フォーカス

【イルクーツク】ごみの埋め立て地がミュージアムに──文化的価値と都市のメンツのジレンマ

多田麻美(アートライター)

2023年08月01日号

門の手前には、中世風の戦艦が二隻並び、その先では、古い要塞を象ったかのような木造の門が来場者を招き入れる。中に入ると、空想の世界の兵士の人形がずらり。素朴な造りだが、大きくて数も多いのでぎょっとする。 一見、テーマパークのようにも見えるが、実はこれらの素材はすべて廃棄されたごみ。そのことを思い起こさせるかのように、入り口付近を時折、ゴミ回収車が勢いよく走り抜けていく。
ごみ処理の作業員たちの趣味に端を発したこのワイルドな展示空間がいま、イルクーツクの顔として名を広めつつあり、皮肉にも、まさにその知名度ゆえに存続の危機に瀕している。

秘境のミュージアム

廃棄物がアート作品の素材になる例は珍しくない。だが、イルクーツクの市の中心部から北へ向かい、森林の間の道をひたすら14キロほど進んだ場所にある「ごみ埋立地ミュージアム」は、やや珍しい経緯で自然発生的に生まれた。発端はごみ処理の作業員たちが趣味で始めた廃棄物の収集や保存と再利用。その後、細胞分裂を繰り返すかのように、展示物はその規模と知名度を増し、やがてミュージアムとして一般開放され、広く知られる名所となった。

シベリアにはそもそもDIYの能力に長けた人が多いが、それにしても驚くのは作品の数量と規模だ。館長で制作のディレクターであるアレクサンダー・ラストルグエフ氏がかつて映画のセットづくりを手掛けていたということもあるのだろうが、ほぼ全員が制作に参加したという作業員たちの側にも、かなりの団結力がなくてはこれほどの施設はできなかったはずだ。


入り口の外の展示物。船に乗った軍隊が襲ってきたという設定らしい


入り口付近の風景。左手奥にはごみの埋立場があり、ごみの回収車もここを通る


本職の合間にここまでの規模の作品をつくることができたのは、材料費はもちろん、運搬費も工具代もほとんどかからないからだろう。ただし、展示に関しては、場所がごみの埋め立て地であるがゆえの制約も目立った。まず何より、このミュージアムには公共の交通手段ではたどりつけない。また、入り口に着くまで何の看板も標識もない。迷ったら、付近を走るごみ回収車についていけばいいだけだが、タイミング良く出くわすとは限らない。それだけに、森林の間に切り拓かれた公道から埋立地までの専用道路に入ったとき、訪問者たちは、ちょっとした秘境を訪れるような高揚感を味わえる。


ごみが形づくった戦場

野外の作品には中世風の騎士や空想上の戦士以外にも、古い鐘やバス、ロボット、戦車、スフィンクスなどが含まれる。少し進むと、アニメの戦闘シーンをイメージさせるような展示エリアも見られる。さらに奥にある平原で再現されていたのは、独ソ戦をイメージしたダイナミックな風景だった。


最初の作品で、すべてのプロジェクトの発端となった門。現在は展示スペースを区切っている


大型の戦闘ロボット。野外の展示物の多くは戦闘や戦争がテーマ


排土板のついた戦車を象ったもの。車体の文字は「シビリャーク(シベリア人)」


廃棄された鉄板や部品で作られた戦士型ロボット


第二次世界大戦中に用いられた軍用バイク


戦後に生産された「パベーダ(勝利)」ブランドの自動車


戦場を模したエリア


平原の風景は、現在進行中の戦争をも想起させるもので、最初はぞっとする。だがよく見ると、戦車や戦闘機は、いずれも廃棄された車両に鉄板などを貼って再現した「使えない兵器」であり、オートバイや自動車などに至っては、戦中戦後の車体が朽ちるに任せられている。入り口から順に見ていくと、まるで、少年の空想の世界が、歴史上の、だが現実にあった戦争に変わっていく過程をたどるかのようだ。

