編集部から、4月に書いた太田市美術館・図書館のレビュー★1を元に話を展開せよ、という依頼を受けた。レビューでは、太田市美術館・図書館はゆるやかな螺旋を描く建築構造から、ボルヘスの「バベルの図書館」を連想させること、展示室は図書室のあいだに分散し、作品を見ていく途中で膨大な図書をながめ、ときに立ち止まって読むことになるので、ほどよく気が散ること、作品鑑賞中に気が散るのは問題だが、そのことを前提に展覧会を企画すればこれまでにないものが生まれるかもしれない、といったことを書いた。では今後、「美術館・図書館」にどのような可能性が考えられるか、具体例を挙げて示せという注文だった。
美術館と図書館の複合施設というと、パリのポンピドゥー・センターをはじめ、山口情報芸術センター(YCAM)、せんだいメディアテークなどが思い浮かぶが、いずれもメディア・テクノロジーを駆使した未来的な情報センターの様相が色濃い。だが、ぼくが太田市美術館・図書館で感じた、あるいは期待したのはそれとは真逆で、美術館と図書館が未分化な状態の博物館、いやそれ以前の古代の「ムセイオン」のイメージであり、規模は比ぶべくもないが、図書館や自然史博物館が分かれる前の初期の大英博物館のたたずまいに近いものだった。ぼくが興味を持つのはそうしたいささかアナクロな「知の宝庫」、というよりむしろ「未知の宝庫」とでもいうべきものなのだ。ここでは編集部の了承を得て、そんなことについて書いてみたい。
★1──村田真「開館記念展『未来への狼火』」(artscapeレビュー 2017年4月24日)
ヴンダーカマー(驚異の部屋)の効用
とりあえず大英博物館を出発点としよう。1753年に設立された世界で有数のこの博物館の基礎を築いたのは、ニュートンに次いでロイヤル・ソサエティの会長に就いた医師で収集家のサー・ハンス・スローン(1660-1753)であり、彼が集めた動植物の標本や版画、書籍など8万点に及ぶコレクションが遺言により国に寄贈され、博物館が成立した。ハンス・スローンの生きた17-18世紀といえば、大航海時代を受けて新大陸から多くの生物学的、地質学的、民族学的発見がもたらされ、ようやく近代科学が芽生え始めた時代。それ以前の16世紀から西洋の宮廷では自然物、人工物を問わず珍しいものならなんでも集めた「ヴンダーカマー(驚異の部屋)」が流行していたが、ここにも未知の大陸や島々からもたらされた珍品奇品が流入し、次第に王侯貴族の趣味の部屋から博物学者の研究室へと変化していく。膨大なコレクションを有するハンス・スローンも、生前はヴンダーカマーを築き、「ロンドンの大ガラクタ屋の親爺」などと揶揄されていたという。そんなガラクタ屋のように混沌としたヴンダーカマーこそ「未知の宝庫」といっておこう。
ついでにいうと、大英博物館の設立より70年も前の1683年にオックスフォード大学内に開館したのが、世界最古の博物館とされるアシュモレアン博物館。そのコレクションの核を成すのが植物学者のジョン・トラデスカント父子による収集物であり、彼らこそイギリスで初めて本格的なヴンダーカマーを築いた人物だった。そのコレクションは歴史家でやはり収集家のエリアス・アシュモールに受け継がれ、アシュモール自身のコレクションとともにオックスフォード大学に寄贈され、その名を冠してアシュモレアン博物館となったのだ。
このように、個人のヴンダーカマーが受け継がれて美術館や博物館として一般公開される例もあるが、それはごく一部のコレクションにすぎず、大半は時代遅れの長物として四散してしまう。運よく美術館や博物館に移管されたコレクションも、19世紀の科学や美学美術史の発達に押されて自然物と人工物に分けられ、近代的な分類体系に従って再編されていく。とりわけMoMA(1929年開館)に始まる装飾のないホワイトキューブの展示室や、作品同士が干渉しないように距離を置くディスプレイ、進歩史観に基づく体系的な作品配列などの採用は、神秘主義的ともいえるヴンダーカマーの世界観を一掃するに十分だった。そもそもヴンダーカマーとは動物の剥製から植物標本、サンゴ、宝石、楽器、絵画、彫刻、自動人形まで、さまざまな珍品奇品がところ狭しと並ぶコレクションの集積だが、これらは陳列室にデタラメに散りばめられていたわけではない。例えば水・土・火・風といった4大元素に分けて陳列したり、自然物─古代彫像─人工物─機械という連鎖に基づいて配列するなど、コレクション全体がひとつの小宇宙(ミクロコスモス)を成すように構成されていたという。いささかオカルティックではあるけれど、このようなモノ同士が織りなす原初的世界観は、情報のみが飛び交うネット社会にあってこそ重要度を増すのではないか。
