『トウキョウ・ハイブリッドを目指せ!』
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いきなり突っ走ってしまうのだが、今回は1999年を飾るために相応しいアート動向を言葉にしてみたい。昨年、特にベルリンが注目すべき都市であったことは、誰でも認識した事実だと言えるだろう。この事実をまだ知らないでいる貴方だったら、今月号の『美術手帖』に詳しく書いてあるので、すぐさまチェック!
さて、そのベルリンから火が付いたと敢えてここで述べるが、現在、大都市の中で培養し、さらに肥大化しつつあるアート動向は、“ハイブリッド”だということ。ヨーロッパのなかでもベルリンは、東西象徴の街として戦後に君臨してきた。しかし、それはいわゆる閉息された壁の内側でまるでクリーンルームのように純粋培養が可能な環境で、多くのアンダーグラウンド・カルチャーを吸収してきた特殊な都市だ。反対に、アジアのなかでも最も西側に近い都市でありながら、西洋に限らず多国籍なカルチャーを、オープンに吸収してきた東京。このふたつの都市が、ミックスド・カルチャーというクロスフィールドをベースに急速に接近しつつあるのだ。
日本の戦後史なかでは、ハイ&ローというカテゴリーでカルチャーが育成してきた流れは薄い。常に大衆文化が席巻し、暴れん坊でありつづけた歴史的事実がある。90年代のアートシーンは、まさにこうした文化背景を土壌に推進してきたといえる。いまこそ、ベルリンのような閉息社会で培養してきた“ハイブリッド・カルチャー”を生かした、『トウキョウ・ハイブリッド』を目指すときが来たといえるのではないか。ハイブリッドの基本は、ひとつのジャンル、ジェネレーション、ポリシー、マテリアル、テクノロジーにこだわらないこと。これらが染色体の段階からミックスしてしまうという徹底したクロスカルチャーを創り出してしまうものだ。それは、いったいどんなものだろうか?世紀末に相応しいワクワクするようなアートシーンになるのではないだろうか。
というわけで、今回紹介するアートの展覧会やイヴェントは、こうしたハイブリッドの姿勢を基本に構成される。
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少年王者館「マッチ一本ノ話」
作・演出:天野天街
原作:鈴木翁二
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会場:下北沢・ザ・スズナリ
会期:1998年12月3日〜10日
入場料:3000円
問い合せ先:040-213-5884 |
天野天街(左)と
鈴木翁二(右)
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独特の世界観と時間軸の交錯を生かした舞台構成で知られる「少年王者館」を率いる天野天街の演出によって、漫画家、鈴木翁二の代表作『マッチ一本ノ話』を舞台化した異色作が東京で公演された。名古屋・大阪に続く最後の開催都市となったわけだが、東京でのお馴染みのファンにとっても、原作者のわざわざの上京によって実現したを鈴木翁二を囲むトークは楽しいイヴェントだったに違いない。鈴木翁二の原点ともいえる東京での生活や現在の北海道でのエピソード。そして、翁二世界の独特の言葉遊びなど、尽きない話題で場内を満たした。
今回の舞台美術は、昨年に「伊藤熹朔賞」を受賞したばかりの水谷雄司が担当した。すでに天野の舞台と10年以上も関わる舞台美術家であり、翁二の純粋なファンとして、また古くからの友人である水谷とって、その世界をヴィジュアル化することは、やりがいのある魅力的な仕事だったことだろう。コミックというひとコマごとに展開するストーリーを果敢に演劇として創り上げた天野の演出は、翁二ワールドに対する深い愛情とユーモラスがあちこちに顔を出し、おもわず笑いを誘うコメディとしても卓越している作品となった。
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ジョルジョ・モランディ〜花と風景〜
会場:光と緑の美術館
会期:1998年12月5日〜1999年2月14日
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入場料:700円
問い合わせ先:042-752-7151
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「花と緑の美術館」は、開館からずっとイタリア美術を中心に紹介してきた東京近郊の小さな美術館だ。個人のコレクターが、父親の日本画のコレクションを引き継ぎ、自分自身も独自の美術収集を開始したのをきっかけに、収蔵作品を定期的に紹介する場所として始めた美術館である。小粒な規模でありながらも、イタリア美術のモダン以降というコレクションの大きな柱を持っているためか、地方美術館として定着した地位を確立しつつある。
庭園美術館の巡回展として開催された本展覧会の「ジョルジョ・モランディ〜花と風景〜」は、本美術館の会場の都合に合わせて選抜された作品のみを展示した。
ボローニャ出身のジョルジョ・モランディは、ヨーロッパでは、近代イタリア絵画の巨匠として位置付けられる有名作家である。未来派運動に短期間だが関わったり、キリコやカルラといった形至上絵画派にも参加したりとモダニズムの運動にも大きく貢献したが、その後は静かで深みのある風景画や静物画を描くようになった。シンプルなフォルムと限られた独特の色彩による静物画は、代表作として知られる。 |