ラストルグエフ氏はかつて、独ソ戦をテーマにした某商業映画のためのセットをつくっていたとき、同映画の虚偽性や感傷にうんざりして、自らの主張を込めた、より現実的でインディペンデントな戦争映画を撮ろうとした。だが撮影は順調とはいえず、長引いた。やがてパラマウント・ピクチャーズのプロデューサーがプロジェクトに興味をもち、編集と宣伝の手伝いを申し出たが、その後の新型コロナの流行で話は立ち消えになった。平原の展示には、そのときのセットが生かされているという。

平原には射撃場もあった。お祭りの露店で的を当てるような気軽さで、少年たちが銃を撃っているのも、どこか空想と現実、遊びと実用性が交じり合っていくような印象を残した。


射撃場の地面


廃棄物によって中世風の要塞や兵士などをつくるこのプロジェクトをラストルグエフ氏が10年以上前に始めた頃は、純粋に自分たちだけのためであり、作品の展示や公開は想定していなかったらしい。だがやがて海外の研究者の視察や国内でのテレビ報道などによって注目を集めたため、2015年にミュージアムの形で公開された。現在、入場は有料だが、当初は無料だった。

実際の展示物について細かく言えば、スタイルや完成度はバラバラで、テーマも統一感に欠ける。その審美的価値以上に重要なのは、壊れた洗濯機の金属板や廃工場の部品などがもちうる、表現の素材としての可能性に気づけることなのだろう。

さらに興味深いのは、作品をつくり、展示し始めることで、制作者であるごみ処理場の作業員らにも変化が起きたと言われる点だ。ごみの処理といえば、ロシアでもいわゆる典型的な3K労働で、モチベーションを維持するのが大変な仕事だが、作品の制作に携わることで、作業員たちの仕事に対する責任感や作業中の注意力は明らかに向上したという。


現実とパラレルになった世界

軍隊関係の収集品が並ぶ展示室は、ラストルグエフ氏の15年にわたるコレクションをもとに開設されたもので、その後、第二次世界大戦の記憶を風化させたくないと願う退役軍人らの協力を経て充実度を増した。

ウクライナ侵攻前にこの部屋を訪れた観光客たちに取材したビデオを見ると、当時はいわゆる愛国教育の場所として来場者の人気を集めていたことがわかる。もっとも筆者が先日訪れたときは、夏休みの週末で、子ども連れも多かったにもかかわらず、あまり騒がず、静かに鑑賞している人が多く、ビデオに映されていたような観客の興奮は感じられなかった。


(左上)旧ソ連軍の軍服や徽章、軍用品、武器が展示されたエリア
(右上)キリスト教普及前の自然崇拝のシンボルを象った彫像
(左中)中世の武器も展示
(左下)旧ソ連軍の兵士とその母親を象った彫像
(右下)旧ソ連軍の武器を展示。奥の旗にはかつてのスターリンの言葉をもとに「我々シベリア人はロシアの力」と書かれている


そもそも、国が戦争状態にあるかないかで、このミュージアムの意義や立場はがらりと変わる。野外における戦場の再現も含め、戦争の苛酷で悲惨な一面を伝える一部の展示物は、ウクライナへの侵攻が泥沼状態にある現在は、明らかに特別なニュアンスを帯びざるを得ない。時代がこの場所に、当初は担っていなかった、深く複雑な意味を付け加えることになったといえる。

廃棄され、蓄積された記憶

一方、戦争の喧騒から離れ、いちばんリラックスして鑑賞できるのは、古物として多かれ少なかれ価値があるごみを集めて陳列した大型の展示室だ。展示品は子どもの工作のような飾りから革命前に使われていた水がめまで、時代も種類もさまざまだが、大半はソ連期のものなので、当時の生活を知る来場者たちは興奮をもって眺めていた。

品物たちは、ある程度は分類されているが、埃をかぶりつつ、物置や散らかった部屋のように雑然と置かれている。そのため、観る者は、タイムマシーンに乗って誰かの部屋をこっそり覗くような禁断の味わいや身勝手な親密さを感じることもあるだろうし、同時に時代を映した品が静かに風化していくのを惜しむセンチメンタリズムも覚えることだろう。古いレコードやポスターから工場のプレートまで、展示空間にはここ百年余りの生活史、文化史、工業史、社会思想史などの断片が脈絡もなく散りばめられており、その膨大な記憶と情報がもたらす迫力は、それらが実はすべて「ごみ」であるという事実とあいまって、巨大なインスタレーション作品を観たときのような感慨をもたらす。


