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香川  毛利義嗣
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report学芸員レポート[高松市美術館]

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高松市コミュニティ・カレッジ'99[芸術コース]

高松市コミュニティ・カレッジ'99
 計5回のレクチャー・プログラム。昨年9月から11月にかけてアーティストや批評家が講義、パフォーマンス等を行った。全体の基調テーマは「ルート・ディレクトリ II」。以下は各回の概要(構成 毛利)。

1.9/18 篠崎誠(映画監督)
  映画をつくるということ

 中学2年の時に中古の8ミリカメラを手に入れ、友達と映画作りを始めました。今考えれば単なる「映画ゴッコ」だったのですが、こうしたアマチュア映画作りが高校、大学時代を経て今に繋がっています。大学時代は心理学を専攻していましたが、講義を受けているよりもっぱら映画館にいる方が長いダメ学生でした。卒業後は映画製作の現場に進みたくとも、当時すでに映画会社は助監督の採用をやめていました。そこで偶然欠員募集していた映画館で働くことになりました。それと同時に大学時代の友人が編集していた雑誌に映画の紹介記事を書いたことがきっかけで、ライターとしての仕事も始めました。キアロスタミ、北野武といった才能ある監督たちにインタヴューしたことも刺激になりました。
 その頃、ある映画の製作現場の取材をすることがありました。低予算の上、製作サイドの様々な問題が重なってかなり劣悪な状況下での映画作りで、気づくと製作スタッフの手伝いをしていました。その時に痛感したのは、こうした厳しいスケジュールの中で、初めて出会う多くの人々とお互いがどんな人間であるのかも話す時間も充分ないまま一気に映画を作りあげるというシステマティックなやり方はとうてい自分には出来ないということでした。むしろアマチュア映画作りのやり方を押し進め、単に技術的なことやキャリアに関わらず人間的に信頼できる人々と組み、撮影が始まる前に充分に話し合いの時間をもうけるという方法でしか自分には映画を撮ることは出来ないと確信したのです。それでこれまで映写技師やライターをして貯めてきた数百万円の貯金を元手に自主製作の形で作ったのが、私にとって初めて一般の映画館で上映された『おかえり』という映画です。スタッフ、出演者たちはいずれも自分が映画館に勤めたりライター業を通じて知り合った人々です。
 映画は結婚3年目を迎えた若い夫婦が、妻の精神分裂病の発病をきっかけにもう一度お互いに向かい合うという物語をもっています。精神障害という微妙な題材のため、映画化にあたってはリサーチを充分行い、また取材に協力してくださった本物の精神科医の方に実際に医師役で映画にも出演していただきました。登場人物たちの息づかいを大切にするために細かくカットを割らず台詞は一切アフレコをやめて現場で同時録音にこだわりました。妙な言い方ですが、自分はこの映画を劇映画ではなくドキュメンタリーのつもりで作りました。結果として『おかえり』は、国内だけでなく30ヶ国以上の国際映画祭で上映していただきました。よく海外の映画祭で上映後に観客との質疑応答があるのですが、一番困るのは「この映画で一番訴えたかったこと、テーマは?」という質問です。初めから言葉で表現出来るならわざわざ映画にしなくてもよい、というのが本音だからです。テーマについて語ったり、物語を分析したり、あるいは監督のいわんとしていることを正しく受けとめることこそが映画を理解することであるかのように思われがちですが、これは間違いです。映画はひとつのテーマや監督や脚本家の思想そのものに収斂してしまうほど柔なものではありません。ちょうどこの世界そのものが誰か特定の人間の思惑通りには動いておらず、実に多彩で豊かな表情をまとっているように、映画もある瞬間からまるで生き物のように作り手の思惑さえも越えて動きだすものなのです。
 近年CGなど技術的な発達に伴い、映画は限界のない自由なメディアであるかのように言われますが、私にとっては逆で、映画こそ最も不自由なメディアであるというのが実感です。たとえば大抵の映画の上映時間は2時間前後です。それに比べて言うまでもなく私たちの日常は1日が24時間あり、映画が描くのは1日のわずか12分の1にも満たないような時間にすぎません。同様に世界は360度広がっていますが、映画のキャメラが切り取るのもそのごく一部にしかすぎません。ひとつのフレームを選択するということは、同時にその他の全てをフレームの外に捨てるということです。その意味では劇映画にもドキュメンタリーにも違いはありません。このように映画は時間的にも空間的にも限定されたものであり、それゆえ作り手たちはフレームの中だけでなく同時に外に広がる空間を観客に信じさせようと手練手管を使うのです。しかし、またどんなにCGなどの技術が発達しようと貧しい方法でしか描けないものがあります。それは人間の感情、人の心の動きそのものを描くことです。これに関して映画は登場人物たちの表情や眼差し、仕草や息づかい、言葉の抑揚や言いよどみなどを観客に示すことで観客の想像力に訴えるということでしか出来ないのです。しかし、こうした不自由さこそ、私たちが日常の生活で実感している不自由さと同質なものなのです。そして、こうした映画の限界、足枷、不自由さが逆に映画に「豊かさ」を与えてくれる場合があります。いわば映画は「作られたもの」であると同時に「作られたもの」としての「現実」なのです。今自分は映画監督としてそのもうひとつの「現実」と向かい合いながら、監督である自分が映画を作るのではなく、逆に映画を作ることによって未知の自分が作られているのだということを痛切に感じています。

