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絵が生まれる場所──サンパウロ、ストリートから考えるまちとデザイン

阿部航太(デザイン/文化人類学)

2020年02月15日号

近年、アートと公共について捉え直す展覧会やトークイベントが増えてきている。今号では、デザイナー/ブラジルのストリートカルチャーの研究という二つの異なる視点から「公共」を考える阿部航太氏にご寄稿いただいた。美術館やアートセンターのような専門に特化した施設ではなく、より公共性の高い場所であるストリートから、創造性とその共有、それらを生み出す場のデザインについて考察してみたい。(artscape編集部)

ビルボードとグラフィティ

サンパウロの街を歩くと、ビルやマンションの外壁に窓が無い面があることに気づく。窓どころか扉も階段も凹凸すらない、まるで設計し忘れてしまったようなその間抜けな空白は、街のいたるところで見ることができる。サンパウロ中心部の現在の街並みは、1950年代の経済開発、そして60年代の高度経済成長の中で一気にかたちづくられたもので、現存する建築物はその時代に流行であったモダニズムの流れを汲む直方体のものが多い。その一面がまるまる空白になっている異様な姿を不思議に思い、現地の友人に質問したところ「あれはエンペナ(empena)といって、少し前まではあそこに巨大なビルボード広告があったんだよ」と教えてくれた。



ビルボード広告の名残があるエンペナ [筆者撮影]


都市の急速な発展に伴い、路上には多くの看板、広告が急増した。その後も色やサイズが規制されないまま2000年代に入り、いよいよコントロールできないまで乱雑になった結果、ついに2006年に施行された市の条例Lei Cidade Limpa(clean city law)により大型の屋外広告は一斉に廃止・掲示禁止となる。およそ15,000のビルボード広告が1年のうちに姿を消し、そのなごりがいまのエンペナという訳だ。現在、屋外広告があるのはバス停か駅のコンコースくらいで、現地の人々はテレビやスマートフォンなどの端末を介して広告に触れているようだ。


それから13年が経過した現在、そのエンペナの空白には「絵」が入り始めている。その建物の持ち主や、行政がアーティストに発注して(もちろんギャランティも発生する)描かれる「プロジェット(projeto)」と呼ばれる存在である。その内容はさまざまで、人種や性の平等を謳うものであったり、インディオ(先住民)をモチーフとしたルーツの発露や、ブラジルでは常々問題視されている過度な社会格差を風刺的に描いたものもある。それらの「絵」は(高層の建物での窓清掃に用いられるようなゴンドラを用いて)大きな外壁全面にカラフルに描かれる。



中央:エンペナに描かれたプロジェット 左:ビルボード跡に上書きされた縦長の文字=ピシャソン(無許可のグラフィティの一種/サンパウロのオリジナルのスタイル) [筆者撮影]



先住民インディオをモチーフとしたプロジェット [筆者撮影]


このプロジェットを「ストリートアート」と呼ぶか「グラフィティ」と呼ぶか、または「壁画」と呼ぶかは、そのカルチャーに対する思想やアプローチに関わることなので、ここでは議論しない。ただ先述したプロジェットのルーツがストリートに描かれた「グラフィティ」にあることだけは確かだ。プロジェットとは異なり、依頼や許可をもとにせず描かれたグラフィティはここでもすべて違法であり、その条件は日本とも変わりはない。ただ、違法であるにも関わらず、その数は膨大で(グラフィティが描かれていない通りなど無いのではないかとさえ思えてくる)、住人たちの多くはそれらを快く受け入れているような印象を受ける。僕が「グラフィティに興味がある」と話すと、誰もが自慢げに「この街はすごいだろ」と話し、「あのスポットへ行ったか?」と各々のお気に入りの場所やアーティストを教えてくれる。



路上に描かれる無許可のグラフィティ [筆者撮影]



「高架下」はグラフィティのスポットになりやすいパブリックスペース [筆者撮影]


