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妹島和世インタビュー:新しい公共性について──2000年以降の建築実践

妹島和世/鷲田めるろ

2011年02月15日号

使い方の発見、場所の創造

鷲田──さきほど“新しい公共空間”“公園のような場所”という表現をされていましたが、その言葉にどんなイメージをお持ちですか。

妹島──公共空間は当然みんなで使う場所なんだけど、それぞれがその中にプライベートな空間も作リ出すことができるようなスペースをイメージしています。自分で使い方を発見したり、自分の場所もつくれる。“公園”も似たニュアンスで、いろんな年齢や目的の人がいるイメージです。ひとりで静かに本を読んでいる人もいれば、騒いでいる子どもたちがいたり、あるいはカップルがいたりする。公園というひとつの場所には、いろいろなことが起きていて、多様な状態がある。なんとなく繋がっていることを感じられる。そういう環境を建築でつくれたらと思っています。

鷲田──小人数のグループが、公の場所にいても独立性を保てる場所ということですか。

妹島──独立性といえばそうなんですが、むしろそれぞれが各々の快適な空間を作り上げられるということだと思います。

鷲田──そのような空間にするための工夫はありますか。

妹島──スイスのローザンヌに2009年に竣工した《ロレックス・ラーニングセンター》(以下、《ローザンヌ》)で、私がおもしろいと思っているのは、視覚的に空間の端が見えないことです。ワンルームだと、通常は室内がどこまでも見えて空間の終わりも見えるものですが、《ローザンヌ》では床が上がったり、天井がおりてきたりして壁はないのに部分しか見えない。ただスペースがどこまでも続いていることだけが感じられる。つまり、自分の動きに合わせてそのまわりにその都度スペースが現われる。それが、《ローザンヌ》の空間が持っている特質のひとつですね。大きなワンルームですが、いろいろな場所が柔らかく繋がって全体ができ上がっています。

鷲田──《ローザンヌ》で真ん中から入ることにされたのは、そのこととつながっていますか。

妹島──どの方向からでも入れますよと言っても、建物がフラットですと、建物のエッジにたどりつくだけです。《金沢21世紀美術館》も端からしか人が入れませんが、それでも内部にいろいろな要素があるから、美術館に入ったあとも通りを歩いていくような経験が得られます。ところが、《ローザンヌ》は金沢よりさらに建築面積が大きく、そしてワンルームの空間ですので、経験の順序を考えるとあまりうまくないと思って、もうちょっと直接“バン”と建物に入っていくようにしたかった。まず建物の中心、空間の中心に入れる。私にとっては《金沢》のさらに改良案というか、次のステップとしてとらえています。

鷲田──《金沢》の建物が竣工した頃に《ローザンヌ》のコンペがありました。《ローザンヌ》は2010年に竣工されましたが、“新しい公共空間”ということについて、次の展開で考えていることはなにかありますか。《ローザンヌ》でできなかったことはどんなことでしょうか。

妹島──《ローザンヌ》は、建物の終わり方に唐突感がありますよね。じつは先日提出しましたコンペがありまして、もう落選してしまったのですが、その終わり方について考えてみました。どうやって建物で終わらないかということで、建物のスケールにさらにより大きな町のスケールを重ね合わせたものを提案しました。




SANAA《ロレックス・ラーニングセンター》
撮影=Hisao Suzuki

鷲田──「建物の終わり方」とは、ヴィム・ヴェンダースが撮影する際に、室内のカットで建物のエッジを写さなかったということ関係していますか。

妹島──ヴェンダース氏はたまたま地下駐車場から入って来たんです。ほとんど外観を見ることなく車で入って、地下から室内に上がってきて、はじめはどこがどうなっているか本当にわからないみたいな様子で、最後に外も見てくださいと言って案内しながら建物の端のほうへ来たときに、「はっ、四角形だったのか!」と驚かれました。それほど、内部ではまわりが見えているつもりでも全体は全然わからなかったようで、彼自身の体験にあわせて外観は撮るけどエッジは撮らないほうがいいなと言っていて、すごく鋭い人だなと思いました。
 建物の下のアプローチ空間は、建物内部も見えるし、同時に既存キャンパスも見えてそのまま進んでいける場所です。ランドスケープは既存キャンパス全体を含めたデザイナーがいて、結局、私たちはやらないことになりましたが、自分たちでランドスケープを考えているときも、「木を植えてもなあ……」と、どうしていいのかあんまり手がかりがありませんでした。

鷲田──《金沢》の場合はどうですか。内と外の境界はガラスですよね。

妹島──ガラスは視覚的にはつながりますけど、でもやはり切れているのだろうと思います。はじめの頃の案は、どこからでも入れるほうがいいと思っていて、外周のガラスのいろいろな所が開いていました。でも、それだとどこから人が来たかわからなくなるということが問題になり、カフェを開けるくらいにとどめました。たしかに、空調やセキュリティなどを考えればそうそう簡単に開ければいいというものでもないですよね。一度、日比野克彦さんの「明後日(あさって)朝顔プロジェクト21」が行なわれていましたが、ガラスが消えて、まるで庇空間みたいになって、緑に囲まれたすごく快適な空間ができていましたね。


日比野克彦《明後日朝顔プロジェクト21》2007年-(金沢21世紀美術館蔵)
撮影=日比野克彦、写真提供=金沢21世紀美術館