2.10/8 Mr.(アーティスト)+森岡友樹(アーティスト)+花澤武夫[司会]
  森岡君とMr.さん それはS&M

左からMr.、花澤武夫、森岡友樹
左からMr.、花澤武夫、森岡友樹

(1)Mr. パフォーマンス──自作のパフォーマンス・ビデオ『二人のロンドン』のバリエーション。今回は、迷彩模様の短パンにスニーカー、「とんでるドラえもん」のTシャツ、金髪の90度横モヒカン刈り、背に大小二本の模造の日本刀、といういでたち。ステージにはビデオカメラが観客に向けてセットされ、正面のスクリーンにその映像が流される。Mr.はステージおよびその周辺で、刀を振り回したり舐めたり、顔をゆがめたり、といったような動作を、比較的ゆるやかに、おもにカメラに向かって行う。観客はMr.の背中を見つつ、スクリーンではそれを眺める自分達の姿およびミスターの顔と向き合うことになる。約35分。

(2)スライド・トーク──パフォーマンスを終えたMr.と、森岡、花澤による、スライドを交えたトーク。その間、今度は森岡がビデオカメラを持ち、客席の様子などを適宜スクリーンに映写。

花澤: Mr.はパフォーマンスを中心に、ビデオ作品等を制作。また、自分が買物をしたレシートの裏に、ハウス世界名作劇場他のアニメをネタにした少女等を水彩で描いている。森岡は2年半程前に「TOKYO SEX」展でデビュー、女の子の口にゴムチューブをはめてもらったり、舌をつまんだところを撮った写真の連作や、ビデオ作品を制作。私は、HIROPON FACTORYでパブリシティとマネージメントを担当している。さてMr.、今日はのっていたようだが。
Mr.: 『人造人間キカイダー』の主人公ジローはいつもギターを背負っているが、ある時山から落ちてそのネックが折れたことがあった。そのことを思い出していた。実は最近体調が悪い。鼻腔全体に膿が溜まっていて、近々全身麻酔の手術を受けることになっている。
花澤: 森岡さん、最近の作品については。
森岡: コンスタントに制作するのでなく、自分を追い込んだ方が奥からの表現が出てきて、短期間でもいい作品が撮れる。僕は基本的に人との距離感に興味がある。近作の『いいのかな』シリーズは、町で見かけた女の子に頼んで、その子の舌をつまんで撮った作品。普段隠しているものを、それを出していいのか悪いのか分からないという状況のままに撮影している。また、今作っている『あたたかさ あたたかさ』のシリーズは、斜めに立てかけた透明なアクリル板を踏んづけてもらい、それを下方から撮ったもの。僕は、「演技から入った本気の表情」が映ればいいと思っている。たとえ笑顔を作っていても、その奥の不快感や羞恥心が読み取れる写真だ。女の子との距離感をコントロールし、それを分かりやすい文脈、物語に置き換えて作品化している。
実際のマーケットではモノでないと流通しないので写真というかたちをとっているが、実は写真はそのプロセスの証拠であり、道具、キーワードのようなものだ。
花澤: 「モーニング娘。」のビデオクリップのドラマ作りのうまさに感心していたが、アートの世界ではどうか。例えばプロレスでは「ドラマ」を作るために雑誌があり、ファンは試合を見なくてもフォローできる。展覧会でもドラマ作りが大事だと思う。客の6〜7割は情報雑誌を見て来ていて、雑誌に載らないと来ない。また、情報が流れていれば、たとえ来なくてもドラマが分かるのだが。
森岡: 日本では当たらず触らずでドラマティックな動きがない。その点、僕たちは分かり分かり易すぎるほどドラマ的、物語的だ。あるいは、例えば、会田誠もああ見えて天然ではなく、自分のパーソナリティを分かった上で賢くドラマを作っているのだと思う。
花澤: ある程度作っているのは分かるが、後の反応まではどうか。
森岡: 戦略を立てすぎても村上隆のように反感を買う。彼はそれでも、ギャラリーやキュレーターなどを巻き込んで乗り越えていけるが、難色を示されて身動き取れなくなっている人の方が多い。彼のようにかき回す人がいるからこそ、それによって空いた穴のような場所で、戦略的ではないという戦略を選べるのだと思う。
花澤: いずれにしても「ドラマ」はキーワードだ。日本人は盛り上がるのは好きだと思うが、現実には傍観者だ。ドラマが少ないので、アートの情報も雑誌などに載せてもらえやすい。実際、美術の中で今まで「ドラマ」を意識した人はあまりいないのではないか。
森岡: 例えば、最近展覧会で行った名古屋はとても現代美術に熱心な場所なのだが、一方でコストとか、売ることについての戦略性が感じられない。僕は来年から東京に行くつもりだ。やはり、食べるためにはメディアが集中するところがいい、と思うからだ。
花澤: 海外に出ることは考えてないのか。
森岡: 香川で生まれ、修学旅行で初めて実際に外国人を見た僕にとっては、語学のことだけでなく、撮る対象として、コンプレックスの壁があまりに大きすぎて入っていけない。コミュニケーションがとれないと思う。東京、大阪、香川の情報量の違いは大きい。

