フォーカス

カナダ──先住民族から始まる新しい時代

原万希子(インディペンデント・キュレーター)

2016年07月01日号

現代社会を告発するミュータント


 ボー・ディックの展覧会に引き続いて、同じUBC敷地内の観光名所として有名な文化人類学博物館で開催されたローレンス・ポール・ユクルェラプトンの「Unceded Territories」のオープニングには、広い会場に2,000人以上の入りきれないほどの来場者がつめかけた。タイトルの「Unceded」という聞きなれない単語は、戦争や植民地政策による領土の搾取において、正式な条約の未締結、つまりは譲渡契約が未承認の土地であることを示す。このタイトルは、カナダの北西海岸地域(Coast Salish Territories)、現在はブリティッシュコロンビア州と呼ばれる地域における領土搾取から始まった先住民問題に警告を鳴らすアーティストの挑発的で根源的な怒りを明示している。ブリティッシュコロンビアという州名は、1858年にイギリスのヴィクトリア女王により命名されたもので、その植民地の歴史を深くひきずっている。


左:オープニング 右:壇上のローレンス・ポール・ユクルェラプトン(Lawrence Paul Yuxweluptun)氏
Photo by Ricardo Seah

 ユクルェラプトンは同州内陸部のカウチンとオカナガン先住部族の血を引く先住民系アーティストだが、前記の先住民族居留地を拠点にするディックとは異なり、バンクーバーに住み、自らを皮肉を込めて「都会のインディアン(Urban Indian)」と称している。エミリー・カー美術学校で美術史と絵画を学び、その歯に衣を着せない怒りに満ちた政治的言説と独特の作風で、アメリカ先住民運動を率いたジミー・ダーハムと並び、国際的評価を得たカナダのコンテンポラリー・アーティストだ。ユクルェラプトンのSF的でポップな色彩、シュールレアリスムを引用したスタイルで政治的なテーマを扱う作風を、彼は皮肉を込めて「歴史絵画」と呼ぶ。その言葉は西欧中心の美術史的定義や、イデオロギーとロマンティシズムに対する批判とその偽善を暴いている。彼が描く今日の「歴史画」「風景画」は、先住民の土地に対する知恵と文化に対する尊敬と愛情であると同時に、建国以来いまも続く植民地支配による負の遺産、汚染と破壊に対する告発なのだ。


「私は歴史を記録することに興味を持っている。(先住民の子供を隔離収容した)寄宿学校、地球温暖化、森林伐採や環境汚染、世界規模で懸念されるオゾン層破壊、環境問題の深刻化、人権、風刺と実存主義。私はこれらの問題を取り上げながら「歴史絵画」を描く。いまでも私は植民地化の支配下に置かれているのかもしれない。しかし私はそれらのことを考えつづけるのだ」(展覧会カタログ、アーティストステートメントより抜粋)



Lawrence Paul Yuxweluptun《Killer Whale Has a Vision and Comes to Talk to me about Proximological Encroachments of Civilizations in the Oceans》 2010
カンバスにアクリル
280 x 184 cm
個人蔵
Photo by William Eakin, courtesy of Plug In Editions

 日本のアニミズムに似た、北西海岸の先住民族による精霊信仰の知恵と文化、自然や動物たちとの共存によって守られてきた土地は、21世紀に入りさらに複雑で構造的な文化搾取のもと、経済優先のグローバル企業とそれを推進する連邦政府により壊滅的に破壊され続けている。彼が提唱しているスタイル「Ovoidlism」(Ovoidとは楕円形卵型の意味)は、この地域の先住民族の様式で、動物や人間の目や体の部分などを描くときのスタイルとして伝わってきたものだ。彼はこれを再解釈し「個人の存在の自由」の象徴として用い、この土地で生きる精霊たちを搾取と同化の歴史のなかで変形したミュータントやエイリアンとして、現代の歴史の物語のなかに描き続ける。《Fish Farmers They Have Sea Lice(漁師たちにはシラミがついてる)》は近年の「Super-Predator(超略奪者たち)」のシリーズのひとつで、背広を着て楕円形のミュータントの顔をもつ人物たちは、グローバル企業や、それと癒着して拝金主義に走る白人の政治家たちである。これらの作品は私たち非先住民のカナダ人に向けて警告として描かれたものであり、それを見たとき、私たちは問題を突きつけられるのだ。そしてこの展覧会が、文化人類学博物館という植民地的歴史の産物であり、西欧中心主義の制度の象徴のような場所において開催されたことは奇跡に近い。ユクルェラプトンはつねづね、MOAは「略奪され命を失った先住民族文化の墓場」と言って最も憎しみを持って批判してきたのだ。

