フォーカス
東アジアのヴィデオ・アート再考察──開拓者による1960-90年代の作品を集めて
小野田光(美術ライター)
2021年04月15日号
14億を超える人口を抱えながら、新型コロナの感染抑制がかなり成功している中国。4月に入り、行楽シーズンを迎える4月14日現在、アート情報専門のアプリ「iDaily Museum」を開けば、北京では71の、上海では50の展覧会情報が紹介されている。今回は昨年12月から3ヵ月にわたって開催された「メディウム再考察:東アジアにおけるヴィデオ・アートの興隆」展を紹介したい。
20年超の研究の集大成
本展キュレーターであるKim Machan氏は、オーストラリアのMAAP (Media Art Asia Pacific) のディレクターで、1980年代半ばごろからヨーロッパでヴィデオ・アートのキュレーションおよび研究をスタートさせ、90年代中頃からはオーストラリアに拠点を移し、97年からアジア・太平洋地域のヴィデオ、メディア・アートにその研究の中心を移している人物だ。Kim Machan氏は本展について、「東アジアのヴィデオ・アート台頭期におけるアーティストたちのヴィデオ・アートへのアプローチを見直し、国境を超える現代アートとしてのヴィデオ・アートの歴史の整理に寄与できれば」と述べている 。
この趣旨により集められたのは、日本、韓国、中国(香港、台湾含む)から、山口勝弘、ナム・ジュン・パイク、オノ・ヨーコ、山本圭吾、キム・グリム(金丘林)、飯村隆彦、久保田成子、パク・ヒョンギ(朴鉉基)、キム・スンギ(金順基)、ワン・ゴンシン(王功新)、エレン・パウ(鮑藹倫)、チェン・シャオション(陳劭雄)、グン・ジエンイ(耿建翌)、ジュー・ジァ(朱加)、ユェン・グァンミン(袁広鳴)(以上、生年順)の計15名による、25作品。本稿では主に、中国大陸の作家をご紹介する。
本展、最初の作品は、ヴィデオ・アートの父といわれるナム・ジュン・パイクの《TVブッダ》(1974/2002)。壁に投影されたこの作品は、背を向けた仏像と、その仏像の正面に設置された、仏像の顔を映したテレビの映像なのだが、実はこの映像は、韓国のナム・ジュン・パイク・アートセンターの「TV Wave」展でまさに展示中の作品をライブ中継したもうひとつの作品なのである。作品を映した作品、映像の中の映像、動きのない映像、仏像の後ろ姿、などといった本作品の要素からは、世界がコロナ禍から未だ完全に脱出できていない状況下において、東洋と西洋、グローバル化や閉塞性、静と動、生と死など相対する複数のイメージが喚起させられる。
薄暗い通路を進むと、山口勝弘の「ラス・メニーナス」(1974-1975)、オノ・ヨーコ「SKY TV」(1966-2020)の作品に続いて、1960年北京生まれのワン・ゴンシンの作品《両平方有効空間(Two Square Meter Space)》(1995-2020)が会場の隅の壁に映し出されている。投影されているのは、なんの変哲もないブロックの壁だが、それはちょうど投影されている壁の真裏にあたるブロック塀(凸)の一部を撮影している映像を内側の壁(凹)の部分に映し出しているもので、本来の凹凸の構造を逆転させた作品である。もともとこの作品は、1995年当時、作家の自宅であった北京の胡同(北京地域の伝統的な家屋)の2平米の部屋で展示された作品を、本展の展示会場内に再現したもの。
ワン・ゴンシンのもうひとつの作品、《破的凳(The Broken Bench)》(1995-2020)も《両平方有効空間》と同じ年に作成されたものである。中国でよく見かける木製の長椅子のなかほどにモニターが嵌め込まれた作品で、モニターには、その長椅子に実在する継ぎ目部分を指先でゆっくりとなぞる動作を撮影した映像が、繰り返し映し出されている。