(3)Mr. ライヴペインティング──トークの途中からステージに戻り、イーゼルに向かって黙々と絵画制作。2Dアニメ風少女をモチーフにした30号程度の油彩画。タイトルは『ネスコ』、未完。

3.10/22 竹熊健太郎(編集家、マンガ原作者)
  マンガ表現の独自性とは何か

竹熊健太郎

 今日は、マンガのジャンルの中でもストーリーマンガをメインに語りたい。これは、手塚治虫のベストセラー『新宝島』('47)から数えても50年ほどしか歴史がない。最初は児童向けであったが、50年代終わりからの劇画運動、60年代の少女マンガや「ガロ」などの出版によってテーマや表現の幅が広がる。70年代を通して商業的に成長、90年代初頭には「少年ジャンプ」の売上が600万部という状況に至り、商業的にも表現上でも世界的に見てもユニークなものに発展した。ただし、現場レベルの試行錯誤の中で行ってきたために、どのようにユニークなのかを説明する言葉が追いついてこなかった。東南アジアでも日本のマンガが大量に出版され、それを読んだ世代に優れた作家が現れている近年の状況の中、欧米の日本文化の研究者達がマンガに注目してその説明を請うようになってきた。また、マンガ以外のメディアからも同様の問いが出される。これらに対して、マンガ界やマンガ評論界は答えることができなかった。
 僕は89年から、ギャグマンガ家の相原コージと組んで『サルでも描けるまんが教室』の連載を始める。これはマンガ入門の形式をとっているが、普段は意識しないマンガの構造を意識させることで作り出されるギャグの決定版をやろうと考えたものだ。その後、マンガ家であり、『手塚治虫はどこにいる』という描線から見た手塚論を書いた評論家である夏目房之介氏と出会い、マンガの「文法」のようなものを総括してみようという話になった。93年当時のマンガ評論は、文芸批評的、教育学的あるいは社会学的、マニア的なものはたくさんあったが、マンガならではの表現に言及したものは皆無に近かった。外国からの問いに応えたいという気持ち、また知的好奇心から、2年ほどの研究会の後に『マンガの読み方』を出版した。執筆者にアカデミシャンは一人もいず杜撰な部分もあるが、このままでいくとマンガは必ず第二の浮世絵のようになるという思いで、現場に関わってきた経験をベースに言語化を試みたのだ。
 マンガは、絵と言葉とコマでできている。マンガ批評というのならこの三つを切り離せないものとして語らなければならない。三者が融合して物語を紡ぎだすのが手塚が確立したストーリーマンガだ、といってよい。では、普通「絵」といっているものは何だろう。マンガの一コマには、主に見せる部分である「主体」、人物も含めたそれ以外の背景としての「客体」、吹き出し、擬音、などがある。