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妹島和世インタビュー:新しい公共性について──2000年以降の建築実践

妹島和世/鷲田めるろ

2011年02月15日号

プライベート空間のなかの公共性

鷲田──公共空間の中でのプライベートということをお話してきましたが、逆にプライベートな空間の中に、公共的なものが入ってくるというようなアプローチも考えられますよね。別の聞き方をすると、“People meet in architecture”と言ったときに、“architecture”は公共施設のような、パブリック・スペースの場合もありますけど、家ということもありますよね。家の中で人が出会う、それによって公共的なものが入り込んでくるということも「新しい公共」と言えそうです。

妹島──そうですよね、個人の家でも、公共性を持てると思います。

鷲田──プライベートな空間に、パブリックなものが入り込む工夫をされていることはありますか。

妹島──たとえば、《大倉山の集合住宅》では、どの部屋にも庭があったらいいなと思って、中庭を計画したわけですが、通常の中庭だと自分だけ楽しみ、まわりの人たちに背を向けることになる。それで中庭の一部が切れて敷地の外につながっていくかたちを考えました。部屋のプライバシーはすごく重要だと思っているのでそれは確保したいけど、それが外部と完全に切断されてつくられるのではなくて、周りとの関係のなかで確保されるものでありたい。ただ室内が「見えない/見える」ということではないということですね。そのスタンスは住宅でも公共建築のような大きな建物でも同じですね。

鷲田──CAAKは町家を使っています。それはアトリエ・ワンが金沢をリサーチしたときに町家に注目したことが発端ですが、町家はもともと住居でありながらお店でもあるような、家が半分開いたような形式です。今回のDialogue Tourで回っている他のところも、しっかりとした施設を持って活動しているというよりは、自分の家や何人かでシェアした家を半分パブリックな場所として使っているところが多くて、いまおっしゃった話はそういう活動に近い感覚だと思いますね。

妹島──美術館が“箱もの”と言われたこともありますが、いろいろなふうに使われる可能性がでてきて、おもしろくなるでしょうね。なんとなく遠い存在だった建物が、生活に近いものになると思います。


妹島和世《大倉山の集合住宅》
提供=妹島和世建築設計事務所

なぜ“公共性”“公園”なのか?

鷲田──最後に大きい質問になりますが、どうして“公園のような”なのでしょうか。パブリックなスペースに独立性の高いプライベートな空間を確保することや、逆にプライベートな空間にパブリックな要素を入れようとすることが、どうしていま重要なのだと思いますか。

妹島──さきほども公園について私のイメージをご説明しましたが、つまりいかにいろいろな人が一緒にいることができる場所をつくれるかということだと思います。いろいろな人というのはいろいろ異なる価値観あるいは考えを持っているわけですが、そういう人たちがそれぞれのやり方をとることができ、そのうえで一緒に場を共有もできる。現代はじつにさまざまなコミュニケーションの方法が生まれ、それがまたどんどん更新されているわけですが、それでも、そんなときだからこそ、ダイレクトに顔をあわせて直接的なコミュニケーションを取れることが重要なのではないかと思います。

鷲田──コミュニケーションのあり方が、かつてと変わってきているということですか。

妹島──変わっているところと、変わらないところ両方あるだろうと思います。

鷲田──かつてであれば、みんなのためのホールがひとつあって、そこでみんなと同じものを見ていればよかったかもしれないけど、いまは違いますよね。

[2010年12月24日、SANAAにて]

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