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2月14日には、関連企画としてバレンタインコンサート「ピアノ・チェロ・フルー
ト三重奏」(2:00 pm〜 1500円 要予約)が行なわれる。 |
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ゴージャラス「DUBUT ALBUM」ファーストCD発売
定価:1800円
制作:テックアートレコード/トランスパシフィックデジタルM
問い合わせ先:03-5485-9196
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松陰浩之&宇治野宗輝のアートユニットとして知られるゴージャラスが、サポートメンバー“Big Star Big Mountain”を加えてさらに強力なロックバンドを展開している。ついに12 月1日にファーストCD「Singo」をリリース。このアルバムの発売を記念して恵比寿のミルクを中心に各地でライブ活動も盛んに行なった。12月1日は、新宿ワイヤーで、28日には青山のCAYで、それぞれ多くのゲストを交えてロックンロールの夜は更けたのだった。ゲストのなかには、会田誠、伊藤桂司などのヴィジュアル・アーティストも参加し、それぞれミュージック・パフォーマンスを行なった。しかし、私はこのアルバムをまだ聞いていないので、この情報は前情宣ということになる。アートが分かるロックンローラ−は、ぜひ1度は視聴してみよう! |
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若林奮「緑・」
会場:佐谷画廊
会期:1998年12月11日〜1999年2月6日
問い合せ先:03-3564-6733
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佐谷での初個展になるはずだった若林奮の新作は、運搬中の致命的な破損という事故に見舞われて実現することがなかった。結局、会場では小作品を展示するだけに終わり、次回の若林の展覧会は未定という発表だった。このような事態に遭遇した作家や画廊にとっても大きな衝撃だったに違いない。しかし、このような事故はけっして考えられないことではないだけあって、美術展における事故回避やその後の解決方法など具体的な課題を残した事件と言える。
プレスレリースによれば、若林の新作は、「自己と自然の間に振動しながら存在する空間を推し量り、埋めようとする行為としての彫刻という概念」を20数年に及んで追求して獲得したものであり、40年間に亘る彫刻家としての作家活動の軌跡を辿るための大きな鍵となる作品を目指したもの。新作は「胡桃(くるみ)の葉」のシリーズを継続する時間的要素をもった作品に「振動尺」という空間概念を組み合わせたものになるはずだった。それにしても、重ねて残念至極である。 |
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小谷元彦「トランスフィギュレ−ション」
会場:レントゲンクンストラウム
会期:1998年11月28日〜12月19日
問い合せ先:03-3401-1466
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(c)小谷元彦
写真:レントゲンクンストラウム
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'97年秋にPハウスでの個展「ファントムリム」 でデビューを飾った小谷元彦が久しぶりにレントゲンクンストラウムで個展を開催した。「トランスフィギュレ−ション」と名付けられたこの展覧会では、全ての作品に“旋律”を奏でるような楽器(バイオリン)や女性のフォルムを交えた流線形がモチーフとして登場していた。
女性の裸体に描かれた流線形の入れ墨のようなものは、以前、ヤンキー達の車のボディーでよく見かけたものだ。しかし、このマークは、バイオリンの名工者であるストラディバリウスのものである。彼は、自分の創ったバイオリンの裏にこのマークを必ず入れ墨していたのである。単なる職人ではなくアーティストとしての証しとしてこのようなデコラティブな様式を選ぶというのは面白く、刷りでなく刻印するという仕業で自らの仕事を歴史に残してきた事実は、彼のアーティストとしての強い信念が伺えて興味深い。
指先に強制ギブスのように付けられたバイオリンの弦を固定する作品は、女性の手のひらで旋律を奏でることができるのではと錯覚する。これは、ピアノの鍵盤への指を叩き付ける技術をはかるために開発された道具「フィンガーシュパナ−」から小谷がインスパイアして創った独自の空想的旋律用具である。R.A.シューマンはこのピアノ用のギブスを使い過ぎて指をいためてしまったと言う。ここにもアーティストとしての自負が背景に存在するのだ。反科学的でありながらも矯正によって得られる完璧な旋律へのこだわりが、こうした道具を生み出し、飽くなき挑戦へと結びついていったのであろう。小谷の「フィンガーシュパナ−」は、指を壊すことなく、サイレンスのなかで豊かなハーモニーを奏でている。 |