こうしたヴンダーカマーの妖しげな残り香の漂う場所が、じつは大英博物館の近くにある。リンカーンズ・イン・フィールズに面したサー・ジョン・ソーンズ美術館だ。奇しくもハンス・スローンの没年(それは大英博物館の設立年でもある)に生まれたジョン・ソーン(1753-1837)は、イギリスの新古典主義を代表する建築家。美術館は彼の死後自宅をそのまま公開したもので、外観は普通のテラスハウスだが、一歩なかに入ると異空間が待ち受けている。建物の中央は吹き抜けで、壁や柱には建築のディテールや古代彫刻の石膏キャストがところ狭しと飾られ、階下には古代エジプトの石棺が置かれている。ホガースやカナレットらの絵画は開閉式のパネルの内側にも外側にもびっしり掛けられ、限られた面積を有効活用している。おもしろいのは部屋のあちこちに凸面鏡が掛けられ、ただでさえ過密なコレクションをさらに増殖させていること。ジョン・ソーンの時代にはすでにヴンダーカマー熱も冷めていたが、ここではコレクションを時代順や地域別に分けずに混沌としたまま提示することによって、モノ自身に語らせているのだ。ここにヴンダーカマーの面影を見ることができる。
このようにコレクション(特に絵画)を壁いっぱいに飾るのは、17世紀のフランドルを中心に裕福なコレクターのあいだで流行った展示方法だ。壁面が見えなくなるほど絵画で埋め尽くすことで、コレクションの豊富さを誇示する目的もあり、そうした収集室を描いた「ギャラリー画」というジャンルまであった。例えば、ヴィレム・ファン・ハーヒトによる《コルネリス・ファン・デル・ヘーストの収集室》を見ると、ざっと数えて36点の絵画が描かれているのがわかる。なかにはルーベンスや失われたファン・エイクの作品もあり、コレクションのカタログ・レゾネの役割も果たしていたようだ。いまでもたまにこうした展示をする美術館に出会うと狂喜してしまうのはぼくだけだろうか。
その代表的な物件がパリのギュスターヴ・モロー美術館だ。象徴主義の画家ギュスターヴ・モロー(1826-98)が死後、自宅を美術館として公開したもの。だいたい自宅やアトリエを公開した個人美術館には習作や売れ残った小品が多く、がっかりすることもしばしばだが、モローは生前ほとんど作品を売らなかったため、ここには代表作がほぼそろっているのだ。2階、3階が展示室で、どちらも壁に隙間がないほど油絵に埋め尽くされている。こうした面的展示は19世紀まで珍しいものではなかったが、徐々に壁面に対する画面の占める割合は減り続け、MoMA以降は単線的展示に統一されていく。たしかに線的な配列は、見る者の気分を主催者の企図するストーリーに導きやすいという効用がある。だがそれは、ぼくのように脇道や寄り道を好む人間にとっては少々窮屈でもある。その点、この美術館は目移りしほうだい、どこに目移りしても別の作品が目に入ってくる仕掛けだ。2階の正面には3階へ上がる美しい螺旋階段があり、これも同館の魅力のひとつだが、注目したいのは階段より、床にデンと据えられた「棚」のほうだ。扉を開けると額に入った素描や水彩が整然と並び、自由に引き出して見られるようになっている。棚(キャビネット)はヴンダーカマーでも重要なアイテムであり、「キャビネット・オブ・キュリオシティ」といえば、ヴンダーカマーとほぼ同じ意味の「珍奇陳列棚」を指す。
ギュスターヴ・モロー美術館
思考回路を複線化する珍奇なモノたち
さて、そろそろ日本に目を向けなくてはならない。日本には本草学というのはあったが、博物学の歴史も大航海時代の記憶もないので、ヴンダーカマーのようなコレクションは形成されなかったし、その名残をとどめる場所もない。と思いがちだが、じつはそうでもない。というより、ここほどヴンダーカマーの名残をとどめる場所は世界でも少ないのではないか、と思わせる場所がある。それも東京駅のすぐ横に。JPタワーの2、3階に位置するインターメディアテクがそれだ。
ここは日本郵便株式会社と東京大学総合研究博物館の協働で運営するミュージアムで、2013年にオープン。ハイテクなメディアセンターを予想させる名称とは裏腹に、東京大学開学(1877)以来140年にわたり蓄積されてきたおびただしい量の学術文化財が、これでもかというくらいに常設展示されているのだ。ざっと見渡すと、クジラ、キリン、サル、カメなどさまざまな動物の骨格標本、絶滅した怪鳥モアの卵、地球儀、天球儀、望遠鏡などの道具や機械類、抽象彫刻を思わせる数理モデルの石膏像、びっしり並んだ革張りの古書、そして東京帝大時代から使われている年季の入った陳列棚や陳列ケース……。もちろんここには4大元素の分類とか、自然から人工までの階層づけといったオカルティックな体系はないが、かといって進化論に則って配列されているわけでも、観客のための導線があるわけでもなく、そこにあるモノたちをどこからでも自由に見て、驚き、楽しめばいいという態度なのだ。いまだ体系立てられていない宝の山、これこそまさに「未知の宝庫」と呼ぶにふさわしい。館内が撮影禁止になっているのも、実際に目で見て体験してほしいとの理由による。
インターメディアテク2階常設展示風景
