フォーカス
カナダ──先住民族から始まる新しい時代
原万希子(インディペンデント・キュレーター)
2016年07月01日号
今年前半期にバンクーバーでは、二人の重要な先住民系コンテンポラリー・アーティストの個展が相次いで開催された。ひとつは、ブリティッシュコロンビア大学付属ギャラリー、モリス・アンド・ヘレン・ベルキン・アート・ギャラリーで1月から4月にかけて開催された、ボー・ディック(Beau Dick)の 「LALAKENIS / ALL DIRECTIONS - A Journey of Truth and Unity」。もうひとつは同じくブリティッシュコロンビア大学付属の文化人類学博物館(通称MOA)で、5月末にオープンし、10月まで開催中のローレンス・ポール・ユクルェラプトン(Lawrence Paul Yuxweluptun)の30年の業績を取り上げた大回顧展「Unceded Territories」だ。筆者は幸運にもこの二つの展覧会のオープニングに立ち会い、満員の来場者のなかでカナダの先住民問題が新しい時代の幕開けを迎えたことを感じた。
この背景には、2010年から5年間にわたって行なわれた真実和解委員会(Truth and Reconciliation Commission:略称TRC)、2012年末に始まった草の根運動 Idle No More
から、現在のさらに若い層や非先住民のカナダ人を含んだ先住民権運動の静かで確実な変革の流れがある。先住民族の領土問題、環境問題、植民地政策によって引き起こされた同化政策による文化搾取や人種差別など、建国から一世紀半にわたる根深い先住民問題に対して正義と和解調停を求めるこれらの運動は、2008年に前政権の保守派スティーブン・ハーパー首相による先住民に対する形だけの謝罪に対する怒りを発端にしている。前述のTRCで、60年代後半まで続いたカナダの先住民同化政策で、親元から隔離され、カトリック系の寄宿学校に強制収容されて命を落とした子供たち、または生き延びてもトラウマにより精神を崩し、アルコール依存や麻薬中毒になった何万人もの何世代にもわたる先住民族の苦悩が初めて明らかにされたのである。これまで封印されてきた搾取の歴史に対して、先住民族の人々が自らの手で人権復権と賠償を求める運動を急速に展開したことが、2015年秋の総選挙に大きな影響を及ぼした。保守派政権下で10年にわたってシニシズムに満ちていたカナダ国民が、「新しいポジティブな変化への可能性」を根強く誠実に訴えたジャスティン・トルドー率いる自由党を支持し、大逆転の圧勝に導き政権交代を起こしたのである。10月のカナダ連邦議会選挙を4ヶ月後に控えた6月11日にケベック州で行なわれた第36回先住民族会議に招かれたトルドーは、「カナダは連邦政府が先住民族に対して行なってきたさまざまな負の歴史をきちんと認識したうえで、先住民族というネーション(部族)と、カナダというネーション(国家)がともに未来を創ってゆく社会へと変革していかなければならない」と誠意をもって語った。★2 nation-to-nation relationship 、つまり先住民の問題をカナダ自身の問題として、先住民族の自治を認めたうえで、ともに解決していかなければ、将来の子供たちに未来はないと明確に語った。この瞬間、カナダのこれまでの歴史は大逆転したのだ。 二つの展覧会のオープニングは、2015年の自由党の大勝利を受けた形で、新しい時代の幕開けを実感させるものだった。
先住民族をつなぐ二つの旅
