まっていました。
小沢──第1章は「西京はどこですか?」として、西京を探しにそれぞれの国の辺境へ出かけました。ウォーミングアップのように、お互いのつくった作品を見せ合うことで、3人の距離感や心の内、作り方を探り合うような印象でしたね。
ホンソック──英語でコミュニケーションしづらいんだけど、決めるのはものすごく早いんです。たいてい飲みながら話して、いいアイディアがあれば、それだ!と全員で即決。あれはハッピーな体験だったね。
小沢──そう、そこが面白い。2人は僕よりはるかに早いスピードでアイディアを生み出して最後の到達点まで結びつける。とてもエキサイティングです。
そのスピード感は、個人として活動するときと違いますか?今回はそれぞれの作品も展示していますが。
ホンソック──もちろん違います。一人だと考えすぎる。自分の作品でも、シンプルなアイディアから生まれたものはたくさんの人に理解されますが、1年以上じっくり考えてつくった作品はたいてい「わからない」と言われてしまいます。
西京人の時は、よりリラックスして考えられる?
ホンソック──僕は西京人のプロジェクトで自由を感じます。呼吸できる。でも、一人でやってる時はストレスで死にそう。西京人がなかったら僕は作品をつくるのをやめてたかも。アーティストをやめてたかもしれない。
小沢──えっ、ホントに?
ホンソック──ソウルで作品をつくるのはストレスが多すぎるんです。でも西京人のプロジェクトにとりかかるときは、「よーし、楽しい時間がやってきたぞ」って思える。タイムトゥーリラックス!
小沢──僕は西京があることによって違う回路が持てる。違う客観性の持ち方、もう一人の人格というと大げさかもしれないけど、西京人はグループとして違うパーソナリティを持っている感じかな。