しかし、「絵」と考えると説明がつきにくいものもある。衝撃を表す火花、動きを表すスピード線、汗、砂ぼこり、などだ。これらは以前からのマンガの表現が積み重なって発展した語彙であり、絵に形容詞的なニュアンスを付け加えるものだ。これを主体の絵から分け、僕たちは「形喩」と呼んだ。また、効果音的な擬音については、言葉が客体的にビジュアル化されたものとして「音喩」と呼んでいる。この種の非写実的な表現は、事実上「絵」の基準となっている西洋近代絵画が排除してきたものだ。また、一つの絵から多様な意味を読み取れるのが高度な表現であるという常識に照らせば、分かり易すぎて幼稚である。いわゆる「いい絵」からはずれている。ではなぜ使うのか。ストーリーマンガとは膨大なコマの連なりで物語を進めていく形式だからだ。一つ一つ鑑賞できるほど絵の密度を高めると、かえって物語の流れを阻害してしまう。一瞬で見て理解できることが必要であり、記号的なシンプルさが求められるのだ。この点ではマンガは、文芸の一形式であるともいえる。したがって、物語を進める上で重要になってくるのがコマ割りである。
 戦前のコマ割りは、雑誌掲載の時は八分割というように決まっていて、また人物の動きも上手から下手へという風に舞台劇的であった。手塚がデビューした時、コマ割り自体は定型的だったが、奥から走って来た人物が手前でアップになるというように、構図が画期的であり映画的な迫力を持っていた。さらに弟子の石ノ森章太郎は60年代、シネスコ映画などの影響もあったと思うが、自覚的にコマ割りの実験をたくさん行った。コマ割りによって一つには心理描写が可能となる。フレームを自由自在に変形できるマンガの特性をフルに使い、心理的な圧迫感や解放感を表現できるのだ。もう一つ、コマ割りには「編集」という側面がある。「映画は時間の彫刻だ」と黒沢明がいうように、編集はその作家性を示す重要なものだ。紙の上で映画をやりたいというのが、戦後マンガのモチベーションにもなっているわけだが、ところが、マンガでは時間は読者の側にある。そこで、フレームが一定で秒数を区切っていく映画とは異なり、コマの大きさを変えることによって読者のコマごとの視線の滞空時間をコントロールする方法をとったのだ。描き込むことでじっくり鑑賞させたり、逆にサッと見せるようなコマ割りを使ったり、つまり、時間の秒数ではなくコマの大きさや形などで映画作家の編集のようなことを行ったのである。このようなフレームの自在性は、他のジャンルにはないマンガならではの武器といえるだろう。
*この後、マンガの三要素がどのように複合的に使われているか、あるいは効果的に裏切り合っているかを、つげ義春『海辺の叙景』、高野文子 『田辺のつる』という具体的な作例で見ていった。

