フォーカス

芸術区の行方、そしてアートと場所の関係

多田麻美

2010年04月01日号

 北京でこの冬、もっともアート関係者の関心を集めたニュースといえば、北京を訪れた人の誰もがその広大さに目を見張る「芸術区」の行方だろう。再開発の代価として、その多くが取り壊しの危機に瀕しており、すでに廃墟と化したものもある。さまざまな矛盾を抱えながらも、ダイナミックな変化を繰り広げているのが北京のアート環境だ。
 そんないま、北京を舞台に開かれる展覧会に関しては、内容のみならず、「それをどこで行なうか」が、際立って重要な要素となっているように思われてならない。

移りゆく磁場

 すでに世界に名を馳せている798や草場地、そして宋荘のほかに、北京の周辺には20以上の芸術区が存在してきた。だが、その多くが現在、北京近郊の農村を都市へと組み入れるための再開発の対象となり、更地にされつつある。
 そもそも、北京の芸術区は1990年代の円明園や東村の時代から、点々と場所を動かしつつも、根強く存在してきた。21世紀に入り、本来再開発の対象だった798工廠の一帯が芸術区としての存続を認められると、798に隣接した草場地やさらに郊外の環鉄芸術区などの一帯で、新たな芸術区が雨後のタケノコのごとく誕生。中国現代アート市場の過熱や、農村の土地の使用をめぐる規定に曖昧さが残る中国の事情も、その動きを加速した。
 各自がかけた膨大な額の改装費用がまったく補償されず、契約期間も無視され、突然追い出されることになった十数の芸術区の芸術家らは、互いに連絡をとりあって、4期に分け、『暖冬(冬を暖める)』という芸術的アクションを起こした。このアクションは各種メディアでさまざまに報道され、芸術関係者をはじめとする多くの知識人の関心を集めた。
 今回取り壊しの対象となった広大な土地には、最近閉鎖されたばかりの松下の工場や、日本でも昨年個展が開かれた芸術家・建築家、艾未未(アイ・ウェイウェイ)がデザインした、おびただしい数にのぼるアトリエ群も含まれる。古巣の798工廠を追われた後、今回取り壊しの対象となった環鉄芸術区にアトリエを構えるようになった芸術家、黄鋭氏は「芸術家が捨てられた都市」という文章のなかでこの一帯の建物について、「798が擁する、50年代に建てられたバウハウス風の建物から、80年代を象徴する松下の電子ブラウン管工場、そして2000年以降の草場地の建物までの建物の流れを通じ、都市化する時間の経過に沿った建築様式の移り変わりを概観することができる」と記し、その一部を芸術やデザインの空間として利用するよう主張している。
 もっとも、北京の都市計画において歴史的コンテクストを生かしたり、残したりする試みが行なわれる際、焦点が当てられるのはあくまで明清以前の歴史で、解放後の歴史が顧みられることは少ない。かつて798工廠は黄鋭氏らの努力によってかろうじて芸術区として保護されたが、その範囲が、今回対象となった、デベロッパーや政府の思惑が複雑に絡み合う、広大な土地に拡大されることは、やはり困難かもしれない。
 歴史的コンテクストやルーツを失った都市は、それはそれでシュールで実験的で面白いが、クリエイティブな魂を失ったまま、ある程度の規模に膨張した場合、空虚で、底の浅い感じを与えかねない。アーティストたちのアクションは、自らの権利をどう守るかという問題を中心に据えたものであり、決して政府の政策に真っ向から反対するものではなかったが、その行動は結果的に、北京の都市空間の今後の在り方について、再考を強く促すことになった。


「暖冬」の主要な会場となった創意正陽芸術区に残る李槍(リー・チアン)の作品[撮影=張全]

路地の中のテレビ局

 北京において、旧市街地と郊外の芸術区、そしてCBD一帯の新興ビル群のあいだでは、住人の性質や経済レベルだけでなく、空間のもたらす印象も、道路幅や建物の間隔を含めたまちの肌理も、まったく異なる。例えば、胡同と呼ばれる昔ながらの路地が広がる一帯から、急ピッチで開発が進むCBDエリアにバスや地下鉄で移動すると、同じ都市であることのみならず、同じ時代であるかどうかさえ疑わしく感じることがある。それだけ都市の表情が豊かで、場所によって時空が異なるのだ。
 北京の細い胡同の中、ほかのローカルな商店のあいだでひっそりとたたずむ「箭廠空間 Arrow Factory」は、そんな北京の都市空間の大きな落差を逆手に取って意欲的な展覧を行なってきた。今回繰り広げられた聶幕(ニエ・ムー)の作品『我台 Channel Me』もそのひとつだ。作品は、一カ月のあいだに四期に分けて週末に空間内で番組の収録を行ない、ウィーク・デイ中にそれをエンドレスに放映する、というもの。番組の内容は、料理番組、教養番組、スポーツ番組などバラエティ豊富で、番組作りには外国人の美術関係者も多数参加している。
 番組制作は旧暦の新年である2月14日に開始。希望者であれば誰でも自由に番組を制作でき、『Channel Me』はそれに対していかなる審査、取捨選択、内容のカットも行なわない。だが番組の制作と放映の場所は「箭廠空間」に限られる。
 この展覧について、公式の発表では、「わがチャンネルには何の趣旨も目的もない」とされているが、中国における報道規制の厳しさ、全国ネットのテレビ局がCCTV(中国中央テレビ局)のみという情況が「独占」であるとして批判され、新華社系のテレビ局の開設が準備されているという現状を思えば、どうしても意味は深く感じられる。
 同じく国家規模の権力と個を鮮烈に対置させた作品として想起されるのは、趙半狄(ヂャオ・バンディー)の『半狄の2008』だ。この作品で趙は、自分だけのオリンピックを開くと宣言し、パンダのぬいぐるみとともに延々と走り続けた。
 国家権力の強い中国では、主催者の意図に関わらず、このタイプの作品はどうしても強い社会的メッセージを伴ってしまう。検閲だらけの国で本作品が「検閲はしない」と強調しているのであればなおさらだ。その意味で、とても大胆な作品ではあったが、番組制作の場の雰囲気はまるで学芸会のように和気あいあいとしたもので、そのギャップもじつに面白かった。


左:「我台」の番組収録の風景 右:庶民的な路地の中にある「箭廠空間」[撮影=張全]

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