80年代初頭に北米から伝わったこのカルチャーは(実際にはそれ以前のブラジルでも自発的に発生していたのだが)、ブラジルにも“正しく”ヴァンダリズムや反体制という思想のもとに伝わって来たし、サンパウロはそれを実践するにはある意味最高の社会背景・建築的環境を持つ場所だったのだろう。そしてそれは結果的に大きなムーブメントになり、違法だったはずの行為が、その国の中心地の風景を作る存在にまでなっていった。



プロジェットが多く存在する「5月23日通り(Avenida 23 de Maio)」[筆者撮影]
2017年、以前より増えつつあったグラフィティを疎む当時の市長によって、この通り沿いの多くの作品(ほとんどがその前の市長による依頼で描かれた)が塗り消された。この出来事は多くの議論を呼び、ストリートアートと社会との関係性を浮き彫りにした


ここで改めて強調したいのは、その出発点はグラフィテイロ(ブラジルでのグラフィティライターに対する呼称)という“個”が“勝手に”描いた「絵」である。あるグラフィテイロは自身の行為を「俺たちは行政が行き届かない場所をもう一度生き返らせるんだ」と説明してくれた。サンパウロは南米一の大都市と呼ばれているものの、実は都心部にすら未だに廃墟が多く存在している。日本のように大きな地震に怯える必要のないこの街では、朽ち果てた建物がそのまま残り、路上生活者がそこに住み着くケースも多い。そうした場所は大抵は治安が悪くなる傾向にあるのだが、そういった“ほころび”にグラフィティはまず描かれる。決して“グラフィティがある”から治安が悪くなるという順序ではなく、最初から治安が悪く行政から見捨てられたところを自分たちの手に取り戻す行為としてグラフィティは描かれる。実際に、サンパウロの西部ピ二ェイロスにあるバットマン路地(Beco do Batman)と呼ばれるエリアは、街灯も無く強盗も多く発生していた状態から、地元のグラフィテイロたちが自分たちの手でグラフィティを描き、人が集まるようになり、ギャラリーやカフェがオープンし、いまではサンパウロのグラフィティを見るならここ! と検索で必ずヒットする有名な観光地にまでなっている。



中心部の古くなった建物に密集するグラフィティ [筆者撮影]



バットマン路地(Beco do Batman)
カオスな雰囲気が『バットマン』の舞台であるゴッサム・シティを連想させるとのことで、この愛称がついたという [画像:阿部航太『グラフィテイロス』(2019)より]


まちづくりとデザイン

日本において“まちづくり”というキーワードはここ数年で飽和状態と感じるほど議論され、実践されている。施策はさまざまだが、主要都市で目につくのは巨大な資本が投入され、タワーマンションと大型商業施設のセットを軸としながら周辺を“キレイ”で“オシャレ”な場所へと塗り替えていくような、いわゆるジェントリフィケーションと呼ばれる再開発だ。それらの商業施設ではディベロッパーの開発費を手早く回収するためにその時代の売れ筋のテナントが入り、どの街の施設も同じようなコンテンツを持つようになる。その土地の特性は、開発時のコンセプトワードとして大々的に出ていたかと思いきや、完成して蓋をあけてみればその土地を象徴するモチーフをアイコン化し、意匠として施しただけの、なんとも表面的な表現に落ち着いてしまう。この手の開発の際におけるデザインは街の均質化に大きく加担している。


一方、地方ではコンサルタントやクリエイターが外部の視点からその街の魅力を“オシャレ”に表現して発信されていく。フォトジェニックな自然の風景や、地元の人たちのはじけるような笑顔。東京のデパ地下で売られていそうな洗練されたパッケージ。移住者や、まちと関わる人を増やそうとするその活動を、メディアをとおして見えてくるその表面だけで判断して否定するべきではない。それらも決して虚像ばかりではないだろう。ただ、どうしても「地方」や「自然」を強調する紋切り型の表現が多く見受けられ、そこに差異を見付けづらくなってしまっているのも確かである。


