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【台北】あなたと私は違う星に住んでいる。──台北ビエンナーレ2020

栖来ひかり(文筆家/道草者)

2020年12月15日号

「你我不住在同一星球上」(You and I Don’t Live on the Same Planet/あなたと私は違う星に住んでいる)。
今年の台北ビエンナーレのテーマである。そのタイトルに初めて触れたときは、あまりのセンスの良さに思わず苦笑してしまった。「分断」という⾔葉を毎⽇のように聞く昨今の世相を、 これほどうまく表した⾔葉はなかなか見当たらないように思われる。サン=テグジュペリ『星の王子様』に描かれた、どの人も自分だけの星を見ている世界の残酷さが現実となったようだ。


台北ビエンナーレ2020開催中の台北市立美術館

SNSなどを見ていれば「同じ日本語を話しているはずなのにまったく通じない」「見えている風景がまったくちがう」と思わされる経験のひとつや二つすぐに思いつくのではないだろうか? 献血ポスターやタイツ広告の炎上、夫婦別姓選択制といった政治イシューについての考え方、ナイキのCM動画への批判、アメリカ大統領選にまつわる感想や歴史認識など……。大なり小なり、毎日のようにメディア上を駆けめぐるそうした状況のなかには、直截的に私たちの社会に危機をもたらすものもある。例えばワクチンのない現在、このCOVID-19というウイルスに対して効果を発揮するのが「手洗いかアルコール消毒」「マスク」「人の動きを抑える」ことであると多くの人は認識しているにもかかわらず、それを信じない人たちが存在する。あるいはその危険性を敢えて「無視する」人々あるいは政治によって、コロナウイルスは今も感染拡大を続けている。


同じように、現在の地球が多くの環境問題を抱えていることは誰の目にも明らかと思えるが、2017年6月1日、気候変動問題に関する国際的な枠組みである「パリ協定」からアメリカを離脱させたトランプ大統領の目に「気候変動の問題はない」と映っているようだ。その意味で、トランプ大統領と環境活動家のグレタ・トゥーンベリ氏は明らかに同じ地球上には住んでいないが、それでは皆が住んでいるのはどんな星なのか? それらの星のあいだには、どんな引力が存在し影響し合っているのか? そこにコンセンサスを見出すことは可能か? そうした提議について、物理学や地質学、人類学、生物学、社会学といった多様な領域よりアートを通して記述し、持続可能な地球未来への展望を探っていくのが本展の試みであろう。

ラトゥールとギナールによるキュレーション


フランス出身の理論家・キュレーターであるニコラ・ブリオーによる「関係性の美学」をコンセプトにした2014年、そして2018年の「ポスト・ネイチャー──生態系としての美術館」に続いて本展と、人間中心主義を超え「人間と非人間」の共生を考えるための生態系へのアプローチが続いている台北ビエンナーレ。

2020年のキュレーターはフランスの哲学者・社会学者で日本でも人気のあるブルーノ・ラトゥールと、国際的なインディペンデント・キュレーターであるマーティン・ギナールである。展覧会には27ヵ国からアーティスト、アクティビスト、科学者ら57名の個人や団体が参加したが、コロナ禍のために14日間の隔離を経て台湾入りできたのは、キュレーターのひとりであるマーティン・ギナールのほか、4名の海外参加者だけである。台湾に来られなかった参加者の作品の設置に関しては、メールや手紙、写真、図面、オンラインでと、密な遠隔コミュニケーションが図られたという。例えば、ピエール・ユイグの作品《深水》は、頭部に蜜蜂の巣を抱いた女性の座像彫刻だ。設置においては、写真や映像でやり取りしたアーティストの要望に現場スタッフが対応し、設置場所の周りに新たな植物、その後に台湾独自の野生植物を植えこむなど、遠隔ながら台湾台北という亜熱帯環境と作品との植生的調和が図られた。



左からブルーノ・ラトゥール(モニター内)、マーティン・ギナール、林平館長、林怡華(Eva Lin)(パブリックプログラム担当のキュレーター) [Courtesy of Taipei Fine Arts Museum]



Pierre Huyghe Exomind (Deep Water) (2017), concrete cast with wax hive, bee colony. [Courtesy of the artist, Winsing Art foundation and Taipei Fine Arts Museum]

異なる惑星を巡る


美術館会場を惑星が配置された「プラネタリウム」と見做した本展では、それぞれ異なる価値観や物質で構成された惑星として作品が各所に配置された。

「惑星グローバリゼーション」(Planet GLOBALIZATION)は星の限界を無視して現代化を進める星である。グローバル化に裏切られたと感じている「惑星セキュリティ」(Planet SECURITY)は外界から内を守るための高い壁を作っている。「惑星エスケープ」(Planet ESCAPE)は、世界が終わりを迎える前に火星かどこかに逃げおおせようと考える特権階級の星。ほかの惑星に逃げ道を求めず、信念をもって存在の本質を探究しようとする「もうひとつの重力を持った惑星」(Planet with ALTERNATIVE GRAVITY)、そして「惑星テレストリアル」(Planet TERRESTRIAL)は、気候変動に関心を持ち、経済の繁栄と地球の負荷とのあいだのバランスをさぐる。

