フォーカス
SANAAの二分法的ゆがみ──ロンドンのサーペンタイン・ギャラリー2009サマーパヴィリオンを見て
上原雄史(建築家)
2009年08月01日号
ゆがみによる空間構成
明瞭な美学を高い技術で支持し、学芸員によって、光と知覚を新しく定義したと評価された今年のパヴィリオンには、どのような新しい空間があるのだろうか。
縦横もっとも大きいところでほぼ50m×30mの大きさを持つこの鏡面状の建築は、雲もしくは水滴を参照している。平面的に見ると、このパヴィリオンはスタニスワフ・レムが描いたソラリスの海が公園やギャラリーのつくる空間コンテクストと戯れたかのような曲線的な形状だ。SANAAが好んだ白い四角い箱はここにはない(配置図参照)。建築家は、中央部分で背伸びをすれば手で触れられる程度にまで屋根を下げ空間を圧縮して、そこで鏡面アルミ素材の反射効果を最大限に引き出した。屋根は周辺部に向かって緩やかに上昇し空間体験を周囲に広げ、そこで視覚的に公園の上下関係が部分的に逆転した風景をつくっている。また、一部の屋根は足元近くまで下がり、そこでのこの建築はダリが描いた溶けた時計のようにも見える。鏡面状の屋根上面は公園を反射して下のイヴェントをかき消しているようだ。地表面に沿った平坦なコンクリートの床面もゆがんでいるように見える。施工精度を読んだのか、屋根と天井のアルミ表面に小波のような連続的なゆがみが実現している。2箇所で立ち上げられたぶ厚い透明なアクリル製の円弧状の壁、屋根、それらに呼応した床のパターンが、反射映像と屈折映像の複雑な入り江をつくり出し、木立の葉陰が揺れる風景や動く人影が振動する状況として知覚でき、不思議な「内部」を実現していることが興味深い。
この建築は特定のイヴェントとその特定の容器形状の具体化ではない。逆にそれは、プログラムをさらに抽象化し表現しているようだ。このゆがみを用いた空間経験は過去数年SANAAが繰り返し試みてきた方法だが、今回の建築は、壁のない外部において場所性と内部性の知覚的な戯れを可能にした実例だ。
空間経験の追求
近年の建築表現のモードは、機能主義的テーマから離れ、またプログラムという概念すら簡素化してきた。流れるような空間を実現するという意図は理解できても、そのために極度にゆがんだ形態だけを追求する建築方法は納得できない。この流れのなかでSANAAは「空間経験の追求」を主張する。50歩下がってパヴィリオンを概観すると、なぜかピーター・クックなどの70年代ヒッピー建築家が図示した、浮遊するイヴェント建築の姿を思い出した。ここでは過去の気鋭が追求した主題が、確かに工芸に支えられた美意識ではなく、先端の工業生産技術を前提とした空間表現として実現しているし、境界をつくる壁がない「輪郭のない内部」空間の経験を主張している。そこでは、例えば近代の合理的な均質空間の原理と、日本の心象風景にある「自然な」空間体験が例外的に融合しているような印象を受けた。
SANAAの新しいパヴィリオンは、しかしここで、この建築を現代社会の機構装置として操作可能にするイヴェントを提案してはいない。にもかかわらず、小雨が降るなかオープニングを訪れた数百人の人たちは、屋根の下で思い思いの場所をとり、語らいと出会いを続けていた。それは、SANAAの空間経験への想いを共有した証のようにさえ見えた。
Serpentine Gallery Pavilion 2009
Kazuyo Sejima + Ryue Nishizawa/ SANAA
会場:サーペンタイン・ギャラリー
会期:2009年7月12日(日)〜10月18日(日)