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【パリ】没後500年 レオナルド・ダ・ヴィンチ展

栗栖智美(美術ライター、通訳、コーディネーター)

2019年12月01日号

この冬、パリで最も話題になっている展覧会といえば、ルーヴル美術館で開催されているレオナルド・ダ・ヴィンチ展をおいてほかにはないだろう。企画準備に10年をかけ、レオナルドの没後500年を記念して行なわれるとあって、テレビも雑誌もパリのバスやメトロの広告でもレオナルドを見ない日はないくらいの力の入れようだ。当展覧会は完全予約制。3ヶ月前から予約を開始したところ、オープニングの時点で33万人の予約を記録したというから、鑑賞者側の期待も高い。
今回は筆者も3回展覧会を鑑賞、さらにはレオナルド・ダ・ヴィンチが最期を迎えたアンボワーズにも小旅行に赴いた。この冬の「レオナルド祭」に便乗、500年前の万能の天才の足跡を追ってきたのでご紹介しよう。


ルーヴル美術館外観


レオナルド・ダ・ヴィンチについては、よく知られていると同時に謎の多い画家でもあり、展覧会に合わせて多くの雑誌で特集が組まれ、数奇な画家の隠された真実にさまざまな言及がなされている。

このレオナルド・ダ・ヴィンチ展は、話題性に惹かれて足を踏み入れると、絵画作品が少ない印象を受けるかも知れない。有名な代表作のための素描が会場をほぼ埋め尽くしている。がっかりする人がいるかもしれないが、世界中でレオナルドの作品と確定されているものは最大で21点(専門家でも15点から21点の間で意見が分かれている)しかないことを知れば納得がいく。そのうち5点がルーヴル美術館所蔵だが、最も有名な《モナ・リザ》はこれを目当てに1日3万人が訪れるという常設の特別室に鎮座したままだ。企画展には常設展の鑑賞料も含まれているので、ぜひ足を運んで《モナ・リザ》までコンプリートしていただきたい。



《モナ・リザ》(c. 1503–19) 赤外線反射画像


当展覧会には、レオナルド作と言われている10点の絵画作品を含む180点(うち162点がレオナルドの作品)ほどの作品が展示されている。試しに展示されている絵画作品を挙げてみると、《ブノワの聖母》《荒野の聖ヒエロニムス》《岩窟の聖母》《音楽家の肖像》《ミラノの貴婦人の肖像》《糸車の聖母》(2バージョン)、《聖アンナと聖母子》《サルバトール・ムンディ(救世主)》《洗礼者聖ヨハネ》と、世界中にある作品の半分が一堂に会しているのは前代未聞である。また、エリザベス2世コレクション、ビル・ゲイツコレクションなど世界9カ国から集められたデッサンも見応え十分で、レオナルド・ダ・ヴィンチの足跡を500年後に辿るにふさわしい壮大な展覧会となっている。

4つのパートで辿るレオナルドの軌跡

展示は、レオナルドの初期から晩年まで年代順に4つのパートに分かれている。

フィレンツェで当時の偉大な彫刻家ヴェロッキオの工房で腕を磨いた修行時代は「影・光・レリーフ」という部屋に集められる。工房で行なわれていた粘土を布に浸して固定した衣紋を描く習作からスタートし、レオナルドと署名のある最初の風景画《アルノ谷の風景》、《受胎告知》やヴェロッキオとの共作《キリストの洗礼》へと続く。画面左の天使像を描いたレオナルドの画力に圧倒され、師匠ヴェロッキオはその後筆を絶ったという伝説(史実とは異なるらしい)が残る作品だ。若々しくも卓越したデッサン力を遺憾なく発揮した彼の初期の作品に鑑賞者も驚きを隠せない。



左:ドレープの模型(粘土を布に浸して固定させると長時間デッサンできる)
右:レオナルド・ダ・ヴィンチによる衣服のドレープのデッサン Draperie Saint-Morys.(1475-1482) ルーヴル美術館蔵


次の「自由」という部屋では、ヴェロッキオのもとを離れ、キリスト教図像の神性を重んじた描き方に疑問を唱え、自然そのもの、科学的視点を用いたリアリティを追い求めて歩み始めるレオナルドの作品群が並ぶ。世俗的な母のような微笑みをたたえた《ブノワの聖母》や、苦悩の表情が迫真的な未完の大作《荒野の聖ヒエロニムス》、背景の自然描写に力を注ぎ、聖人の持物を否定した《岩窟の聖母》など、同時代の画家に先駆けて、目に見えるものをそのまま描くというルネサンスの自然科学主義を通した絵画作品の完成度の高さと革新性に見入ってしまった。