各々の深度はあれども、そこに介在するのは「デザイン」という、僕自身が生業としている行為だ。大規模な開発にも、小さなまちおこしにも、大抵のケースはそこにクリエイターが入り、デザインをとおしてその街をブランディングしていく。一番簡易なブランディングとは、ビジュアルイメージをひとつのものに統一して、それを繰り返し展開して刷り込んでいくことだが、それは商業的には効果的な方法だ。シンプルにわかりやすく。なるべくトーン&マナーを統一して。ただ、そこから抜け落ちているのは本来あるべき魅力的なまちの姿ではないか。まちという集合体は、ひとつの目的へ向かう企業とも、ひとつの思想に共感して結束するコミュニティとも異なり、特定の指針を持たずにある意味偶然の産物のように多様な価値観が混ざり合う場だ。その場の表現として、現状の商業的デザインをベースとするブランディングはどうも食い合わせの悪い手法として感じる。自戒をこめて、まちをつくるデザインとは何かをもう一度考え直す必要がある。

状態としての多様性

ブラジルの話がそのまま日本で通用するとは思わない。文化的、地理的、建築的背景の違いからしてもそれは当然だと思う。秩序を重んじ、管理体制が厳しい日本では、グラフィティは“落書き”と敬遠され、不良カルチャーのレッテルを貼られている。僕自身、似たような先入観を持っていたひとりだが、ブラジルでそのカルチャーに出会い直したことは、いままで当然のごとく受け入れてきた自国のまちのあり方に疑問を持つきっかけとなった。



アジア系の女性をモチーフとしたプロジェット [筆者撮影]



黒人をモチーフとしたグラフィティ
ブラジルでも未だに人種・民族における差別は存在している [筆者撮影]


サンパウロのグラフィティは多民族国家ブラジルが体現している「多様性」の現われだ。またしても飽和状態にあるキーワードだが、それは昨今で多用されている宣伝文句でも、モラリティでもなく、ただただ現存する状態である。そこにはポジティブな意味合いもあれば、摩擦や衝突といった煩わしさをも含む。誰かにとって快感を与えるグラフィティであっても、別の誰かにとっては不快感をもよおすものになり得る。「絵」は決して美しいだけのものではない。さまざまな人々の視線を交差させる装置だ。誰かがそのグラフィティに自身を投影して勇気付けられると同時に、別の誰かがいままで持ち得なかった新たな視点を突きつけられてうろたえる。「個」から発生したカルチャーが、さまざまな文化や価値観の違いから生まれる摩擦と複雑な豊かさがその街に「在る」という事実を可視化し、その状態の許容を促す。この、摩擦と豊かさが同時発生する状態を認め合うことが「多様性」を体現することだと僕は考えている。



ルーツが異なる女性たちをモチーフとしたグラフィティ
サンパウロではフェミニズムのムーブメントも盛んである/女性のグラフィテイラも多い [筆者撮影]


この日本にも既に「在る」多様性をデザインは今後どのように街で体現していけるのだろうか。──いままでの管理と統制という発信者の都合の良いメソッドを壊していく。現状の路上のマナーやモラリティを疑う(それは商業優先で設計された構造ではないか)。個人のリテラシーを高める。商業的構造を疑いながら、その構造を逆手に利用して街に価値を返していく。自然発生的に生まれる表現を許容するブランディング。言葉にするのは容易いが、僕自身も未だ効果的な手法を持ち合わせてはいない。ただ、まちを“「絵」が無いキレイな状態にする”ことだけがデザインではないはずであって、“「絵」が発生する状態にする”こともデザインができることだ。デザインの根源はコミュニケーションだ。そのコミュニケーションを制御するのではなく、解放する方に僕はデザインの未来を感じる。



サンパウロ郊外にあるスケーターたちが自主的に作ったスケートパーク [筆者撮影]



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