フォーカス
静かな芸術闘争
太田佳代子
2011年03月01日号
今でこそ、北京の代表的アートゾーンとして定着した798地区。一見、中国社会の最先端をいくかのような華やかな印象を持ちながらも、しかし厳しい現実に晒されているケースが多いのも、北京のアートゾーンだ。
意外な原動力
中国・現代アートの中心地はなんといっても北京。上海、広州、香港も勢いを加速しているものの、北京はなかなか他の追従を許さない。その北京勢力をになっている要素のひとつが芸術村、つまりギャラリーやアーティストスタジオなどの集まるアートゾーンの存在である。この芸術村が北京市西部を中心に次々と誕生しているのだが、中国の経済成長やアートブームに乗ったトレンド、といったヤワなものではないらしい。芸術村は一方で、政治的圧力とのせめぎ合いを余儀なくされてもいる。いわば、いまの中国の矛盾にもろに晒され、その政治的リスクを回避し解消しながら生き延びていかなくてはならないのだ。マクロ的に見れば、静かに闘うこれら芸術村のエネルギーが、北京アート勢力の加速を支えているのではないかと思うのである。
北京でも特に都市発展のめざましいのが東部の朝陽(チャオヤン)区だが、その周縁部にギャラリーやスタジオの集まる芸術村が20カ所近くもできている。その半数以上が、期限は特定されていないものの、管轄当局から立ち退き命令を受けているという。そこには中国特有の事情がある。
芸術村が都心からちょっと離れた、第3〜5環状道路のあたりに散らばっているのは、農地に指定された土地を農民から安く借り受けているためだ。こうしてアートに必要な広大なスペースが北京市内で実現できる。もちろん中国だから土地は国家のもの。農民も農地利用を条件に国から長期的に賃貸しているのだが、農民の権利を拡大解釈してアート関係者に土地を短期リースする人が現われた。これが「ビジネスモデル」として定着し、いまでは北京のアートシーンを代表する大山子(ダーシャンジ)、別名798地区をはじめ、さまざまな場所で採用されるようになったのである。立ち退き命令は、芸術村の管轄自治体である村や町がその違法性を咎めて出したもので、事実、2009年には東管(ドンイン)芸術村が突如撤去されるという憂き目に遭った。
現代を保存する
建築の保存運動は、ことに新旧入れ替わりの激しい日本ではあまり真剣に受け止めにくいようにみえる。とはいえ、OMAのシンクタンクAMOで進めてきたリサーチによれば、保存という営みは近代化と密接な関係にあり、その対象はどんどん新しいものになってきている、というのが世界的な傾向だ。北京はそのことを見事に裏付けてくれる都市なのだが、草場地(ツァオチャンディ)という名の芸術村はことに現代都市保存のケースとして興味深い。
草場地(ツァオチャンディ)の場合、「保存」は伝統建築の保存を意味しない。立ち退きを宣告された新しい地区やその建築を、政治的圧力から守るという意味での保存である。ややこしいというか、面白いのは、草場地(ツァオチャンディ)自体、北京でどんどん破壊されていった歴史的なフートンの町並みを再現したかのようにつくられていることだ。つまり、都市政策によって一気に消し去られた有形の歴史が、アート界の自発的な努力によって都市の周縁に再現された。それが再び(理由は異なるものの)都市政策によって消滅の危機に晒されたため、その保存運動がアート界で展開され始めたのである。
保存が成功するかどうか、それはひとえに当局の風向きにかかっている。例えば、やはり立ち退き命令を受けていた798地区がいまや北京の堂々たる地位を確立しているのは、アート鑑賞・観光という都市発展の牽引力を一転、北京市政府が認めたためだ。中国人ならではの、生き残るための忍耐力や賢い駆け引き能力の賜物でもあるのだろう。