2019年08月01日号
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フォーカス

「見えないこと」から「見ること」を再考する
──視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ

林建太(視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ)/中川美枝子(視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ)/白坂由里(美術ライター)

2019年07月15日号

晴眼者と視覚障害者が一緒に美術を鑑賞する。そのとき、障害の有無にかかわらず、多様な背景を持つ人が集まり、美術作品を通じて語り合う場がつくられる。2012年に発足し、横浜美術館、東京都現代美術館など全国の美術館や博物館でこうしたワークショップを企画運営している「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」。視覚中心のアートをどうやって見るのか、実際にワークショップに参加してみて新たな発見があった。代表の林建太氏とスタッフの中川美枝子氏へのインタヴューを交えてレポートする。

対話で作品を鑑賞する

視覚障害者向けの美術鑑賞と聞くと、触れる作品や触察立体教材を思い浮かべるかもしれない。「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」では、そうした視覚の代用や善意に基づく障害者支援的な発想ではなく、絵画や写真などを中心に、展示されている作品そのものについて言葉を通じて語り合いながら見る、一人では出会えない美術の楽しみ方をつくりだしている。団体のメンバーは晴眼者2名、全盲者2名、弱視者1名の5名。これまで「ヨコハマトリエンナーレ」や「六本木クロッシング」といった展覧会でも行なわれているが、その美術館・博物館を象徴し、自分でも再び見に行けることからコレクション展を主として行なわれている。

筆者は、6月8日、東京都写真美術館で開催中のコレクション展「TOPコレクション イメージを読む 場所をめぐる4つの物語」の会場で開催されたワークショップに参加した。以前から興味をもっていて、今回が初参加。鑑賞者の一人として楽しみに出かけた。

最初に代表の林建太氏からワークショップの進行について「あとで忘れてもいいですから」と前置きしつつ簡単な説明があった。「作品について、色・形・大きさ・モチーフなど『見えること』と、印象・感想・解釈など『見えないこと』についてその両方を言葉にするようにしてください」と。そして、本屋で本を買う場合を例に挙げ、「目的の本を買いに行くのではなく、ふらふらと棚をさまようようなイメージで」と伝えられた。



ワークショップはまず参加者の自己紹介とガイダンスから始まる


ナビゲーターは林建太氏と中川美枝子氏のふたり。中川⽒は⼩学校4年⽣までは弱視で⾒えていた記憶があるが、現在は全盲である。「視覚障害者とつくるワークショップ」に参加しているうちにナビゲーターになったという。スタッフでもある⽩⿃建⼆⽒は今回は参加者として加わっていた。ちなみに筆者は、生まれたときから全盲の白鳥氏が以前「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」でナビゲーターをしていたときに参加したことがある。あらためて聞いてみると、恋人と美術館に行って楽しかったことがきっかけとなり、一人でも美術館に出かけるようになって、美術館スタッフと話をするうちに「全盲でも絵画を鑑賞できるのではないか」と対話型の鑑賞ワークショップを思いついたという。そして1999年にエイブル・アート・ジャパンとの共同企画、続いて2000年にMuseum Approach and Releasing(MAR)が発足し、活動を始めたそうだ。「恋人と行ったことが楽しかったのに、美術館が楽しいと勘違いしちゃったんですね」と笑う。「視覚障害者とつくるワークショップ」でもこうして活動している。

公募による参加者は、盲導犬を連れている初参加の女性、介助者と一緒に参加したリピーターの男性など、筆者を入れて7人。見える人と見えない人がペアになり展示室へ移動。

コレクション展のなかからあらかじめ選ばれた3作品を1作品20分ほどかけてじっくり鑑賞した。まず初めに見たのはW.ユージン・スミス《カントリー・ドクター》(1948)。アメリカの田舎町でたった一人の開業医セリアー二の多忙な生活と仕事を切り取り、写真週刊誌『LIFE』に掲載されたフォトエッセイの古典的名作であるが、最初から解説は読まず、そのうちの1点の写真の前に集合する。まずは晴眼者よりサイズなど作品形式から始まり、「白い服を来た男性がキッチンの流し台にもたれかかるように立っている」「視線を斜め下に落としていて、考えごとをしているよう」「ぼうっとしている表情にも見える」「片手にコーヒー、片手にタバコを持っている」といった被写体の外見、モノクローム写真である、というようなことが伝えられた。白衣と丸帽が「中東の民族衣装みたい」だという声もあり、もたれかかるポーズを自分でやってみる人もいた。見えない人に伝えようとするとよく観察するようになり、タバコの短さやコーヒーの量に目が行く。白衣に血のようなシミが少し飛び散っていることにも気づき、「彼が医者であれば、難しい手術の後、休んでいるのかも」といった意見。それに対して「シミはぽんぽんとかすかにあって、大きな手術後には見えない」「この体勢でタバコを吸いながらコーヒーをどうやって飲むのか。なんとなく不自然」「ティースプーンが男性の反対側にある。誰かに手渡されたのでは?」という疑問の声も。見た目としては小さな部分にたくさんの情報が含まれていて、イメージが拡散する。「⾒えないこと」=撮影プロセスについて想像が広がり、「完全なドキュメンタリーなのか、それともある程度演出が入っているのか」といった疑問も湧いてきた。写っているものすべてが説明できる記号ではなく、たくさん曖昧な要素を含んでいる。林氏によると「それぞれの人の見方によって作品のイメージにズレが出てくる、そこからが始まり」だという。