4.11/5 岡田裕子(アーティスト)
  日常の中で、ちょっとだけコワれた人々について。

 私が最近制作しているものに一貫しているのは、必ず人が出てくるということ。たとえば男と女が恋愛をしたりケンカをして別れたり、といった日常のドラマのシーンを演じる登場人物だ。それを通して、人の内面を追いかける作品を作っている。大学の時に私は、電車で2時間くらいかけて通っていたが、その間ずっと、あの人はどうしているだろう、とか、あの二人は本当に愛し合ってつき合っているのだろうか、といった友達のこととか噂話のようなことを考え続けていた。それならそういったことを主題にしてみたらどうだろう、と考えついたのがきっかけで、今の制作の方向にいたっているわけだ。その中のいくつかを紹介したい。
 『私の歌』は、去年、東京都写真美術館などで開かれた「LOVE'S BODY−ヌード写真の近現代」という展覧会に出品したもの。背を向けて座っている男女は写真で、背景の川と空はペインティングだ。二人の背中の部分が穴のように空いていて、それぞれ別の文字が切り貼りされている。マンガなどからの切り抜きやコンピュータで作ったものだが、これは私のオリジナルの歌の歌詞である。展覧会カタログにも書いたように、二人で同じ風景を眺めていても、自分の思い入れは実は互いに共有し合っていないのではないかという気持ちで作った作品だ。また、新作の『ある恋人・M氏とS嬢』の男女は、二人の手が互いに服のように相手に絡みついている。束縛しあっているのだろうか。それが苦しいのか楽しいのか、美しいのか醜いのか、人によって様々であり私にも分からない。そんなことを考えて制作したもので、シリーズとして作っていきたいと思っている。
 『KISS』は、96年に東京・青山で行われたアートイベント「Morphe 」の参加作品で、その町の風呂屋の中に展示したもの。透明なフィルムに赤いキスマークを無数につけ、それを風呂屋のガラス戸一面に男湯と女湯まったく同じ状態に貼り付けて展示した。普段は遮られている空間が、天井際から互いに少し見えるようにすることで両者をシンクロさせている。アンケートを読むと、男性は想像が膨らむようで妙に盛り上がっていたが、女性は、恋愛感情や性的な気持ちを無理に引き出されて痛い、といったような受け取り方の違いが興味深かった。
 98年の個展『僕たち、こんなことがあったよね』では、男女がつき合う中で感じる心の葛藤を“ゲーム”の形式を使って表現している。ジオラマ風の立体『僕たちはお互いの手の内を探りながら、慎重に駒をすすめあった。』や、そのジオラマの中で二人がゲームをしているように写真を合成した平面作品、また、やや意味深な『君が一緒にゴールしてくれるまで、僕は待ってる。』は双六風、ままごと遊びの跡のような『二人の愛のある風景』。これらの中では実際の人間は不在であり、その痕跡しか見られない。あるいは間接的に覗けるだけである。
 映像作品『白いカイト』は、恋人が別れる際にその記念に凧をあげる風習が日本にある、という架空の状況設定で撮影したドキュメンタリー風フィクションで、“凧”を用いた私のインスタレーション作品『Sweet memories』(98)に合わせ、映画監督の村松正浩さんが脚本・監督をした作品。私の他の作品でもそうだが、いわば匿名の男女が登場していて、見る人によって異なる捉え方がされるだろうと思う。
 『私はあの時泣いた、でも、それが何故だったのか、今ではよく思い出せない』は、忘れるということはどういうことかを考えていて作った作品だ。過去に二人がつき合っていて何か事件があって泣いていた。心の高揚感のようなものがあったはずだが、別れてしまってそれが過去のものとなると、なぜ泣いたのか覚えていないことがある。この作品でも見られるように、私はよくモザイクを使う。ここでは涙がモザイク状の切り貼りとして表現されている。モザイクは普通、見てはいけないものを隠す、あるいはプライバシーを守るためなどに用いられるわけで、モザイクをかけることは何らかの記号である。ところで私の作品では、別に隠す必要のない場所、女性の涙や、別の作品では体の部分ではなく彼女の下着に、あるいは顔にモザイクがかけられている。これらのある種無意味なモザイクは、いったい何を隠しているのだろうか。私は隠されていることが好きだ。それによって逆に本当のことが見えてくることもあるし、また見た人それぞれが、過去にあったことをきっかけに別々のことを考えもする。そのこと自体に非常に興味があるのだ。
 さてここで、今回のレクチャーのために私の回りにいる制作する人たちをインタビューした映像『私のまわりのおもしろい人へインタビューしてみた。』をお見せしたい。彼らは自分の内面について考えたり、人との関係がその作品に深く関わっている人たちだ。ここに登場するのは、シンプルな輪郭によって“家”や“紋章”などを描く画家、O JUN、先にも紹介したが『シンク』でぴあフィルムフェスティバル大賞を受賞した映画監督の村松正浩、女性を縄で縛る“緊縛師”であり、最近『縄文式』という作品を発表した映画監督、ダーティー工藤、の三人である。見る人との様々なシンクロについて考える際に、私の制作態度ともどこかつながってくると思う。

