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岡山 柳沢秀行
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exhibitionこんにちは美術館で思ったこと。ワークショップは誰のもの?

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 昨年から当館で立ち上げた「こんにちは美術館」事業。
 外部への情報発信の際には「常設展へのアクセスツールとしてのワークショップの採用」、「豊富なノウハウをもった外部ゲストを迎え、美術館とゲストの1年間のコラボレーション」の二つの柱を掲げていた。
 実は私なりにこの二つにも関わるが、特に外部ゲストを迎えることに、もうひとつのと言うか、もっと大事な目的があった。
 それは、美術館とその利用者各々の考え方、立場を良く理解して、建設的な、時に辛らつな意見も吐ける人間を「対等なパートナーとして迎える」ことによって、美術館を外部からの視線にさらし、改めて美術館を相対的な視点の中で見つめ直したいというものである。
 そのため美術館に対して私が期待できるような関わりも持てる人材として、ゲストに小石原剛さんを迎えた。小石原さんは肩書きの特定が難しい人だが、美術作家であり、学校現場経験もある優秀な教育者であり、最近はNPOまで立ち上げた、やり手である。
 期待通り、小石原さんは美術館との共同作業として優れたワークショップを実施するとともに、「美術館ユーザーの立場から市民と美術館双方の幸せになること」を目指す立場を再々口にして、美術館ユーザーの視点に立った意見を明快に述べ大きな刺激を与えてくれた。
さらには、
・「美術館内で一日限りのミニFM局を開設して、適宜、館長や学芸員、それに掃除の方などをゲストにしての対談。学芸員のこてこて作品解説から、美術史を大いに語るコーナーなんてのもあり」
・「多数の観客が見込まれる展覧会の時、中庭に所蔵作品の立体模型を作って、それに観客が入って楽しむ。写真撮影は1回500円で、大判でしっかり撮ってあげる」
 このような私を困らせる提案を平気でし、困ったフリして、私もそれをそのまま職員会議に持ち込むことで、今のこの美術館の考え方の輪郭をしっかり明確にすること出来て、とてもスリリングであった。その点、職員のみなさん、困惑させてごめんなさい。
 さて、今年度になり中学教員経験者二名もの教育普及担当を据えたこともあり、この「外部ゲスト」との「一年間」の「コラボレーション」はなしになった。もちろん自前の職員で良質な普及プログラムの提供は継続できるだろうが、外部ゲストに託した私のもうひとつの目的が損なわれたのはとても残念である。
 それでも1年間こんなことが実現していたことは、日本の美術館の現状においては、恵まれた、凄い出来事だったと思っている。小石原・柳沢組としては、もっともっとあれやこれややりたいことがあったぐらいであるが、美術館の側としては、たったあれだけのギャラでこんなにも働いてくれてと、小石原さんにも感謝をしている。このあたりからも、彼がいかに、ただ事を荒立て対立の図式からしか他者との関係をつくれないような人からは、遠い存在であるかがうかがえよう。
 さて一年間のコラボレーションを通じて、気になったことをひとつ書き留めておきたい。
 私はしばしば冗談交じりに「もう理解した。来年からは、このネタ、僕やるよ」と小石原さんに言った。
 なにしろプランニングから共同作業をしてコンセプトは理解していたし、現場で参加者をナビゲートする技術も一度見ていればコツはわかる。その点では、こちらにだって腕に覚えはある。あとは使用する素材の特徴を理解すれば、上手に絵を描くなどの特殊技術もいらないわけだから「次は自分でできる」と思うわけである。
 ところでこのことは、小石原さんのワークショップに限ったわけではない。各地から紹介されてくる様々なワークショップも、館ニュースなどの紙面をみただけで、かなりのものが「これなら出来る」と思う。
 ここで私はべつに自慢をするわけではない。注意を促したいのが、ワークショップの著作権である。それもいわゆるアーティストが実施したワークショップの保護である。
 これはひとつにはアーティストの活動形態の変化にも関わることだと思う。近年は、これまでのコンセプチャルアートとは、また異なり、多数の人間を巻き込みながらある種のイベント化、プロジェクト化した「アーティストの作品」が増えている。
 熊倉敬聡氏は、ダムタイプの活動を挙げながら次のように述べている。「彼らにとってもう一つの重要な活動が「場」の創造である(中略)「場」の創造は、コラボレーションとも言い換えられる。ダムタイプは、従来の芸術集団に往々にして見られたように、リーダーを頂点とするようなヒエラルキーを形成していない。そこでは互いが互いの特異性を尊重しつつも予期せぬ科学反応を起こすような共同制作が行なわれている。(中略)そのコラボレーションは内に閉じたものではなく、多様な外の人間、組織に対しても開かれている」
「〈脱芸術〉的実践に向けて」熊倉敬聡・千野香織編『女?日本?美? 新たなジェンダー批評に向けて』慶応義塾大学出版会 1999年3月)
 こうした意識をもって活動するアーティストはダムタイプだけではなかろう。昨年から今年にかけて福岡で活動を展開するヴォッヘンクラウズールのことが記憶に新しいが、それに参加していた藤浩志さんは早くから「社会のOSに関わるアート」を口にし、いくつかのプロジェクトを進行させてきた。小石原さんも、そうしたタイプの作家だと言えるだろう。
 おそらく、こうしたアーティストが、熊倉氏が言うような『場』の創造を美術館を舞台に実施すれば、それはワークショップと言う類型におさまろう。小石原氏は明言こそしなかったが「こんにちは美術館事業」そしてその一つ一つのワークショップも「彼の関わった作品」と認識していたのではなかろうか。また小石原さんに限らず、美術館でのワークショップに招かれたアーティストの多くは、それを少なからず自分の作品として認識しているのではないだろうか?
 こう考えれば、逆にユニークなワークショップ・プロジェクトを実施している全国の美術館職員もアーティストだろうかともなろうが、その話はここではおいておくとして、こうしたアーティストと自己認識している人によるワークショップ・プログラムを、守る法制はいかなるものだろうか?
 幸い今のところ、互いが道義的にわきまえているため、よそ様が実施したプログラムを盗用した事例はあまり聞かない。逆に特定の個人的なキャラクターなしでも成立する良質なプログラムなら、どんどん他館でも実施したらよいと思うものでも、逆にそれを流通させることがはばかられているのが実情ではないだろうか?
 各美術館とも教育普及の分野で盛んな商品開発を進めている。私は美術館職員が開発したものについては、いわばフリーウェアーとしてどんどんみんなが使えば良いと思っている。ちなみに当館で開発した常設展観察日記などは、商標登録も実用新案も押さえていないから、これはナイスと思うところがあれば一声かけてどんどん使って欲しい。
 逆に芦屋市立美術博物館や平塚市美術館などのシステム構築やらプログラムやら、出来ることならパクらせて欲しい参照事例は多々ある。(ね、倉科君に瑞山さん。あっと、でも僕はうちの館ではもう教育普及担当じゃないから、出来ないや)
 ただ思うのに、外部からアーティストを招いた際のプログラムに関しては、少し敏感になって対処して、それをシェアウェアーとして扱うか、あるいはフリーウェアーとして流通させるにはどのようにルール化するか、すこし美術館の側が考えてみては良いのではなかろうか(こりゃやっぱり貝塚さんにお願いするしかないかな)。
 そうでなくてはいつの間にか、また新たな形で美術館がアーテストの収奪者になってしまう。