展示室での風景


次に、奈良原一高《緑なき島—軍艦島》(「人間の土地」、1954-56)の展示室へ進む。明治から昭和時代に海底炭鉱で栄えた、長崎港外17キロの沖合に浮かぶ端島、通称「軍艦島」(1974年閉山)。その労働現場や生活風景を捉えた44点が展示された空間全体を見渡してから、参加者の声をきっかけとして子どもが遊んでいる写真を選んだ。タイトル通り、水のないプールの中でボール遊びをしている子や妹の遊ぶ様子を見守っている子など、子どもたちの様子をまず言葉にする。「どんなところでも子どもは遊び場を見つけるんだな」という感想。「プールの後ろには木造長屋みたいな建物がある」と周辺の風景も伝えられた。軍艦島に詳しい視覚に障害のある参加者からは「軍艦島にはエリート集団が働いていて、豊かで近代的だったはず」という知識も提供され、会場にあった高層アパートの写真も確かめた。撮影されたのはどんな時代で、軍艦島とはどんな場所だったのか、さらに調べたくもなるような会話だった。



展示室での風景


最後に山崎博の《10 POINTS HELIOGRAPHY》(1982)の展示室へ。「斜めに伸びた光」「ピンクや紫っぽい色調」「下の方に家のシルエットが写っている」「同じようなものが何カットもあるが、色や光など同じではない」「長時間露光による写真かな」といったことが伝えられる。「何を写したどういう写真なのか、カメラに詳しくない自分にはこれを面白いと思う見方がわからない」という戸惑いの声も。そこへ「抽象画を見るような楽しみ方もできるんじゃないか」と白鳥氏が助け舟を出す。キャプションの情報から、実は1982年9月13日と14日、午後3時から6時までの3時間の長時間露光により、午後の太陽の軌跡を、作家の自宅のある東京・調布を中心に都内10か所で一斉に捉えられた記録的な写真だということが明かされる。参加者からは「肉眼では見えない、カメラの目でしか見えない写真」「写真ってこういう世界もあるんだと見え方が変わった」という意見も出てきた。


展示室での風景


展示室から戻り、皆で鑑賞を振り返る。「写真の中に見えるプールの中(の子ども)と外(にいる写真家)という関係性があり、写真には写っていないフレームの外にも軍艦島と海という関係性があり、さらに外の世界にも想像が広がっていく。そうした入れ子構造の複数の段階を行き来していると、外側へ向かっていく解放感も感じられれば、徐々に狭くなる内向きの閉塞感も感じられる。そういう二重性を体験できたのが面白かった」という中川氏の想像力が作品の見方を深く掘り下げた。また、山崎博の作品で「面白さがわからない」と言う意見が出たこともよかったと言い合った。そこから未知のもの、言葉にできないことを考える豊かな沈黙が生まれたからだ。東京都写真美術館の担当学芸員・武内厚子氏は「参加者から意見が出ない場面がありましたが、それは見たことのないものに出会ったために、その感じをどう言葉にしようかと考えている時間だった」と言う。本展は「場所」をテーマに構成されていたが、時間の表現でもあった。写真は具体的とも真実とも限らない。ドキュメントかフィクションか、写真ってなに? というところまで思考が及んだワークショップだった。