© インターメディアテク 空間・展示デザイン © UMUT works 2013-
展示の基本は常設展で、特別展も行なうが、期間は長く常設展と変わらない。2年前から開かれている「ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』」は、東洋美術のコレクションで知られるパリのギメ東洋美術館から寄贈された6台の古い陳列ケースを公開するもの。タイトルの「驚異の小部屋」とはコンパクトなヴンダーカマー、つまり珍奇陳列棚(キャビネット)にほかならず、棚やケースを重視するこのミュージアムの趣味を物語っている。もちろん陳列ケース内にはいろいろモノが並べてはいるけれど、主役はあくまでケースのほうなのだ。美術館でいえば額縁や台座の展覧会を開くようなもの。こういう「趣味」のいい展覧会はなかなかほかでは見られない。
インターメディアテク内ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』展示風景
© インターメディアテク 空間・展示デザイン © UMUT works 2013-
このインターメディアテクの母体となった東京大学総合研究博物館も必見。前身の総合研究資料館が本郷に開館したのは1966年で、96年に博物館に改組された。ここは見た目の大きさこそインターメディアテクにはかなわないものの、いにしえのヴンダーカマーのエッセンスがより色濃く残されている。入るとまずガラス張りの「コレクションボックス」があり、これはまさしくヴンダーカマー。ざっと挙げると、モース発掘の大森貝塚の深鉢土器、五十嵐邁博士蝶類コレクション、ネジレモダマの果実、アメリカ大陸最古の黄金製装身具、日本の油田の原油標本、明治期収集の埴輪、赤カンガルーの毛皮、ナウマンゾウ化石、銅鼓、ネアンデルタール幼児生体復元、タイ仏画、広島・長崎の被爆瓦……と、時代も地域もジャンルも自然も人工も超越した異種混交のコレクションが収まっているのだ。価値の有無や機能の違いなどいっさい関係なく、異なるモノたちが共存している情景を見るのは現在では得がたい体験だ。これはひょっとして、現代の情報社会において単線的になりがちな思考回路を複線化し、交差させる効用があるかもしれない。
東京大学総合研究博物館本館 外観[提供=東京大学総合研究博物館]
コレクションボックス[提供=東京大学総合研究博物館]
その奥に進むと、長い通路の片側が幅50センチほどの陳列ケースになっていて、そこに隕石から植物、昆虫、魚類、哺乳類、人類まで長さ数十メートルにわたって進化論的に標本が並び、その下はすべて資料の詰まったキャビネットに当てられている。なぜ資料が詰まっているとわかるのかといえば、一部が少し開いて内部が見られるからだ。つまり目に見えぬところにも膨大な学術文化財が隠されているとアピールしているわけだ。通路のもう一方には展示室が並び、「学問の継承」「モノの文化史」「無限の遺体」といったテーマ展示が行なわれ、さらに奥へ進むとガラス張りのラボがあって、白衣の研究者が働いているのが見える。これら全体で「UMUTオープンラボ」という常設展示となっている。
標本回廊[提供=東京大学総合研究博物館]
さすがに総合研究博物館というだけあって、見て楽しむインターメディアテクに比べればすっきりモダナイズされている。それにしても、優に300万点を超すといわれるコレクションのなかには単なるガラクタにしか見えないものもあり、それを後生大事にキャビネットに保管していることに感動を覚えるのはぼくだけではないはずだ。モノを集めて残すことができるのは、それなりの場所と経済的余裕と、なにより知的好奇心がなければできないこと。東大だからこそ可能だったといえるだろう。知の集積する最高学府に「未知の宝庫」をたずねる。こんな贅沢なことはない。
インターメディアテク
東京都千代田区丸の内2-7-2 KITTE 2・3階
開館時間:11:00〜18:00(金・土は20時まで開館)入館は閉館時間の30分前まで
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日休館)、年末年始、その他館が定める日
入館料:無料
Tel:03-5777-8600(ハローダイヤル)
http://www.intermediatheque.jp/
ギメ・ルーム開設記念展『驚異の小部屋』
会期:2015年10月2日〜
http://www.intermediatheque.jp/ja/schedule/view/id/IMT0080
東京大学総合研究博物館
東京都文京区本郷7-3-1 東京大学本郷キャンパス内
開館時間:10:00〜17:00 入館は閉館時間の30分前まで
休館日:土曜日・日曜日・祝日・年末年始・その他館が定める日
入館料:無料
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/