左:《荒野の聖ヒエロニムス》(1480-1482) ヴァチカン博物館蔵
右:《荒野の聖ヒエロニムス》赤外線反射画像


ミラノに移ったレオナルドは、当時のミラノ公国王に寵愛を受け名声を得る。レオナルドの傑作のひとつ《最後の晩餐》もこの時代に仕上げている。ミラノ大聖堂の円屋根の設計や、ミラノ公の巨大な騎馬像(用意されたブロンズが政情悪化で砲台をつくるために使われてしまった)を依頼されるなど、絵画以外の仕事も多かった。その後、ミラノ公国がフランス軍に侵攻され、彼は弟子とともにイタリアの地方を転々とする。

展示室も「科学」というテーマに移る。ここでは、世界中に散らばっている4000ページを超える手記の一部を紹介している。レオナルドは非嫡出子だったため、ラテン語をはじめとする正式な教育を受けることができなかった。その代わり、外へ出れば自然を観察し、それを詳細にメモしていた。例えば鳥の羽が動くしくみを分析し、空を飛ぶ機械へと応用するなど、自然観察と科学的発想において、後世のさまざまな技術発展の基礎を築いていたことはよく知られているところだろう。そんな彼の手記を間近でみられるとあって、この展示室では観客が一番時間を過ごしていたように思う。個人的には、病院に足繁く通い、解剖に立ち会って描いたという詳細な解剖学のメモが印象的だ。まだキリスト教的な祈りの医療とギリシャ時代のヒポクラテス医学が支配的だった500年以上前に、これだけ正確な筋肉や骨格、頭蓋骨、視覚に関する解剖図を描いていたのは驚愕に値する。しかも医者になるわけではなく、この知識を絵画表現に応用するためだったのだから、レオナルドの探究心には脱帽だ。解剖学だけではない。リアリティの追求のためだと思われる数々の水の流れのデッサンも、その後の橋や運河の水門の設計に繋がっており、底知れぬ好奇心と発想力にただただ感服するしかない。



首から腕にかけての筋肉解剖図 Etudes des muscles du cous, quatre études des muscles du cous, de l’épaule, du bras et des muscles pectoraux, diagramme géométrique de la rotation du bras (1510-1511) エリザベス2世ロイヤルコレクション蔵


4つ目の展示室は「生」。これまで得てきた知識や経験が《モナ・リザ》に結集する。特に、生身の人間には輪郭線というものは存在しないことから、輪郭線を描かず、ぼかしながら境界線を描くスフマート技法は、レオナルドのリアリティの追求と、光と影の表現、従来の絵画の規範から逸脱することで獲得した自由、そして自然科学的視点から抽出されたものだ。

生まれ故郷のフィレンツェに戻ったレオナルドは、ここで《聖アンナと聖母子》や《サルバトール・ムンディ(救世主)》を描く。スフマート技法により、より自然で、よりミステリアスな表情をたたえた作品だ。そして、最晩年はフランス国王の最高の画家、建築家、エンジニアとして招聘され、ロワール川流域にあるアンボワーズという街の邸宅で制作活動をしていた。最後の作品は、これまで何度も書いてきた《洗礼者聖ヨハネ》。ルイ・アラゴン枢機卿がクロ・リュセ城のレオナルドを訪れた時の記録や、最期を看取った弟子メルツィが描いた最晩年の肖像画とともに展覧会は幕を閉じる。



左:《聖アンナと聖母子》(1503-1519) ルーヴル美術館蔵
右:《聖アンナと聖母子》 赤外線反射図



《聖アンナと聖母子》(1500) ロンドンナショナルギャラリー蔵


レオナルド終の住処 クロ・リュセ城



アンボワーズにあるクロ・リュセ城


さて、展覧会を後にして、レオナルドが晩年の3年間を過ごしたクロ・リュセ城に移ろう。あいにく土砂降りの雨で広大な庭を十分に散策することができなかったが、庭園のそこかしこに、レオナルドのメモの通りに再現した戦車や橋などの機械が展示されている。実際に触れることができ、可動式の模型も多く、子供も大人も楽しんでいた。

クロ・リュセ城はフランソワ1世がひとときを過ごしていたアンボワーズ城と目と鼻の先に位置し、王が足繁く通えるように地下道で繋がっていたとも言われる。比較的コンパクトな邸宅で、1471年に建設された赤煉瓦の外壁が美しい建物だ。幼いフランソワ1世も姉とともにここで育っている。レオナルドの寝室、フランソワ1世の姉のマルグリット・ド・ナヴァルの部屋、15世紀末のシャルル8世の妻のために建てられた礼拝堂、レオナルドのアトリエ、ルネサンス様式の大広間、レオナルドの厨房、地下には彼の発明品のミニチュアの展示室という間取りだ。ルネサンス様式の重厚な家具やタピスリーが並べられているものの、18世紀や19世紀の貴族の邸宅と異なり、とても質素で重厚な雰囲気である。