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磯崎道佳の作品には、子供服、玩具、ぬいぐるみといった子供の頃の記憶を喚起させるような素材を用いられる。今回の展覧会では、カラフルな子供服やベビー用品、ぬいぐるみなどを縫製してできた遊び用の子供の城のような立体作品があちこちに点在している。また、同様の素材でできたパラシュートとユニフォームが、抜け殻のように横たわっている。
磯崎は、このパラシュートを使って、実際に大空に飛んでみるというパフォーマンスを行っている。この状況が、写真やヴィデオによるドキュメンテーションとして一緒に展示された。作家が子供から抱いていた“大空への夢”という憧憬が重なり、風のなかで大きく揺れて激しくぶれてしまう画像が、作者の心の躍動を伝えている。室内会場では萎んでヘンナリと横たわったしまうパラシュートが、空中ではカラフルな大輪の花へと変化する様子が美しい。記録されたヴィデオからその日の天候や風、人々の歓声などによる実際の飛行状況が想像できて、童心に返る楽しさが直接的に写し出される。
別な作品では、合成材質(FRP)の人型の模型から間隔を置いてファンモーターが作動し、息を吹き込むような仕種をするようにしてあったが、この反響音は作品のイメージを反って萎縮させたように感じられた。個々の作品のレイアウトもかなり無造作に設置したように見えたが、そんなラフな状況設定に磯崎が引きずる子供っぽさが見て取れるのかもしれない。 |
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古井智「美しく恐るべきもの」
会場:ギャラリー小柳
会期:1998年12月1日〜22日
問い合せ先:03-3561-1896
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今回の古井智の作品は、世界中で繰り広げられた原水爆実験の様子を克明に絵画によって再現した絵画作品である。それぞれの絵画には、実験が行われた年月、場所、実験の内容、規模などが詳細に明記されている。その生々しさとは反対に、絵画では観光写真や土産用の風景絵画のように、夕日を交えた穏やかで、のどかな色合いの状況が描かれていたりする。そのギャップに「美しく恐るべきもの」という今回の展覧会のタイトルが物語っているのである。
確かに、原水爆という大掛かりな爆発には、カタストロフィーともいえる不可避のダイナミズムを孕んでいる。観客となった我々の視点は、個々の爆発の激しさや、形態の違うキノコ雲をひとつひとつ確認していく作業を強いられる。モチーフが、明らかに社会性を強く帯びた原水爆という深刻な問題を含みながらも、そこには、社会現象としての原水爆実験の脅威というものは、消滅してしまっている。データベース化を目的として描かれたというこの作品に、タブーという認識はない。南国の穏やかな寒村を襲った、この爆発の事実を考えると、今世紀に人類が行った最も危険な実験だったに違いないのだが、作家が、写真から得た事実をそのまま写生する作業の過程で、現実はイリュージョンへと変容しているのだ。
これは、蔡國強がアメリカを巡って、まるでマジシャンのように小規模な火薬の煙りが手のひらのうえでキノコ雲を創ってしまう作品とは、大きな隔たりがある。蔡の作品には、アメリカの核保有大国としての事実、また核被爆の経験のない土地としてのアンチテーゼが感じられた。小さいキノコ雲が写真のアングルよって、爆発が起きたように見せ掛けているのだが、どの街も被爆の危機はまったく脅かされることのないのどかな田舎や平和な都市ばかりだ。その背景に写る街並みが穏やかであればあるほど、核という脅威に迫っていたように思う。
しかし、古井の作品では、マッシュルームの形態をまるで美しいフォルムを持った彫刻のように忠実に、また装飾化して描くことに専念しているようである。この作品で、恐怖を孕んだ美を見るか、またはうつろな虚構を見い出すかを問いただしているより、テーマに翻弄されて見逃してしまっている“絵画論”というまったく違う次元を差し向けようとしたのである。 |
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*次回展覧会:中井川由季(陶作品)
1999年1月18日〜2月6日 |
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エロ・ポップ・クリスマス「アートを変えよう!アートを買おう!」
作家:村上隆、森岡友樹、ボーメ、タカノ綾、町野変丸、ミスターほか
会場:ナディッフ
会期:1998年11月27日〜12月25日
問い合せ先:03-3403-8814
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アートブックショップとしては、現在いちばん元気が良いと思える「ナディッフ」は、ギャラリースペースも運営して、アート作品の販売にも力を注いでいる。今回は、“エロ・ポップそれにクリスマス”というクリスマス時期に合わせたイヴェントを開催した。オリジナル作品が簡単に購入できるという手ごろな値段設定をして、アートの購買層を広げるための意欲的な活動を行なったといえる。この展覧会では、村上隆が率いるヒロポン・ファクトリーのアーティスト達のオリジナル作品が、本当に安価で高校生でも買えてしまうような値段(2千円〜)で売っていたのだ。