(左上)古物を展示した空間に並ぶ、機械工場のプレートと、工場用ヘルメット
(右上)古い時計を集めた一角
(左中)ロシアの工芸品であるスプーンを模した展示品とモスクワオリンピック(1980)のマスコット「ミーシャ」などが並ぶ一角
(右中)展示室を見渡す。古いオーディオ機器の中には、当時珍しかった日本のメーカーのものも
(左下)古い生活用品や装飾品の数々
(右下)さまざまな時代のブラウン管テレビ


(左上)1970年代から80年代前半に大流行したスウェーデンのポップ・グループABBAの写真コレクション
(右上)古いレコードも多数展示。手前の写真はソ連の伝説的歌手、ウラジーミル・ヴィソツキー
(左中)古い電話機が並ぶコーナー
(右中)古い楽器や時計やサモワール(ロシアの卓上湯沸かし器)などが集められた壁
(左下)岡本太郎風の手の椅子も
(右下)撤去されたレーニンの頭像も古いヘルメットと共に並ぶ


地元メディアのインタビューでディレクターのラストルグエフ氏は、多くの人がここを訪れたことでごみに対する態度を変え、明らかに古い物を大切にする心を抱くようになっている、と語っていた。

園内には、二匹の熊を飼育しているスペースもあった。いまあるものを大切に、という精神は、ごみ処理場のごみを漁りに来ていた熊の親子に対しても発揮され、本来なら殺処分にされるところを、職員らによって飼育されることになったのだそうだ。


知名度がもたらした危機

このミュージアムは、一見、戦争ごっこが好きな子どもや戦記ファンタジーや軍事関係に興味がある人々、およびソ連時代にノスタルジックな感情を抱く人々が訪れるにはふさわしい。だが同時に、観る人によっては、ごみと兵器や兵士という組み合わせや、戦争の遺物が野ざらしにされている風景に、独特の思想やメッセージを感じとることだろう。よって、同ミュージアムは戦争を斜に構えて見るような人々からも人気を集めた。

やがて、同地が各種のメディアなどでも取り上げられると、ロシアの多くの人がその存在を知るようになり、国内だけでなく海外からも観光客が訪れるようになった。筆者が訪れたときも、遠いロシア西部の都市から、「イルクーツクに行くならぜひ訪れるべき」と勧められ、バイクのツーリングでやって来たというカップルに出会った。

だが、シベリアの大半においてそうであるように、ごみの大半が処理を経ずに埋め立てられている、という現状にはそもそも批判の声も強く、しかも近年は増え続けるごみによる水の汚染なども問題になっている。そんないわくつきのごみ埋め立て場がイルクーツク市の顔となってしまったことについて、市当局は神経を尖らせ、強く施設の移転を求めるようになった。だが、長年この土地を利用してきたミュージアム側は、その要求を拒んでいる。そもそも、立地が埋め立て地であるということにも、重要な意味があるからだろう。

大雑把に総括すれば、同ミュージアムの展示物からは、趣味人のマニアックさと既成の枠を打ち破って自己表現をしようとするパンクな精神が感じられる。その一方で、軍事に偏った愛国精神や兵器に子どもが気軽に親しめてしまう場所でもあり、筆者も含め、そのことに複雑な思いを抱く者も多い。つまるところ、「すべてがゴミ捨て場のごみ」であることにより、底流には平和を愛する精神も感じとれるものの、まさにそれゆえに、実際に戦争を行なっている国の施設としては、微妙な立場に立たざるを得ないはずだ。このような自発的で個性的なミュージアムが、市民の支持を受けつつも、まさにその知名度と支持の厚さゆえに存続が危ぶまれているというパラドックスに、いまの社会の縮図を見ずにはいられない。



ごみ埋立地ミュージアム(ムゼイ・ナ・スヴァルケ)

Aleksandrovskiy Trakt, 5, Kilometer 1, Irkutsk, Irkutsk Oblast
(イルクーツク州イルクーツク市アレクサンドロフスキー・トラクト5、キロメートル1)
Google Map:https://goo.gl/maps/vTLX32szP8M7j9b98