パク・ヒョンギの、東洋哲学や侘び寂びを彷彿とさせる《Untitled(TV StoneTower)》(1979-82)、《Untitled(TV&Stone)》(1984)の次には、北京生まれのジュー・ジァ(1963年生)の4作品《永遠(Forever)》(1994)、《刻意的重複(Repeat on Purpose)》(1997)、《大衣柜(Wardrobe)》(1992)、《与環境有関(Related to Environment)》(1997)が展示されている。左の後輪にヴィデオカメラを固定した三輪車を走らせながら北京の街並みを撮影した《永遠》、冷蔵庫の中にヴィデオを設置し、冷蔵庫を開けては中の物を取り出したり戻したりを繰り返す《刻意的重複》、クローゼットの中の服をかき分ける手の視点で撮影された《大衣柜》、水から揚げられた金魚が飛び跳ねる姿とその音声からなる《与環境有関》など、ジュー・ジァの作品は意識されない日常を異なる視点から見せることにより、鑑賞者に新たな感覚を促している。
1962年生まれのチェン・シャオションのインスタレーション作品《視力矯正器3(Sight Adjuster 3)》(1996)は、黒い装置の中を実際に覗いて映像を見る作品。覗き窓の中を覗くと左右に1台ずつモニターがあり、それぞれ異なる映像が映し出されるようになっている。上下左右に移動する人や自転車、手、水など、左右で何の脈絡もない(ように見える)短い映像を見続けていると、実際に視力矯正の治療を受けているような、それに加えて頭の体操も強いられているような感覚に陥る。
最後から2つ目の作品、グン・ジエンイ(1962年生)の《視覚的方向(Dimension of Vision)》(1996)は、3つのモニターから構成されている。これらのモニターに交互に映像が映されるのだが、その映像とは、一見して何の動物かわかりかねる生き物の片目がクローズアップされたものである。映像が映っていない2つのモニターは真っ黒で、一定の時間が経てば別のモニターで同じ映像が繰り返される。まるでぬいぐるみのような丸く大きな黒い瞳は観るものを惹きつけるが、固定されたレンズを通して唯一動きがあるのは、時折、その動物が行なう瞬きのみ。吸い寄せられるようにじっとその映像を見ていると、時間が経つに連れて拘束やコントロール、不自由といった不快さを感じさせられる。
中国におけるヴィデオ・アート
Kim Machan氏によると、東アジアにおけるヴィデオアートの始まりは、日本が1968年、韓国は1978年、台湾が1983年で、香港は1985年、そして中国大陸は1988年以降という
。中国大陸で最も早くヴィデオ・アート作品(《30×30》(1988))を発表し、中国ヴィデオ・アートの父と称されるジャン・ペイリー(本展を主催したOCAT上海館 の執行館長)によると、ヴィデオが中国大陸に入ってきた1980年代末(当時は中国の美術運動「85美術新潮」後期 )には家庭にテレビが普及し始めており、カメラの普及も進んでいたという。カメラがすでに普及していたにもかかわらず、アートとしての写真がまだ出現していなかったことについて、ジャン・ペイリーは「ヴィデオが重要なのは言うまでもないが、もっと重要なのはヴィデオを操る人、すなわち人の意識である」と、技術や道具ではなく意識の重要性を指摘している 。また、ジュー・ジァは東アジアにおけるヴィデオ・アートの発展について、日本や韓国は社会や政治、文化、工業などの発展プロセスが西洋と歩を同じくしている一方、中国大陸のそれは日韓とは異なるプロセス、発展を経てきているとし、中国大陸におけるヴィデオ・アートの発展は社会、文化の発展、ひいては「85美術新潮」の発展の結果だとする見解を述べている
。本展は3月下旬で終了しているが、4月28日から7月11日で再びヴィデオ・アートの展覧会『環形撞撃―録像二十一(The Circular Impact: Video Art 21)』が予定されている。これは中国大陸の作家にフォーカスしたヴィデオ・アート展ということで、上述のジャン・ペイリーやジュー・ジァの言う中国大陸におけるヴィデオ・アートの発展の過程を垣間見れる貴重な機会となるだろう。
メディウム再考察:東アジアにおけるヴィデオ・アートの興隆
会期:2020年12月27日(日)~2021年3月21日(日)
会場:OCAT上海館(中国・上海静安区曲阜路9弄下沈庭院ー1F)
OCAT Shanghai Guided Tour by Curator Kim Machan https://www.artforum.com/video/ocat-shanghai-guided-tour-by-curator-kim-machan-84869