5.11/12 藤本由香里(評論家、編集者)
  私の分身・私の居場所−少女マンガの中の“もう一人の私”−

 小著『私の居場所はどこにあるの?』の中で私は、文字通りそのタイトルに象徴される感覚が少女マンガを貫いてきたことを書いたが、もう一つ、少女マンガの中にこの「居場所」と並んで繰り返し顔を出すモチーフがある。「分身」「もう一人の私」というテーマだ。これは、一つには女性が、少女−女−母とアイデンティティが変わる体験を余儀なくされ、ライフサイクルの上で複数の自分を意識せざるをえないという理由から来ていると思われる。もう一つ、少女マンガは内面を描くものであり、登場人物の一人一人が作者の分身だといってもよい、ということがその背景にある。最初に考えてみたいのが「男である私、女である私」、同じ人間の性別が変化するという意味での「分身」だ。例えば、最初のストーリー少女マンガである手塚治虫『リボンの騎士』では、性別が変わることで「違う自分」が意識されていく。また、清水玲子『月の子』に象徴的に表われるように、普段は少年のような主人公が、好きな相手が現れると美しい女性性を身にまとう(『月の子』では実際に主人公がその瞬間、性転換する)、というのが少女マンガでの性別越境の基本的なパターンである。
 ユング派心理学者・河合隼雄『とりかえばや男と女』によれば、女(男)性的自我には自分の内に理想とする男(女)性像があり、魂の原形は男女の対、つまり両性具有として意識されているという。実際、少女マンガの中では両性具有であるべき自分の内側の性と自分とが行き来する形で性を超越した「分身」が現れる。これに対し、男性誌では、現実の性差をより強調した上で、外見において片方の極から片方の極へ飛び移る、たとえば主人公が女装する場合なら、自分が理想とするような完璧な女性性をまとって現れる、というケースが多い。『おカマ白書』はその一つの典型である。性別越境が内なる分身として現れるということでは、大島弓子『ジョカへ…』『七月七日に』、萩尾望都『スター・レッド』など、少年が女性に変わってしまう例がある。少年が女性の姿で出てくる場合、多く主人公である少女を見守る存在として描かれる。これは「男女の対」が少女マンガの性別越境の原形にあることを象徴している。
 少女マンガの中での性別越境はこの〈対〉というものと強い関わりがある。「完璧な対」という形が見られる場合、木原敏江『摩利と新吾』のように多くは男性同士の姿として現れる。つまり、「女性」であることの役割や制約をすべて外したところでの理想となる「両性具有の対」という形で、少女マンガの世界が一つ成り立っているのだ。自分の恋人を「分身」と呼ぶことがあるが、それもこの一つの表われである。一方、石塚夢見『ピアニシモでささやいて』は、自分の中に眠っている完璧な自分を引き出してくれるベターハーフ(完璧な他人)を求めてきた少女マンガが、「“完璧な他人”とは私自身のことでなかったか」ということに気付く、完璧な〈対〉=「分身」願望からの自立の物語である。
 この「自分の中にはもっと素敵な私が眠っている」という感覚は、かつては理想の男性との恋愛によって呼び覚まされるものだったが、最近では仕事などを契機に、そうした「よりよい自分」が表に出てくるようになった。美内すずえ『ガラスの仮面』が圧倒的な人気を集めるのも、「女優」として見出されることによって、眠っている複数の自分を「分身」として表に出せるからかもしれない。
 次に、まったく同じものが二つ目前に現れる「双子」というテーマを見てみたい。「双子」を扱った作品は以前からあったが、80年代半ばからはそれが、「私とは、自己とは何か」という内面の問題として描かれるようになった。その中でも、男性の双子は純粋な対として生きることを選択するものとして、また男女の双子は近親相姦的に愛し合う完璧なカップルとして描かれることが多い。女性の双子の場合は激しい嫉妬から片方が片方を消して相手になりかわるが、本当に殺されたのは誰なのか、というような展開が多く見られる。つまり、理想の自分にこだわるあまり、本来の自分を殺してしまった、というわけである。また、死んでいったもう一人の自分の分まで引き受けて統合された自己になる、という展開もある。
 最近では「クローン」を扱った作品も多く見られ、そこには、ある時間的な流れの中で受け継がれていく記憶の遺伝子、というモチーフが浮上してきている。つまり、過去にあった自分を統合したものとしての未来の自分、という考え方である。また、クローンから移植した体細胞が本体を攻撃し始める、という「自己」そのものを再考させる物語も描かれている。
 このように、少女マンガの中の「分身」というテーマは、非常に現代的な主題を取り込みながらどんどん拡大していっている。最初は〈対〉への憧れのようなものから始まった「分身」というテーマは、今では人間の成り立ちそのものに関わるようになってきた。
 もともと二つの異なる性があり、そこから新しい自己や生命が生まれてくる。親のコピー(分身)でありながら同時に新しい存在でもあるという生命連鎖の問題、あるいは遺伝子の問題、「自己とは何か」「心と体のどちらに自己があるのか」、といったところまで、「分身」のテーマは発展し、大きな広がりを見せているのである。

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