■美術史学会で思ったこと

 5月26〜28日、筑波大学で第53回美術史学会全国大会があり、その二日目にシンポジウム「美術展覧会と観衆」が行われた。
 パネリストは、青木茂(町田市立国際版画美術館)、浅野秀剛(千葉市美術館)、岡田温司(京都大学)、岡部あおみ(武蔵野美術大学)、島尾新(東京国立文化財研究所)、水沢勉(神奈川県立近代美術館)、渡辺俊夫(チェルシー・スクール・オブ・アート・アンド・デザイン)。司会に木下直之(東京大学)、五十殿利治(筑波大学)。まさにそうそうたるメンバーであり、議題も初めて本格的に観衆論が取り上げられることもあってか、美術館関係者も多数で広い会場は満杯であった。
 さてパネリストそれぞれの発表は、対象とする時代、地域、作品も異なりながら興味深く、刺激的であった。
 その後のディスカッションにおいては、私などは、こんなことかなと内容を期待していた。
 それは、日本でも西欧でも、いわば受注生産で制作された作品が極めて限られた観客に享受されていた時代から、作者が特定の受注者から離れ、大衆というマッスを相手にせざを得なくなった時代への作品の変化。またそうした19世紀中頃以降のアーティスト達が、いかに社会とのインタラクティブな試みを行っていたのか、あるいは社会との関係をあまり考慮せず自身の素朴な信条の発露に作品を使っている場合、その作品を、今日の美術館はいかに社会と結びつけるのか。さらに改めて社会と直取引を始める作家が増える現代の動向は?(前のトピックスを読んでください)。
 な〜んて、まさか最後の現代ネタにまではいかないとは思いながらも、一応のシナリオを想定していた。そんな難しい力業をやってしまえるのが美術史学会であり、日頃尊敬する壇上のパネリストの方々かと。
 結果は大はずれ。実はかなり確信的にもうひとつのシナリオを考えていたのだが、見事そっちになってしまった。
 それはフロアーからの発言が全てだったと思う。
「ヨーロッパへ行くと子供が床にすわり、ナビゲーターと共に、みんなで楽しそうに絵について語らっている。一方日本ではそんな光景みたことない」(おいおい。見たことないのは、貴女が最近日本の美術館へ行ってないせいじゃない。やってるよ。今みんな必死になって。それもあれこれ、いろいろ。それにヨーロッパへ行けば、いつでもそれやってる?俺見たことないよ。そんな光景を写したリーフレットだけでイメージしてるんじゃないの?それじゃまずいよ美術史家なら)
「美術史家は美術館に来た人の事ばかり考えているが、美術館に来ない人のことこそ考えるべきじゃないか(怒)」(おいおい主語が美術館ならいいけど、美術史家ってのは違うんじゃない?なんか恨みでもあるの。それに考えてるよ。それに手も付け始めてるよ。ねえ、アウトリーチって言葉知ってる?)
※( )内、私の胸のうち。