レオナルドはクロ・リュセ城に《モナ・リザ》と《聖母子と聖アンナ》《洗礼者聖ヨハネ》を持ち込み、最後まで筆を入れていたと言われる。そのアトリエは近年修復したようであるが、実は文献や専門家の研究を参照せず、レオナルド時代以降の美術的価値の高い室内装飾などを壊してしまったことで批判も浴びている。だが、建築、彫刻、絵画と3つのパートに分けて、彼や同時代の工房がこのような雰囲気だったのだろうという雰囲気を味わえる展示室になっている。



レオナルドのアトリエ


ちなみに、赤いビロードのカーテンと彫刻が施された天蓋付きのベッドはレオナルドのものとして展示されている。その横に、このベッドに横たわるレオナルドを抱きかかえるフランソワ1世を描いたアングルの絵画が掲げられているのだが、王がレオナルドの最期に立ち会ったというのは伝説に過ぎない。フランソワ1世は1519年5月にはアンボワーズにはいなかったという歴史文献が存在するからだ。それでも、数々の画家たちに、国王が看取ったほどの画家というモチーフを提供し続けているレオナルドは、いつの時代でも伝説の画家だったのだろう。



赤いベッドのある部屋

400m離れたアンボワーズ城で、19世紀の中頃、人骨が発掘された。長さが180センチほど、置かれていた方角からは聖人ではないこと、そしてレオナルド・ダ・ヴィンチと読むこともできる文字が刻まれた石片や埋葬品も見つかったことから、この骨はレオナルド・ダ・ヴィンチで、国王の最高の画家として丁重に埋葬されていたことが判明した。現在はこの城内の修復された礼拝堂に遺骨を移し、石碑の下に埋葬されている。イタリア出身の画家がフランスの国王の庇護を得てこの地で亡くなったことが、イタリア(7作品)に次いでルーヴル美術館がレオナルドの作品を5点(うち3点は画家本人が最も大切にして最後まで手放さなかったものだ)も所有している理由のひとつである。



アンボワーズ城のサン・チュベール礼拝堂にあるレオナルドの墓


レオナルドを蘇えらせる現代テクノロジー

最後に、没後500年たった現代において、レオナルド展のふたつの「技術革新」に触れたい。まず、この展覧会では、実物を展示できなかった絵画作品も含めて15点の赤外線反射画像(réflectographie infrarouge)が展示されている。作品に赤外線を投射することによって、遅筆で何年も加筆しつづけていたレオナルドの年代別の進捗状況がわかるのである。鉄、銅、水銀、鉛など絵の具に含まれている成分を分析することができ、どのような加筆修正を経て現在の姿になるのかが明らかになった。これにより、人物の位置を変えて臨場感をもたせたり、背景の自然を靄の中に沈めて遠近感を強調したり、持物を付け加えたり、画家の葛藤を垣間見ることができるのだ。

もうひとつは、ルーヴル美術館初の試みであるEn tête-à-tête avec La Jocondeと名付けられたVR(ヴァーチャル・リアリティ)装置だ。最も有名な絵画《モナ・リザ》の謎は、この特別室の中で明らかにされる。スピーカーがついたヘッドセットをはめると、普段はガラスの向こうで半径2メートル以上は近づけない《モナ・リザ》を、じっくりと鑑賞することができるのだ。まずはルーヴル美術館の特別展示室が映され《モナ・リザ》を独り占めしながら解説を聞く。そしてモナ・リザが生身の人間(といってもCGだが)として目の前に現れ、彼女の秘密を教えてくれる。最後は、レオナルドが設計した船型の飛行機に乗り、絵画の背景に描かれた風景の中を周遊して終わる。すべてのシーンが360度見渡すことができ、臨場感あふれる《モナ・リザ》解説は、10分弱なのだがとても満足度が高い。



レオナルド・ダ・ヴィンチ展はルーヴル美術館における今世紀最大の展覧会とも言われ、世界中から一堂に会した傑作を一目見ようと、連日大変な賑わいである。鑑賞は完全予約制のため、必ずホームページから予約をしていただきたい。現在1月中旬以降の予約がまだかろうじて取れるようである。2月24日まで、期間中、一部の作品は展示替えをするので、機会のある方は何度か訪れても価値のある展覧会だと思う。

Léonard de Vinci (レオナルド・ダ・ヴィンチ)展

会期:2019年10月24日(木)〜2020年2月24日(月)
会場:ルーヴル美術館
Musée du Louvre, 75058 Paris, France

クロ・リュセ城

2, rue du Clos Lucé, 37400 Amboise, Val de Loire, France

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