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- 更新日
- 2025年04月06日
美術を中心に様々なジャンルの展覧会を開催しているオルタナティブスペース / ギャラリーです。
自然光が豊かに入る空間では、展覧会だけでなくワークショップやトークショーなどのイベントも開催しています。
「Professional」「Amateur」という二項対立にとらわれることなく、人と作品が対話を積み重ね、広がり続ける表現や、思考に柔軟に対応し発展するための媒介となることを期待して運営しています。
161-0033 東京都新宿区下落合2-6-3 堀内会館1F
開始日:2025年04月11日
終了日:2025年04月23日
12:00〜19:00 ※木曜日休廊、最終日17:00まで
本シリーズの初期構想、撮影段階で、私はWinograndの写真を意識していました。
視る目や瞬発力の差、使用しているカメラ(僕は中判カメラ、Winograndは35ミリ)なのか、そもそも構想が無謀だったのか、Winograndの様に画面の『伱間』が緊張感を持つ写真にはならなかった様です。
また、主な被写体に人間や動物が写された事も稀でした。
(人間に関してはテストプリントに2点程ある位です。)
写真を始めた頃、つまり写真への自我が目覚めた頃の影響は抜け無いみたいで、やはり、私の場合は画面の『伱間』を埋める写真になってしまう様です。
初期構想とは違うものにはなりましたが、本展示用のプリントを完成させ俯瞰して見ると、自分の気に入った写真群になっているので、ひとまずは良しとします。
本シリーズ初期にスナップを意識していたので、撮影は手持ちカメラで行っていました。
晴天時は、ISO400でシャッタースピード1/250秒、絞りf/16、曇りの日は、ISO400でシャッタースピード 1/125秒、絞りf/8くらいで撮影します。
以前は違和感を感じなかったのですが、昨年くらいから絞りf/8での被写界深度外のピントが気になって見えるようになりました。
それまでは被写界深度外の少しボケてしまった物も許容できていたのですが、今はそのボケ感がなんとなく許容できない物となっています。
(とはいえ、絞り込んでも多少ボケる箇所も出るのですが)
展示のプリントサイズが11×14と中判カメラにしては小さ目なので、最初はフィルムを増感現像することも考えたのですが、粒子の具合とコントラストの上がり方を考えて増感現像は無しとしました。
また、三脚を使用してしまうと、スナップ撮影時の構図の決まり切らない写真の良さが、(手持ち撮影と三脚使用の違いは明確に写真に出ると思います)無くなってしまいます。
消去法と言う訳でも無いですが、一脚を使いシャッタースピードを1/30まで活用して(場合によっては1/8位まで)絞り込める範囲を拡げる事で、被写界深度外のピントへの違和感をひとまずは解決出来ました。
もしかしたら、以前よりもピントの緊張感は出て来たかも知れません。
さらに棚ぼたですが、今までは露出の関係で撮影対象外だった室内の写真が対象内になった事も良い結果でした。
この1年間も相変わらず開園から入場して撮影して移動するという行為を繰り返していました。
この3年間で100箇所以上の動物園を回りました。
流石に主要な動物園で行くべきところも無くなり、小さな動物園もほぼ網羅してしまいした。
ですので3年の間、動物園を回り撮影し展示して来た行為も、今回でひと区切りになるかも知れません。
ただ、まだ国内に残箇所(小さい動物園です)が少しと、手持ち撮影時に撮影対象外だった室内写真の撮りこぼしがあると思いますので、撮了まではもう少しかかるかと思います。
現在は撮り溜めた写真をまとめる作業に入っています。
まだまだプリントが追いついていなくシリーズの全体像が見えていない状況です。
なるべく早くまとめてしまいたいのですが、もうしばらく時間がかかりそうです。
なんとか1年以内にはお目にかけることが出来ればと願っています。
開始日:2025年04月25日
終了日:2025年04月30日
12:00〜19:00 ※最終日17:00まで
呼吸。
それは、生命の律動が内と外をつなぐ行為であり、
存在がその場に根を張るためのリズムである。
酸素を取り込み、内なる世界へ送り込み、それを放出して外界と交わる。
吸うことは可能性を迎え入れることであり、吐くことは不要なものを手放すこと。
こうして生命は絶え間なく循環し、静けさと活力の間を行き来している。
酸素は見えないながらも確かな存在感を持ち、
体と心を結ぶ大切な要素として存在そのものの根源的な営みを象徴している。
近年、大気汚染が進み、ウィルスが蔓延したことで、その透明な世界を曇らせた。
工場からの煙、車の排気ガス、それらが空気に不純物を混ぜ、無色の酸素の清らかさを蝕んでいる。
澄み切った空を仰ぐ機会が減るほどに、私たちは初めてその大切さに気づき始める。
特にコロナ禍を経験したことによって、無意識に行っていた呼吸をするという行為が意識されるようになり、再び酸素の尊さが浮かび上がった。
当たり前に呼吸が出来る幸せ。
必要不可欠である酸素が空気に満ちている幸せ。
それは、私たち人間が永遠に守るべきものであり、日々感謝すべきものである。
開始日:2025年05月02日
終了日:2025年05月14日
12:00〜19:00 ※木曜日休廊、最終日17:00まで
これまで風景を描いてきました。それは旅先や日常で惹かれた風景(月山で見た池塘(ちとう)や、雪が降った公園など)を元にしていました。そのほかに、ある状況(例えば、木が描かれた屏風の後ろに本物の木があり、前に人がいる場面)を繰り返し描くうちに、形が変わっていき風景が見えてきたこともありました。いずれも、何度も描くうちに元の風景は変容していきました。
今回の個展では、キャンバスと紙に描いた絵を展示します。
キャンバス作品では、手のひらほどの紙に描き、筆跡となったにじみやかすれを、サイズを拡大して描きました。紙と画布のしみこみには差があるために、紙では現象として自然に現れても画布では自然に起こらない筆跡を、移動させるように描くことになります。その移動において、2つが似ながらもずれていく中で、筆跡の形に体/ボディを持たせるように絵具を重ねながら、未知の風景を探っています。
紙作品のほとんどは、この冬制作したもので、両手のひらほどの大きさの紙に描きました。描いてみると、月山の大きな水たまりと、幼い子の後頭部はともに、まるく広がる風景でした。今まで風景に体を持たせるように描いてきたけれど、体もまた同じく風景のように描けたら良いと思いました。