こうした構成の軸足となっているのが『地球に降り立つ──新機構体制を生き抜くための政治』(川村久美子訳、新評社、2019)といったラトゥール自身の書籍のなかでも提示された「トランピズム」「テレストリアル」「プラス/マイナスのグローバリゼーション」「プラス/マイナスのローカル」「アクターネットワーク理論」などの概念だろう。昨年から準備が進んでいた本展のキュレーションに直截的なコロナ禍への言及があるわけではないし、具体的なコロナ禍との関連がみられる作品はあまりない。だが今年のコロナ禍の発生が人類と非人類との見えないネットワークの存在を露わにしたことを思えば、本展の作品がもつコンテキストは非常に「予言的」である。

入口ホールで観客を迎え入れるのは、メキシコ人アーティストのフェルナンド・パルマ・ロドリゲスによるロボット彫刻である。メキシコの先住民ナウワ族のモチーフ、段ボール、日用雑貨、工具、植物などがミックスされた怪物のような姿をし、小刻みに震えたり目をぎょろぎょろと動かし奇妙に動いたりする彼らは、人間とは異なる星に住む意思をもった生命体である。ここで示されるのは、世界の認識方法の多様性を提示するというアートの命題における、異なるプラネット(ローカル)とグローバリゼーションをつなぐ翻訳者としてのアーティストの役割であるだろう。



Fernando Palma Rodríguez Quetzalcóatl (2006), corn husk, software, hardware, mixed mediadimensions, dimensions variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

グローバリゼーションにおける世界を認識するための方法論の多様性を顕著に見せたのが、フランスのフランク・レイボヴィッチ&ジュリアン・セルシー(Franck Leibovici & Julien Seroussi)の作品である。元・国際刑事法院の分析員でありアーティストのジュリアン・セルシーと、詩人でアーティストのフランク・レイボヴィッチは、コンゴ民主共和国で発生したボゴロ虐殺事件のリサーチについて、法律家の手法を基本にアートやデザイン、ポエトリーなどの視点を加え、新しい叙述性を模索した。



Franck Leibovici & Julien Seroussi muzungu (those who go round and round in circles) (2016), magnetic paint, magnets, magnetic racks, laser prints on paper, felt-pens, varnish, mediators, dimensions variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

オランダのファムケ・ヘルグラーブ(Femke Herregraven)は、3つの医療用ベッドのある地下シェルターのような「避難室」に住む、最新のデジタル技術で蘇った古代のエピオルニス・三葉虫・トカゲという三種の絶滅種が、来るべき「最後の人間」について対話し、その不在を寂しく思うという演劇的な面白さのあるインスタレーションを出品している。



Femke Herregraven Corrupted Air –Act VI (2019), mixed media installation, dimensions variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

台湾のアーティストによる「クリティカルゾーン」


今回の展覧会でとりわけ存在感を放ち、印象深かったのが台湾のアーティストたちである。キュレーターは「惑星テレストリアル」について、このように語っている。


グローバリゼーションによって近代化をこれまでと同じように進める事に行きづまり、宙に浮いた現代社会の人類は地球のどこに降り立てばいいのか。その降り立つ場所「テレストリアル」は、これまでとまったく違うアプローチをもって「クリティカルゾーン」(地球の地表で生命が棲める限られた範囲)の中に見出されねばならない。


「テレストリアル」とはラトゥールの造語で、「風土」「郷土」と解釈できる。そこで思い起こされるのが、「風土」「郷土」にまつわる社会的な討論がさまざまな分野や文化に跨って足場をつくろうとしている台湾の現状だ。それは古い建築物の保存運動から歴史認識や環境問題についての討論までさまざまだが、複雑な歴史のレイヤーをひもとき、コンセンサスを得ようと奮闘している今の台湾社会はまさに「テレストリアル」的であろう。

身近な自然の観察から彫刻作品を作るパイワン族の峨塞・達給伐歷得(Cemelesai Takivalet)は、ラブロックらの「ガイア理論」を例にクリティカルゾーンにおける調整機能としてのウイルスや細菌の存在に着目した。



Cemelesai TAKIVALET Virus Series (2020), paint on wall, 900×400 cm.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

秦政德+李佳泓+林傳凱+陳怡君(Chin Cheng-Te, Lee Chia-Hung, Lin Chuan-Kai and ChenYi-Chun)によるインスタレーション《在冷戰裡生火》は、台北のある地域における日本時代から冷戦時の国民党政権下までつながる監視インフラをコンテキストに、「防衛」という概念を視覚化している。

台湾のサウンドスケープを研究する歴史・人類学者でありDJでもある施永德、アミ族の木彫アーティスト希巨・蘇飛(Siki Sufin)、同じくアミ族のアーティスト拉黑子・達立夫(Rahic Talif)による「河」をモチーフにしたインスタレーションでは、台湾原住民族の文化や歴史と、都市の発展や気候変化との複雑な関わりが描写されている。