ヒロポン・ファクトリーを含む同世代のアーティスト達が、推進しているマンガを主体とした表現は、すでに総合芸術としての評価を獲得しているといえるだろう。こうしたマンガオロジーのパワーは社会的現象としても認識されているが、卓上ではなく夜間電車や喫茶店の座席で手に取って鑑賞できる最も身近な芸術だということも、その推進力を増強させている事実である。だから、今回のラインナップには、Tシャツやマルチプル、消耗品まで含んだアートの商品化が目白押しなのだ。
彼らのポップで日常的な形態や表現は、まさしく90年代を象徴するアートとして認知され、観念的で形態を重視した70〜80代のコンセプチュアルな作品とは一線を区切っている。副題の「アートを変えよう!アートを買おう!」という言葉が物語るように、アートの体質を根底から変えようという戦略が伺える。そのためには、現状を脱却して21世紀を担う10代をターゲットにするというのも頷ける。大人にアピールしたって何も始まらない。ということを、これまでに十分に理解してきたことなのだから。 |
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*次回展覧会:イリヤ・カバコフ「本、アルバム、ポスターなど」
1998年12月28日〜1999年2月1日
関連イヴェント:イリヤ・カバコフについて(中原佑介)1月23日3:00 pm〜 |
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CCA北九州公開プログラム・コンファレンス「キュレイティング」
パネリスト:中村信夫(CCA北九州)、三宅暁子(CCA北九州)、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト、ウテ・メタ・バウアー
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会場:スパイラル6階
会期:1998年12月10日 6:00-8:00 pm
入場料:1000円(同時通訳設備料)
問い合わせ先:093-663-1615 |
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CCA北九州が、開催する東京でのコンファレンスは、すでに定着しつつあるが、今回は参加予定の3人のパネリストがシドニー風邪のために来日をキャンセルするという波瀾めいた開催になった。海外からの出席は、ハンス=ウルリッヒ・オブリスト(パリ市近代美術館キュレーター、インディペンデントの活動多数)とウテ・メタ・バウアー(ウィーン・アートアカデミーの現代美術研究所ディレクター)の二人になってしまった。しかし、来日予定になっていたベルギーのバーバラ・ファンダ−リンデン(マニフェスタ2のキュレーター)とコンファレンスの途中に、国際電話によるトークを行なったりして、その意味では、新しいコンファレンススタイルを期せずして実現することになったといえるだろう。
コンファレンスの内容がキュレーターによってディスカッションする「キュレイティング」がテーマということもあって、息も切らせぬほどの豊富な話題と多くの事例によって、キュレイティングの現状を考察することになった。パネリストの早口と過剰なまでの大量の情報で、観客はすっかりクタクタになってしまったが、「キュレイティング」というものが、すでに美術館の枠から飛び出した仕事であり、美術品を吟味するといったオブジェクトにこだわった作業ではないことは、承知の事実であることが総合的に認識された。こうした新しいかたちの「キュレイティング」が、今後の日本の美術展の運営を考察するうえで刺激的な具体例になったといえるだろう。 |
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あがた森魚プラネッツアーベント「冬の少年海洋星座は招く」
会場:池袋サンシャインプラネタリウム
会期:12月17日・18日8:00 pm〜
入場料:6000円
問い合せ先:03-3379-8646
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幻想的なあがた森魚のライヴとして評判の高かったプラネタリウムでのコンサート“プラネッツアーベント”が8年ぶりに再び復活した。ライブ構成は、映画監督の林海象による演出ということもあって、プラネタリウムの丸天井を生かした特殊な照明や数多くの映像を採用したファンタジーあふれる世界となった。人工とはいえ星空のなかでハッキリと見える流れ星に願い込めて、音楽を聞くというのもなかなか洒落たもの。ロマンチックな冬のイヴェントとして相応しく、ちょっとサビの効いたグラムビートが、懐かしく薫るあがたサウンドに、ファンはひさしぶりに酔いしれていた。という果てしなくロマンチックな夜に、筆者は帰りのちょいと一杯に飲み過ぎて、マフラーを呑み屋に忘れる始末。寒風が凍みる真冬のコンサートとなった。
現在、あがた森魚は99年の夏に公開予定の映画「港のロキシー」を制作中で、その一部も公演中に上映された。公開が待たれる!
