フォーカス

老鮫と若き錬金術師 ガゴシアンとワース

木村浩之

2011年01月15日号

イワン・ワース


ハウザー&ワースのホームページ。ガゴシアン同様、一切装飾的要素のない白背景のシンプルなレイアウト上に各支店で開催中の展覧会情報が並ぶ。こちらは、ロンドンの外部展示スペースも含め5カ所となっている。
http://www.hauserwirth.com/

 イワン・ワース(40)は、2010年10月14日、5カ所目のギャラリースペースをロンドンにオープンした。
 彼と彼の公私のパートナーであるマヌエラ・ハウザーの主宰するハウザー&ワース(Hauser & Wirth。現地語ではハウザー&ヴィルトと発音するが、ここでは英語読みのハウザー&ワースとする)は、スイス金融の中心都市チューリヒを本拠地とするギャラリーだ。
 スイス人アーティストのピピロッティ・リスト、ローマン・シグナー、クリストフ・ビューヘル、ディーター・ロート(あるいは英語読みでロス)の他、ヘンリー・ムーア、ルイーズ・ブルジョワ、ポール・マッカーシー、リー・ロザーノ、ダン・グラハム、イサ・ゲンツケン、マーティン・クリード、そしてモニカ・ソスノフスカ(米のみ)など、40を超えるアーティストを扱っている。
 イワン・ワースは1970年チューリヒ生まれ。1987年、まだ16歳だったときに最初の展覧会を企画したというから、相当な早熟者であったようだ。「ル・コルビュジエの生誕100年祭にあわせて展覧会が企画中なのを新聞で知り、そのチューリヒのギャラリーに出向いていって自分の展示コンセプトをプレゼンテーションしたら、真剣に聞いてもらえ、30点の展示企画を任せてもらえた」という、にわかには信じがたいエピソードもさることながら、その行動力にはティーンエイジャーとは思えないものがある。
 1992年、弱冠22歳の頃に、チューリヒにギャラリーを立ち上げた。スイスの大手家電小売の家系であったコレクターの娘と結婚しており、後ろ盾には問題が無かったとはいえ、日本はバブル崩壊直後、西欧世界でもポンド危機(ブラック・ウェンズデー)が発生しており、必ずしも経済状況が良いとはいえない時期である。しかし「だからこそいい作品を手に入れることができた。あの頃に買った作品がいまだにわれわれの扱った作品リストのなかでもベストな作品となっているのもそのためだ」と、あるインタビューで答えている。
 チューリヒのギャラリー立ち上げから8年後の2000年、ニューヨークでギャラリーを構えていたセカンダリーマーケットディーラー、ドイツ人のデイヴィッド・ズウィルナーと共同で、Zwirner & Wirthというセカンダリーに特化したスペースをニューヨークにオープンしている。ちなみにズウィルナーは、合計数千平米にもなるという複数のスペースをニューヨークに持っており、前述『Art Review』誌「The Power 100ランキング」ではワースの次点の4位についている。超有力なプライマリーギャラリストと、超有力なセカンダリーディーラーのコラボという不気味な、あるいは一種スキャンダラスな組み合わせであった。ただしこちらは2009年6月21日に閉鎖し、ハウザー&ワースという自らの名称を前面に出したスペースとした。
 最初にニューヨークにてセカンダリービジネスに入ってから3年後の2003年のロンドン。9.11の余韻がいまだ残るなかで、ワースはギャラリーの支店オープンする。2003年といえば、ギルバート&ジョージをはじめ、ヨゼフ・ボイス、キーファーからボルタンスキ、ビル・ヴィオラなどを扱う大御所ギャラリー、アンソニー・ドフェイ・ギャラリーAnthony d'Offay(1940年生まれ)の突然の閉鎖という、ロンドン・アート界にとって衝撃的な事件のあった年である。
 「ロンドン・アートビジネス界のキング」のショッキングな引退の一方で、イギリス人が憧れるサー・エドウィン・ラッチェンス設計の1922年建造の洒脱な建築内にひっそりと、ハウザー&ワース・ギャラリーは現われた。リッツホテルやロイヤル・アカデミー・オブ・アーツなどが並ぶピカデリーという一等地に突如として現われたギャラリーは、当時まだ世間に知られておらず、謎の存在として語られたという。