姚瑞中(Yao Jui-Chung)は独特の漢人文化における妄執の視覚化として、台湾各地220箇所あまりの廟や公園に見られる巨大な神像を4年かけて写真に収めた。陳瀅如(Chen Yin-Ju)はアジアで行なわれた歴史的な虐殺事件について、台湾で人気の占星術を用いホロスコープを参照し叙述した。



Chen Yin-Ju Liquidation Maps (2014), 5 charcoal and pencil drawings on paper (each 125×126 cm), printed documents, study notes, HD videos in a loop (source: NASA), dimension variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

パイワン族の武玉玲(Aruwai Kaumakan)は、先祖の昔から暮らし継いできた土地が大きな台風で流され、集落ごと新しい土地に引っ越すことを余儀なくされた。それから集落の女性らと作品作りを始めた武は、被災した際に送られた衣服や集落の人々の衣服をリサイクルした布や糸を使って、藤のツルのようにぐるぐると絡まり合わせるパイワン族の伝統工芸の手法を用い、災害で失われた土地とマイノリティとしての自我を文化的アイデンティティによって接続している。



左:Aruwai Kaumakan The Axis of Life (2018), recycled fabric, cotton, organic cotton, 500×120×100 cm.
右:Aruwai Kaumakan Vines in the Mountains (2020), wool, ramie, cotton, copper, silk, glass beads, dimensions variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

張永達は、台湾とドイツの環境科学者たちが共同で取り組んでいるタロコ渓谷の地震、山崩れ、浸食、風化などを計測するための観測計器を展示した。美術館の中庭と一階廊下に設置されたこの計測器は、この場所の些細な揺れ、例えば人の歩く振動や頭上を通る飛行機(美術館上空は松山飛行場に着陸する飛行機の通り道である)などの微弱な振動まで計測できる。蘇郁心は、同じくタロコ渓谷で科学者らによって行なわれている観測やフィールドワークを映像インスタレーションとした。



Chang Yung-Ta scape.unseen_model-T (2020), installation, dimensions variable.
[Courtesy of the Artist and Taipei Fine Arts Museum]

大きな海洋プレートどうしがぶつかり盛り上がった中央山脈が中心に走る台湾という風土は、いくつもの異なる統治者に支配され、科学文明の発達を経験すると同時に、太古の昔から地震や台風などの自然災害とともにあった。タロコ渓谷に設置された環境観測機は、今まさにこのときも台湾が世界でも顕著な浸食のため、地形が変化し続けていることを示す。西洋の近代化とは人間の文明・文化と自然とをそれぞれ切り離していくものであったと定義すれば、台湾においてそれらは不可分である。これは日本にも同じことがいえるが、自然の強大な干渉を繰り返し受け続けてきた東洋の人々にとって、近代の人類中心主義から脱却して非人類の視点をも含めて「クリティカルゾーン」を捉えるという思考法は、軟水のように肌になじみあるものといえるだろう。

また台湾はある意味、近代から戦後、現代にかけてずっと地政学的に西洋と東洋のはざまにあった。そして今度はトランピズム(これはアメリカだけでなく、覇権的な力を見せつけ宇宙に抜け駆けしようとする中国もそこに入るとラトゥールは著書のなかで指摘している)と他者の排除を生み出すナショナリズム的な「マイナスのローカル」に囲まれている。

また世界で最も成功したといわれている台湾のコロナ対策において、「プラスのグローバリゼーション」と「プラスのローカル」という概念はとても重要であった。IT閣僚のオードリー・タンや衛生部長の陳時中が国際的な評価を受け、蔡英文はTIME誌の表紙を飾って今年のブルームバーグの50人に選ばれ、台湾のグローバルな存在感を高めた。ローカルについては政府と市民が透明性あるコミュニケーションによる信頼を深めることで、コロナの封じ込めに成功した。そんな台湾で2020年の終わりにこのような国際展が行なわれていること自体、運命的なものを感じるのは私だけだろうか? 開幕の際にラトゥールがヴィデオのなかで「この展覧会は台湾のスケールモデルであり、台湾は世界のスケールモデルである」と述べたことは非常に示唆的だ。



展覧会からの帰りのMRT(地下鉄)は、通勤ラッシュで混雑していた。ちょうどその日から、台湾の多くの公共の場所でマスクが必須となり、誰もがマスクを着けている。係員から指導があっても無視すれば1〜5万円ほどの罰金が課せられる。今年の5月からすでに半年以上、市中感染が確認されていない台湾でも第二波に備えこれほど緊張感をもっている。マスクと手洗い、換気や人混みを避ける事で第一波を抑え込んだという自負と信頼も込められているようだ。

人間であり、動物であり、クリティカルゾーンを構成する一部であり、自らの生きるこの世界に対して責任をもっているという自覚が色とりどりの「マスク」としてビジュアライズされたようなこの光景を、私はとても美しいと思った。現在のこの台湾自体が「台北ビエンナーレ2020」最大のインスタレーション作品ではなかったか、そんな風に感じられたのである。

台北ビエンナーレ2020

会期:2020年11月21日(土)~2021年3月14日(日)
会場:台北市立美術館(No.181, Sec. 3, Zhongshan N. Rd., Zhongshan Dist., Taipei City)