フォーカス
SANAAの二分法的ゆがみ──ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー2009サマーパヴィリオンを見て
上原雄史(建築家)
2009年08月01日号
予算を限らずしかも野心的な公共建築を著名人に発注する施主は、いまいるのだろうか。ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーは、その実例だ。彼らはミレニアムを境に過去10年間芸術と人の交点を広げることを目的として、ケンジントン・ガーデンの一角に仮設のパヴィリオンを建ててきた。これまで芸術家オラファー・エリアソンや建築家ザハ・ハディドなどが設計にあたってきた。今年は、妹島和世と西沢立衛の設計事務所SANAAが設計を手がけた建築家である。
芸術×資本主義経済=連続する事件
ロンドンはエクスペリエンス・エコノミー(経験経済)の最先端だが、その渦中でギャラリーとその学芸員は、過去に英国で建築を実現していない著名人に設計を依頼するという方針をたて、設計者や、ユーザー、スポンサーにレベルの高い交流やブランディングのチャンスを提供することで計画を実現してきた。芸術を軸にした仮設の場を、生きた経済として使いこなす知的水準の高いパブリックの層の厚さが思われる。3カ月の期間後に、ギャラリーはパヴィリオンを第三者に売るが、そもそもそれを庭の一角に再設置できるような個人や団体とのビジネスが10年間継続してきたという事自体、そうした関係を可能にする大都市ロンドンの秀逸性を唱えた逸話のようだ。このパヴィリオンは連続する事件なのだ。これは、芸術を高度な資本主義経済のなかで経験する教科書的な方法論なのかもしれない。
イヴェントを誘発するコンセプチュアルな空間
パヴィリオンを設計する建築家にとってのポイントは時間と空間だ。時間的には設計から実現までの期限、空間的には主題の不在である。
西欧では建築実現に延べ2〜3年かかってしまうのが普通だが、ここではそれが6カ月しかない。これが時に建築家の野心と能力を露呈させる。2004年のMVRDVの計画は実現しなかったし、昨年フランク・O・ゲーリーは、ほかの作家と同じ時間内で木材とガラスが空中を高々と浮遊する場をつくり上げた。
空間主題の不在についてはこう記述しよう。昨今のパヴィリオンを求める施主の経済戦略は、厳密なメッセージを詰めた閉じた室としてのパヴィリオンを逐次求め、一般性のある建築空間の刷新は不問にする場合が多い。その結果は、19世紀の優雅で想像力のあるフォリーとは対照的に建築的には一目見れば十分なものになったり、また20世紀初頭のように国家などの抽象的な機構の表象として空間を位置づけた事例とは程遠い結果に終わることが多い。
しかしサーペンタインにおいては事情が少し違う。ケンジントン・ガーデン内に建つパヴィリオンは、毎年その前庭の同じ場所に設置され使われそして解体され、そのための建築コンセプトは作家に一任される。ギャラリーは2002年に、刻々と変貌する都市のダイナミズムを立方体シェルターの幾何学性に翻訳してそれを床にべったと座り込んで経験するという伊東豊雄の案を建てたし、特に、2006年には、イヴェントとパヴィリオンを融合し「24時間マラソンインタヴュー」という事件を内包した浮かぶ球体を提案したレム・コールハースの案を建てた。その後、このイヴェントは、毎年異なるパヴィリオンで、世界と芸術と人が遭遇する具体的な機会として連続開催されてきた。