 その後もロンドン内で一時的に旧倉庫を使った広大なビューイングスペースで「面白いが売れそうにない展示」を行ない、一方で2006年にはオールド・ボンド・ストリートにある老舗ギャラリー、コルナギのスペース内に、セカンダリー専用(つまり売り専用)のスペースを開設(ハウザー&ワース at コルナギ)するなど、活発な動きを見せ、2010年10月14日、ロンドンのアートフェア、「フリーズ・フェア」の期間にちょうど合わせるように、またガゴシアンのジュネーブ支店オープンとほぼ同時に、そしてガゴシアンのロンドン、デイビース・ストリート支店から1キロも離れていないサヴィル・ロウ通り23番地に、新たにフラッグシップとなるべきスペースを堂々とオープンした。「サーチより広い」(テレグラフ紙)と新聞に載るほどで、いまや誰もが知るギャラリーとしての名声を確固たるものとした。
 前述のとおりニューヨークの共同運営支店を仕切り直しオープンしたのが2009年のことだったので、2年連続での新スペース開設となる。ちなみに本拠地チューリヒのスペースは、元ビール工場の重厚なレンガ建築内に、他の複数のギャラリーや市立・私立の美術館と共にアート・コンプレックスを構成していたが、地域再開発のためロンドンのオープンの直前の2010年9月に仮スペースへと引越ししている(2012年に再度もとの場所へ戻る予定)。
 ガゴシアンのスペースが,前述のとおりカルーソ・セイント・ジョンの白いシンプルななかにも色気がにじみ出る感覚的な空間なのに対し、こちらは高級ホテルから協会修復まで幅広い設計で知られるイギリス人建築家エリック・パリーの手堅い設計(建築物)及びニューヨーク・ベースの建築家アナベル・セルドーフ(内装)である。1,800平米という美術館も驚きの広さを誇るスペースでのオープニング展を飾ったのは、同年5月に急死したばかりのフランス生まれのアメリカ人彫刻家ルイーズ・ブルジョワの死後初の個展であった。展示の詳細はわからないが、たまたま会期中に開催となったニューヨーク、クリスティーズのオークションで予想価格約7千万円だった1メートルにも満たない小さな「クモ」作品が、それを大幅に超える約3億円で落札されていることから、ビジネスとしては大成功だったと想像に難しくない。
 そして、ハウザー&ワースで忘れてはならないのは、彼らは自らのコレクション及びスペースも持っているということだ。妻側家系のコレクションが元になっているとはいえ、ヨーゼフ・ボイス、ゲルハルト・リヒター、ルイーズ・ブルジョワ、アグネス・マーティン、フィッシュリ&ヴァイス、ヴォルフガング・ティルマンス、フランツ・ヴェスト、マルレーネ・デュマスなどなどの今とても手が出ない高額作家による代表作品の購入は1990年代に多く行なわれているということから、ワースが深く関わっていると考えてよいだろう。100近いアーティストの作品を含むというこのコレクションは、2004年までザンクト・ガレン(スイス)の回転盤付き円形機関車車庫の特異な空間を展示空間とし企画展などを開催していたが、現在はザンクト・ガレン郊外のヘナウという村に移設し、見学は予約制となった一方で、アムステルダム(オランダ)やバーデン・バーデン(ドイツ)、ドゥールレ(ベルギー)などの美術館スペースにてコレクション展を年1回程度のペースで開催し続けている。
 今後2012年までの2年間は、パリのフォンダシオン・ルイ・ヴィトンをはじめ、アブダビやランスなどあちこちで注目の美術館が立て続けに竣工する。ハウザー&ワースにとっても改築後の新しい本拠地へと戻る年になるはずだ。これからチューリヒ・スイスにて何かが起こるのか、あるいは更なる新しい都市へと進出していくのか。ガゴシアンはまだまだ引退なんて想像がつかないくらいエネルギッシュであるが、それより25歳若いワースは、1965年生まれのダミアン・ハーストなどの「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト」(YBAs)たちよりも若いのだ。こうした世界展開型ギャラリー・ディーラー・コレクターがどのような可能性を秘めているのか、今後の展開に注目したい。