フォーカス
中国現代アートの歩みを総括
多田麻美
2009年12月01日号
原点の再確認──「盗まれた宝」とは?
同じく欧米からの視線による回顧という傾向が感じられたのが、草場地の香格納画廊(シャン・アート・ギャラリー)で行なわれた『「中国コンテンポラリー・アート」の名を借りて 現代中国の盗まれた宝(Stolen Treasures from Modern China)』展だ。
2005年から中国で生活するドイツ出身のフォトグラファー、トーマス・フュッサー(Thomas Fuesser)氏と90年代から上海に定住し、芸術活動を続けるクリス・ギル(Chris Gill)氏を中心に、同じく90年代より上海で活躍するアンディ・ホール(Andy Hall)氏や中国の周鉄海氏(チョウ・ティエハイ)も出品した。
かつてフュッサー氏は1993年から95年にかけ、中国芸術文献倉庫の創始者、ハンス・ファン・ダイク(Hans van Dijk)氏の導きで、北京の芸術家らと出会い、彼らとの交流のなかで、当時まだ知名度の低かった王広義、呂勝中、曾梵志、方力均、栗憲庭などの多くのアーティストやアート関係者を撮影した。まだまだ中国の現代アートが世界に対して閉じられていた当時、フュッサー氏をはじめとする欧米の記者や芸術家らの訪問はその大きな突破口となった。
フュッサー氏の当時の訪問にインスピレーションを受けた中国のアーティスト周鉄海氏は、その後斬新なビデオ作品や雑誌のカバーなどを創作。その内、今回発表された1996年完成のビデオ作品『必須』(1996年)では、「中国に芸術はあるのか」「芸術は必ず欧米の人々の口に合わねばならないのか」といった深刻な疑問が投げつけられている。
このほか今回会場に並んだのは、先ほど述べた、フュッサー氏が90年代前半に中国で撮影し、今回初公開となった写真作品、そして1993年から現在に至る中国社会の歴史的変化を独自の視点で見つめたクリス・ギル氏の絵画やアンディ・ホール氏の自転車インスタレーションなどだ。ギル氏によれば、「作品のほとんどは、美術とメディアの推移、そして外国と中国の独特の関係を表わし」ており、制作年代のギャップは、「現代アート史の変化や流れを表現している」という。
被写体となったアーティストらの反応について、ギル氏はこう語った。
「彼らの変化はさまざまだが、かつての自分の姿を見ることは、彼らにとっても興味深いことだったろう。誰もが、『市場』がやって来る前の自分たちはいかに純粋に見えたか、とコメントしていた」
円明園の干支の銅像のオークション問題が世界を騒がせた後で、「盗まれた宝」とは、一見自虐的なネーミングだが、その「盗み」の経緯、一体何がなぜ盗まれたのか、なぜ「盗み/盗まれる」関係なのか、について再考させられたという意味でも、興味深い展覧だった。
外からの「分類」
北京では現在、このほかにも大型のグループ展がいくつか開催されており、先回ご紹介したユーレンス現代アートセンター(UCCA)でも、8人の著名作家によるグループ展『新世紀の中国芸術において重要な8つの現象』が始まっている。だが、国の文化部門が主催した中国美術館の展示を除けば、中国国内でこれらの「総括」を行なっているのはいずれも中国の現代アートに造詣の深い欧米系の美術関係者らが中心だ。もちろん彼らあってこその、無数の新人デビューや現代アート市場なのだが、そこにはどうしても中国の環境の激変に対する感傷的なまなざし、または反対に、「自分たちこそが中国の現代アートを世界の市場に送り出したのであり、その歴史の目撃者なのだ」という自信が見え隠れする。
もちろん、そのまなざしや自信には、単なるブローカーとは違い、自分たちはまだまだ中国のアーティストたちに関心を払い、これを支援していくのだ、という「再確認」のニュアンスも込められているのだろう。だが、中国の現役作家らの本音はどうだろうか。むしろ、総括などまだ早い、自分たちはつねに現在進行形であり、未来もこれから自分たちでつくっていくのだ、というものかもしれない。