 壇上のパネリストもほんとにご苦労様状態だったが、さすがに終わった後、会場のあちらこちらにいた美術館で普及活動に頑張っている若者学芸員達はうんざり顔。
 そこで私は一言「これが現実。いつもは共通認識が出来ている者同志だから、何か盛り上がっている気がするけど、まだまだこの程度しか認知されてないと思って頑張りましょう」と良い子ちゃんに変身。
 でも私が思ってた、聞きたかったシナリオの方の話を、ぜひしっかりと討議されるのを聞きたいな。
 なにはともあれ美術史学会の場で観衆論が取り上げられただけ大きな前進。でもそれだけに台無しにした、フロアーのつまらん質問をした方々。ちょっと恨みます。そんな話は別の相手に別のところでしてください。もっといろいろ教えてくれるから。

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学芸員レポート[岡山県立美術館]
report香北町やなせたかし記念館アンパンマンミュージアムで思ったこと

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 何をいまさら、と言う話をひとつ。
 先日家族サービスを兼ねて高知へ旅行。そこで訪ねたのがアンパンマンミュージアム。今では高速道路網が整備され岡山から2時間半ほど、高知市内からだと30分くらいで着く山間部の施設だが、中四国のインタラクティブ系ミュージアムでちょっと気になっていたので、子供を喜ばせるのにもばっちりと足をのばしてみた。
 日頃、整然と絵がならんでいる職場にいる身には、うらやましい限り?の仕掛けがいっぱい。
 広々とした吹き抜けのエントランスでは、フロアーの所々が覗き窓になっていて、モニターの中でアンパンマンが飛び回っていたり、アンパンマンの衣装とか、今明かされる各々のキャラクターの秘密など、ひとつひとつが見逃せないネタばかり。
 その頭上には大型のアンパンマンとバイキンマン(ばいきんマンかな?表記がわからん)人形がつり下げられ、大きな階段は途中が椅子になっていて傍らの絵本が読める仕掛け。
 その他、タッチパネルのコンピューターがあったり、階段には様々なメッセージが書かれていたり(現代美術みたい)、スケルトンの切符販売機があり、おまけに故障したその販売機には「ガハハ、俺様が壊したのだ」とバイキンマンがのたまう貼り紙ありと、もう楽しい仕掛けばかり。
 これはさぞかしと傍らにいる間もなく4歳と2歳になる息子をみると、片言おしゃべりをはじめた弟は広々としたフロアーをいったりきたり階段を昇ったり下りたりと、それなりには楽しんでいるが、どうもお兄ちゃんの様子がおかしい。
 まあ長旅の疲れもあるのだろうが、父母が面白がっている各々の仕掛けにあまり食いついていかない。建物の一番上にある、大型の原画コーナー(まあ通常の美術館の展示室みたいなものです)では、お父ちゃんが抱っこして、必殺の対話型ギャラリートークに持ち込むが、これもいつもと様子が違ってのってこない。
 一度、外に連れ出して聞いてみたところ「怖い」のだそうだ。実は、この日のために1週間ほど前から、彼を「アンパンマンミュージアムに連れてくぞ〜」と、のせにのせて来た。彼もすっかり嬉しくて毎日毎日アンパンマンミュージアムを連呼しており、これで閉館でもしてたらえらいこっちゃと前日に確認の電話までいれるほどであった。
 もっとも彼のアンパンマン体験は、絵本とビデオとシャツなどのキャラクター。それを元に彼のアンパンマンワールドが出来ているのだ。それがいきなり広い空間に、いつもと違う媒体を通じて、アンパンマンやバイキンマンやジャムおじさんが、大きくなったり、動いたりしていたものだから、彼なりに膨らませに膨らませていた場のイメージと現実がことなり、それを「怖い」と表現しているようだ。
 そんなだから、ガラス張りの向こうに、アンパンマングッズが所狭しとめいっぱいに並べられている「ガラスの収蔵庫」。日頃なじみのスケールのおもちゃが、自分のおもちゃ箱同様乱雑に並ぶ様をを見ながら、ようやくくつろいだ様子。
 いっぽう「これは金がかかっているぞ」と思う地下フロアーには一歩も足を踏み入れなかった。ここでは、奥へ奥へと探検する感覚で、途中で隠しカメラによって来館者の姿が大型モニターに映し出されたり、デパートの遊園地にあるような乗り物型の設備があり、ボタンを押すと大音響と共にバイキンマンの声がしたりする(私と一緒にこのボタンを押した弟の方も、さすがの大音量にビビってすぐ逃げたが)。
 そんなちょっと怖い場所を(アンパンマンのように勇気を持って)抜けると、最奥部にアンパンマンの町のジオラマセットがあって、あれやこれやが動きながら楽園的ムードが広がるようになっている。
 お兄ちゃんは、もうこのフロアーの入口で「行かん。行かん」と駄々をこねて、せっかくの高額設備を堪能することなく終わった。さて、私は何ひとつ施設の批判をする気はない。私はとっても楽しませてもらったし、その作り込みの周到さはよい勉強になった。
 つくづく思うのは対象年齢層の設定、それに多様な観客への対応の難しさである。実際、うちの子どもよりもう少し大きい小学生ぐらいの子どもならなんの問題もなかろう。あるいは、うちの子がやたら臆病で、この施設を存分に楽しめる同年齢もいるだろうし、うちの子供が特殊事例なのだろう。でも、これだけ手をかけて作り込んでも、届かない人には届かない、と言うことを、今回は思い知った。