鑑賞が終わった後の振り返りの時間


曖昧さやわからなさがイマジネーションをひろげる

後日、林氏と中川氏にあらためてインタヴューを行なった。まずは「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」をつくるまでの経緯を尋ねた。介護福祉士であった林氏が20代の頃、美術や映画が好きで、視覚障害者の友人と美術館に行ったことがあった。「そのとき私は展示されている絵について、構図や色やモチーフなど、描かれていることをできるだけ明確に伝えたつもりだったのですが、友人からは『何か面白くないんだよね』という反応が返ってきました。もしかすると彼には目の見える私とは別の面白さの感度があるのかもしれない。それじゃあ『目の見える人、見えない人双方にとっての美術鑑賞の面白さって何だろう?』ということをいろいろな人と一緒に考えてみたい、という問いの発見が、言葉で話し合いながら作品を見るワークショップができないかと思った始まりです」。



林建太氏



今回ナビゲーターを務めた中川氏は、国際関係学科比較文化コースで文学を研究していた大学時代、海外に興味のある友人たちが多く、授業が早く終わった際に美術館に行く友達を見てカッコいいなと思ったのがきっかけだという。「中高生時代には盲学校の行事で美術館に行くことはありましたが、触れる作品と解説役のボランティアが必ずいたので、自分一人でふらっと美術館に行く経験もなければ、行き方や楽しみ方も知りませんでした。触れるものがあるとか、学芸員に話を聞くとか、音声ガイドを聞くことで大学の友人たちと同じ経験ができるのか疑問に思いましたし、美術館で声をかけてサポートを受けるのもちょっと気が引けて。そんなときこのワークショップのことを知って、参加してみたら面白かったんです。ちょうど卒論でユダヤ人作家について書いていたので、クリスチャン・ボルタンスキー展(東京都庭園美術館、2016)で開催されたときには授業をサボって行っちゃった(笑)」。ナビゲーターになってからは、前もって作品の概要を頭に入れて、視覚障害の参加者のイメージをつくるサポートをしたり、話題がひとつに集中しているときに、参加者の方に別の観点からコメントを投げ返してみたりと、さまざまな働きをしている。



中川美枝子氏



取り上げる作品は、林氏がスタッフと相談しながら「皆で⾒たら何か起きそう」だというものを選んでいる。「参加者は見えているものだけを淀みなく説明するのではなく、主観や思い込み、沈黙、言語にならないノイズのようなことも口にしていいんです。社会の多くのルールが多数派である晴眼者向けにつくられており、視覚芸術もそのひとつだと思います。けれど多数派の立場で暮らしていると、そもそもそのことに気づきにくいのではないかと。このワークショップでは、多数派である晴眼者、少数派である視覚障害者にとってのルールをそれぞれ尊重しながら眺めてみようという試みをしています」。そんな林氏は話題の脱線を見守り、「どう思いますか?」という質問もすれば、自分が思ったことも発言する。

「このワークショップでは、晴眼者と視覚障害者のイメージを一致させることがゴールではありません。晴眼者にとっての鑑賞の経験と視覚 障害者にとってのそれはどうやら違うもののようです。だから無理に一致させようとすれば誰かが窮屈な思いをしてしまう。晴眼者が美術鑑賞する場合、視覚に頼る割合が圧倒的に高い。それが晴眼者の主流派でしょう。しかし視覚障害者、特に全盲者の鑑賞経験では目を使わない。その代わりに言葉を使ったり、蝕察模型を使ったり、自分の記憶や経験を使ったりと比較的パターンが豊富で、主流となる方法が何かははっきりとはしていません。ですから多様な鑑賞経験のパターンを知るには、通常より少し解像度を上げて語る必要があると思います」。

鑑賞者のなかで何が立ち上がるか


展示室での風景


一方で中川氏には「見えるということがどういうことか知りたい」という動機がある。10歳までの記憶が反射的に出てくるが、最近はそこにばかり頼らないようにしているという。「見える人たちがどうものを見ているのか、見えない人たちがどうものを見ているのか、話し合うことで風を通せるのではないかと思って」。大事なことは「自分の鑑賞体験ができているか」だと語る。「言葉通りに同じ構図を思い描くことは、日常的な作業であって難しくないんです。例えば場所を聞いたときに頭の中で地図を描くとか、数学の授業で問題となるグラフや図を先生が言葉で説明しそれを思い描くとか。構図を描けるということは曖昧さを取っ払ってしまうからそこで思考が止まり、美術作品を見たという経験は味わえないんですね。例えば『鳥みたい』と言っていたら、なにが『〜みたい』と言わせているのか、個々に印象が違う不確定な要素が入ることによってイメージが広がります。自分なりのわからなさや自分なりに作品を観た印象が立ち上がってきたところで、やっと作品を見ることの面白さを感じる。それが生まれてくれば、ああ、わたしはこの作品を経験したなと思えるんです」。