2016年1月16日、曇り空に小雨の降るなか出向いたボー・ディックのオープニングは、ブリティッシュコロンビア大学の構内で、さまざまな先住民族の衣装をまとい、仮面や儀式の道具、ドラムなど打楽器を持ったアーティストと、21人の旅の同伴者による長い行進から始まった。そして、ギャラリーではおよそ3時間にわたるセレモニーが行なわれた。白髪混りの長髪にたくさんの羽根のついたダンディーな帽子をかぶり、愛に満ちた眼差しと低音のよく響く声を持つボー・ディックは、バンクーバーから飛行機を乗り継いで5〜6時間かかるバンクーバー島の最北端にあるアラート・ベイと呼ばれる地域の先住民族、クワックワラ族(Kwak' wala)の酋長であり、カナダで最も優れた仮面の彫り師として北米の数々の美術館に作品がコレクションされているアーティストである。日本では馴染みがないが、元森美術館館長のデヴィット・エリオットがディレクターを務めた2010年のシドニー・ビエンナーレにも出品しており、彼の作品は伝統的な先住民のマスクを現代的に再解釈したものとして評価が高い。そして彼は素晴らしい物語の語り部(Story-Teller)としても知られている。
「LALAKENIS/ ALL DIRECTIONS」は、2013年2月から2014年の7月までに二度にわたり行なわれた「真実と連合を求める旅」のさまざまな記録資料、ビデオ映像とその旅の最後の最終地点としての儀式で構成された異色の展覧会だった。その二つの旅とは、2013年2月にボー・ディックと彼の若い2人の娘リネーアとジェラルディン、そして彼女たちを導いたIdle No More運動の主催者たち10数名による、BC州の先住民居留地クワトシノからブリティッシュコロンビア州州議会が置かれるヴィクトリア市までの9日間の旅。その最終地では、彼の出身地であるクワックワラ族に受け継がれた銅板を斧で叩き割るというパフォーマンスが行なわれた。そして翌年の7月には25日間にわたって、ディックと21人の家族や友人たちがバンクーバーから連邦会議の置かれる首都オタワまで、17箇所の先住民族のコミュニティを訪問しながらカナダを横断した旅。それは、最終地のオタワ連邦議会前の広場で行なわれた、ハイダ族の伝統の銅板を叩き割るパフォーマンスで幕を閉じた。
各部族の間で歴代の酋長に引き継がれる銅板は、部族固有の複雑な経済システムと文化を象徴する非常に重要なオブジェであり、ヴィクトリアで用いた銅板は、ディック自身が曾祖父から引き継いだものである。それを叩き割るという行為は、先祖代々受け継がれてきた文化がすでに同化政策によって失われ、絶滅に瀕していること、それが部族の恥であるということをカナダ国民に訴えかける衝撃的なパフォーマンスであった。
二つ目の旅は連日マスメディアで取り上げられ、すでに全国的な高まりを見せていた先住民族のプロテスト運動を最高潮へと導いた。オープニングの3時間にわたる儀式では、旅の間に関わったさまざまな部族から寄せられた儀式の仮面や衣装などが、銅板とともに人々の手から手へと受け渡され、最後にはギャラリーの中央の床に置かれた前述のハーパー元首相による謝罪文を記した大きなバナーの上に飾られた。アーティストと旅に関わったさまざまな人々が、その旅がいかに多くの連帯と友情と勇気に富んだものだったかを歌や踊りを交えながら切々と語ったのだ。会場に居合わせた300人近い観客は、旅の道中と同じようにその銅板に触れるようにうながされた。半分にかち割られた銅板は、旅の間に繰り返された儀式のなかで、何百、何千もの人々に触れられてつやつやに輝いていた。一度は失われかけた銅板が、先祖から受け継がれてきた最も根源的で重要な価値を蘇らせ、先住民族だけでなく、私たち一人ひとりに受け渡され、輝きを持ち始めていた。それは、同じ土地に生きるあらゆる人種を受け入れた希望に満ちた祝祭的な時間だった。
展覧会の3ヶ月にわたる会期中も、パフォーマンスなどのさまざまなイベントが毎週のように行なわれ、普段は博物館の展示ケースに収められている儀式のオブジェが、さまざまなかたちで館外に持ち出され、そして、また会場に戻ってきた。長い間、元の文化から搾取され、ギャラリーや美術館に閉じ込められていた先住民族のさまざまなオブジェは、彼らの導きによって命を取り戻し始めたのだ。それは旅の終わりではなく、次の旅の始まりを予感させた。