 これにいささか似たようなことを付け加えておきたい。昨年、愛知県美術館で松本竣介展を見に行った当館ボランティアさんが、会場にいらした視覚障害の方に傍らの付き添いの方が、作品の図様を説明してあげていて、それを聞いている視覚障害の方が、まるで絵を自分で見ているように楽しげであったことを伝えてくれた。
 「それは素晴らしい。」「それをやれば作品をディスクリプションする訓練にもなるぞ。一石二鳥。当館のボランティアさんが行うサービスに取り入れたらどうだ」「どうせなら、小型の補助説明板もつくろう。そこには各作品の図柄が凹凸で示してあって、それをなぞってもらいながら、作品の図様を言葉で聞けば、もっと良いサービスになる」と、とんとんと話は進むかのようであった。
 もっともこれを視覚障害に詳しい知人に話したところ「やれば。でもそれが有効な人はとっても少ないよ」とのつれない返事。この時、自分の障害者に対する認識の乏しさを思い知ることになった。
 視角障害にも先天性、後天性もある。先天性で全盲の方の場合、空間の認識の仕方が複雑であり、そもそも絵画という存在を認識できるかどうか。それに視覚障害といっても狭視など様々なパターンがあり、また他の障害と併せての方も多い。
 ようするに私の名案は「後天性で、絵画を見るという体験があり、それも視覚障害単独の方」に有効な、「健常者が障害者の状況を把握せずに、健常者の立場からだけ考えた案」だったわけである。
 この時は、自分の障害者に対する無知だけではなく、「絵画ってなんなんだろ」と深く考えさせられた。それに美術館としては「じゃあ、何もしない」では済ませられないので、その後、我が美術館が視角障害の方にとって意味ある存在となるためにはどうしたら良いかと思い、地元の盲学校の先生に相談に乗ってもらいながら、まずは出来ることから、慎ましくもプログラムの検討実施を始めている。

 アンパンマンミュージアムでの我が子の様子をみながら、この視角障害者の方の一件を思い出していた。
 多様なと簡単には言えないほど、実に多様なお客さまを想定して、それを自分という視座ではなく、あくまでそのお客さま個別事情にそくして、展示や施設、それ他の様々なプログラムを用意すること。ほんとにそれは難しい事ながらミュージアムにとって必要なことなのだ。


香北町やなせたかし記念館アンパンマンミュージアム
所在地:高知県香美郡香北町美良布 1224-2
問い合わせ:Tel. 0887-59-2300
http://www.i-kochi.or.jp/hp/anpanman-m/

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