言葉をあてはめた途端に作品の印象やイメージが縛られてしまうこともある。「だからこそいろいろな人の言葉を持ち寄ることでグラデーションのようにぼかしていける。その人たちの力を借りたというところで止まらずに、自分なりに立ち上げたというのがあれば自分の鑑賞経験だと思います」。

林氏も「助ける/助けられる、ギフトを渡す人/渡される人という関係に縛られず、いろいろな言葉がその場に置かれ、ふらふらとその場に漂うような環境をつくりたい」と応える。「見るということは見間違えることでもある。たくさんの見間違いを一瞬で捨ててひとつの選択肢を言葉にしている。だから見るという行為はひとつのゴールにたどり着くと思われがちですが、実は無数の可能性を孕んでいる。ならば皆で迷子になってみましょうと。誰もわからないことをみんなで考えてみて、ものの見方、感じ方を変えるきっかけになればと思っています」。

最後に、ワークショップを振り返っての感想を述べてみたい。見えるものについての情報が伝えられた後、作品について話し込んでいくうちに、筆者自身は⾒える⼈か⾒えない⼈かはほとんど気にならなくなっていた。美術を見る行為とは、見えるものを見つつも、そこに潜む見えないものを見ようとする行為でもある。現代美術は特に一見でわからないことも多く、作家の言葉や時代背景、あるいは展示空間での体験など、さまざまなヒントを総動員して見方が変わることもしばしばだ。作家自身も視覚だけで制作しているわけではないので、見えない人が近接していく領域があるのかもしれないとも思った。

作品そのものも大事ではあるが、作品を媒介として、鑑賞者と作品との間に⽴ち上がるものがアートであるならば、それをつくるということにもなろう。だからこのワークショップは、誰が⾒ても同じ”答え”を探して視覚障害者と「⾒る」のではなく、毎回異なる他者とその都度「つくる」美術鑑賞なのだろう。作品が作家からも離れ、鑑賞者のなかでどう自立していくのか。そして、それぞれ立ち上がったものをどう共有するのか。「インスタ映え」の流行で、現代アートを鑑賞する人口は確実に増えたけれど、一瞥でしかないような鑑賞も少なくない。アートを見るとはどういうことか、いま一度考えさせられた。


★──100%光を閉ざした空間で、視覚障害者が晴眼者をガイドするエンターテインメント。暗闇のなかにはどこにでもあるような町が作られており、参加者は白杖を持って視覚以外の感覚をフルに使って日常を体験する。1988年、ドイツの哲学者アンドレアス・ハイネッケの発案で始められ、現在まで世界41ヵ国以上で開催されている。https://did.dialogue.or.jp/


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美術鑑賞における情報保障とは何か|田中みゆき:キュレーターズノート(2018年05月15日号)


「視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ」の今後の開催予定

横浜美術館企画展「Meet the Collection──アートと人と、美術館」

日時:2019年7月27日(土) Aコース 12:30〜14:30/Bコース 16:00〜18:00
定員:各回7名(事前申込制、応募多数の場合は抽選)
申し込み締め切り:2019年7月19日(金)
参加費:1,000円(別途展覧会観覧料が必要です)
観覧料:一般500円、大高生300円、障害者手帳をお持ちの方と付き添いの方1名は無料
会場:横浜美術館
主催:視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ
詳細と申し込み方法:「アートフラッシュニュース」のページをご確認ください。https://artscape.jp/exhibition/art-flash-news/2019/10156078_21446.html

TOPコレクション イメージを読む 写真の時間

日時:2019年9月1日(日)、10月13日(日)各日10:30〜13:00
会場・主催:東京都写真美術館
詳細と申し込み方法:http://topmuseum.jp/contents/workshop/index.html(7月14日現在、まだ申し込み受付は開始されていません。美術館ホームページのアップデートでご確認ください)

※最新情報は下記のページでご確認ください。
視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ:https://www.facebook.com/kanshows/

関連するワークショップの開催予定

大竹伸朗 ビル景 1978-2019
視覚に障害がある人との鑑賞ツアー「セッション!」

白鳥建二氏がナビゲーターを務める水戸芸術館現代美術センター企画のプログラム。

日時:2019年9月14日(土)、15日(日)各日14:00〜16:00
会場:水戸芸術館 現代美術ギャラリー
詳細と申し込み方法:https://www.arttowermito.or.jp/gallery/lineup/article_5060.html



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    ──視覚障害者とつくる美術鑑賞ワークショップ

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