 オープニングのスピーチで、ユクルェラプトンは寄宿学校で虐待を受け、多くの同世代の子供の死を目撃しながら生きのびた生存者として、彼の半世紀以上の人生で見てきた数々の先住民族の怒りや苦しみについて語った。自分のアートは生きた目撃者として、現行するさまざまな問題に対して挑発的に、ユーモアを交えながら警告する行為なのだと説き、最後に、いま私たちが立っている場所をブリティッシュコロンビアという名前で呼ぶのをやめようと訴えた。冗談とも本気とも取れるこの発言に、会場は沸いた。それがおそらく先住民問題の本質を示す問題だということを誰もが悟ったのだ。



RENAME BC & BC Your Back Rent Is Due「Unceeded Territories」展のオープニングで配られた缶バッチ
筆者撮影

多文化共生の決意


 何が変わりはじめたのか? ただ楽観的に喜んでいるだけでいいのか? 州名が変わったとしても先住民問題は解決しない。先住民地域に汚染と壊滅的な自然破壊をもたらすグローバル企業によるパイプライン問題は、いまだに拡大する一方で、毎日デモが続いている。一週間前には、カナダの40以上の居留地では安全な飲み水さえ供給されておらず、貧困レベルが発展途上国以下と、EUの指摘を受けたというニュースが流れていた。先住民問題は根が深く、トルドーの目指す共存の未来が見えてくるまでの道のりは長く厳しいと誰もが知っている。しかし、いまやそれは他人の問題ではない。カナダ人一人ひとりにとって自分がそこに関わっている問題なのだと自覚したとき、私たちは初めてともに旅の始まりに立ったのだ。それは力強い希望だ。

 この一年近くカナダにおける静かなしかし劇的な変化を体験しながら、同時に私は自分の生まれ育った国、日本における沖縄基地移転問題や、憲法改正を巡る信じられないような政治家たちの茶番劇のニュースをFacebookで見、何が根本的に違うのかを日々考えている。総選挙を目前に控えたいまの日本に、カナダのような大逆転は起こりうるのか? そのためには何が必要なのか。カナダの地を踏んでから25年、この間に起こったさまざまな出来事を振り返りながら、「人権」の本質的な問題と重要さを決して諦めずに考え続け、行動し続けるアーティストたちのことをこのページに書くことで、ささやかながら何かが伝えられればと願う。


★1──2012年、カナダ中部の先住民族の人口が多く、その生活水準が最も劣悪なサスカチュワン州で、一人の先住民を含む4人の若い女性たちによって始められた、現在も進行中の先住民権運動。「黙って傍観しているのはもうやめよう」というスローガンのもとに若い世代が集まり、多くの非先住民との連携を持っていることが特徴。各地で開かれる討論会、デモ、サークルダンスやフラッシュモブなどのパフォーマンスがソーシャルメディアを介して瞬く間に国内外に広まった。http://www.idlenomore.ca/


★2──https://www.liberal.ca/realchange/justin-trudeau-at-the-assembly-of-first-nations-36th-annual-general-assembly/


Lalakenis/All Directions A Journey of Truth and Unity

会期:2016年1月16日(土)〜4月17日(日)
会場:Morris and Helen Belkin Art Gallery
1825 Main Mall, Vanouver


Lawrence Paul Yuxweluptun: Unceded Territories

会期:2016年5月10日(火)〜10月16日(日)
会場:Museum of Anthropology at the University of British Columbia
6393 N.W. Marine Drive, Vancouver

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