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ボイド・ウェブ×藤田六郎
会場:モリスギャラリー
会期:1998年12月21日〜26日
問い合せ先:03-3573-5328
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ロンドンのゴールドスミス・カレッジ出身の藤田六郎の新作とイギリスの写真家、ボイド・ウェブの旧作によるイギリス・コネクションという点で実現した今回の2人展。ブリティッシュ・カウンシルが主催したイギリスイヤー'98での最後の美術イヴェントとなったようだ。
ボイド・ウェブは、CGを駆使した写真の加工作品で、縞馬が円形のなかでひしめくように重なりあっているもので、まるでエッシャーのからくり絵画のようなラビリンスな世界が繰り広げられている。
藤田六郎は、概念的世界のヴィジュアル化をめざし、単純な光の構成だけによる写真のプリント作品や、電球をコンクリートで固めて、漏れた隙間からの明かりだけがわずかに輝くという作品。明確なフォルムと硬質なマテリアルにも関わらず、センチメンタルでノスタルジックな情感を醸し出す。それは、ヨーロッパの間接的な採光に対する単なるセンチメンタリズムかも知れないが、量感や色彩がヘビーな割には、温かみを感じる作品である。 |
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田中文男「現代棟梁展」
会場:INAXギャラリー
会期:1998年12月1日〜1999年2月20日
問い合せ先:03-5250-6530
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田中文男は生粋の棟梁である。丁稚奉公として14歳のときから大工の仕事をしてきた男だ。いってみれば、今の東京では数少なくなってしまったシャキシャキの江戸っ子職人なのだ。だから、一言一言が端切れが良くてさっぱりしている。仕事もキッチリして立派である。この日は、田中の大工としての生きざまをドキュメントしたヴィデオを時間を忘れて見入ってしまった。抜粋した言葉のノートは無くしてしまったが、こころのなかが温まる一日だったことは確かだ。 |
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*次回展覧会:ライカ同盟「旧京橋區ライカ町展」
(赤瀬川原平、秋山祐徳太子、高梨豊)1999年1月5日〜27日 |
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筒井伸輔展
会場:ミヅマアートギャラリー
会期:1998年12月4日〜26日
問い合せ先:03-3499-0226
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筒井伸輔は、彩色したロウをキャンバス上で固めて描くという、通常の絵画では考えられない素材によって作品を制作している。筒井のモチーフは、昆虫の死骸をクローズアップした顕微鏡の世界である。昆虫といっても、蛾、蚊、蠅、ノミ、ダニなど害虫とされる嫌われものである。そのせいか、今回では、彩やかなグリーンを配したバッタがモチーフとして登場した。顕微鏡でキャッチされた虫の外観をプロジェクターで投影・拡大して象りするのである。それを型紙におこして配色していくという作業は、伝統的な方染め、または最近マダムの間ではやり始めたキャンドル作りの要領である。
さて、動物の死骸を定着化する仕事にはどこか狂おしいほどエキセントリックな謎を孕んでいるのが常だ。筒井の作品にはロウという素材によって色彩がハーフトーンに抑えられ、フォルムが多少なりとも滲んでいることもあって、抽象的な幻想的世界を彷彿させる。半透明な薄い膜のなかで虫が氷結化したような様子は、冬日の真昼の夢のようでもある。それは、決して氷解されずこともなく、目前に現われて暴れることもない虫たちのわずかな呻きが封印されているのではないか。 |
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