ハワイ出張の巻
「ハワイに出張に行く」と言っても誰も信じてくれなかったが、6月23〜27日に本当に仕事でハワイに行って来ました。今秋10月22日から開催する「中根邸の画家たち」という展覧会の調査のためです。中根邸というのは、昭和28年まで札幌の中島公園のほとりにあった中根光一の邸宅で、戦中戦後に東京などから児島善三郎、野口弥太郎、海老原喜之助など独立展関係の作家を中心に多くの疎開画家が集い、地元作家との交流の場にもなっていた所です。また、戦後に三笠宮様などがお泊まりになったほか、武者小路実篤や陶芸家バーナード・リーチなど札幌を訪れた文化人の多くがここに宿泊しています。ここで全道展創立につながる話がもちあがるなど、札幌の美術にとって重要な役割を担ったはずですが、この中根邸について画家の口からときどき耳にする以外、その実体がよくわからない。文献上にはわずかな記載が残されているだけで、北海道美術のバイブル『北海道美術史』(今田敬一著)にも、所蔵品展が開かれたことが書かれているぐらいなのです。そこで数年前から気になってこの中根邸についていろいろ調べていくうちに、その現代の北海道美術に及ぼした重要性を再認識するようになりました。そして、このたび芸術の森美術館の10 周年として、この隠された美術上の事実を掘り起こし、しっかりと位置づけようとする展覧会を開催することにしたのです。中根邸に出入りしていた画家が当時描いた作品、中根光一が所蔵していた作品を中心に、写真や書簡などの資料によって、戦中・戦後の札幌の美術の煌めきを紹介しようとするものです。 しかし、この調査が難航しました。中根光一は、昭和28年に東京に移ったのち昭和47年に亡くなり、コレクションも散逸。肝心の遺族の所在もなかなかつかめない。ようやく今年になって遺族と連絡が取れ、先日、長男と次女の方と東京でお会いし、貴重なアルバムをお借りするとともにお話をうかがいましたが、当時はまだ小学生であまりくわしくは覚えていないとのこと。最も当時のことをよく知っているのは、13 歳年上の長女だという。そう、その長女がハワイに移り住んでいる方だったのです。 中根光一の妻は今年1月に亡くなり、中根邸の別棟を約5年間にわたり間借りしていた画家の松島正幸も昨年10月に他界。数少ない生き証人から話を聞かなければ、この展覧会は片手落ちになってしまう。中根邸について、まだまだわからないことが多すぎる。そこで上司を説得して、異例のハワイ出張と相成ったのです。 ハワイのカウアイ島のホテルで長女の中屋愛子さんにお会いし、椰子の木たなびくビーチに面したテラスで2日にわたってお話をうかがい、彼女がモデルになった絵画を見せていただきました。ここでうかがった中根光一の生き方は僕にさらに興味をそそらせるものでした。彼は30歳で親から多額の財産を受け継ぎ、戦中戦後の物がない時代に、画家たちを屋敷に招待し酒や食事を振る舞いながら、自由に制作をさせていました。中根本人は、その道楽を北海道美術のためとどれほど思っていたか分かりませんが、50年以上が過ぎた今振り返ってみると、彼がいなければ現在の北海道美術が大きく異なっていただろうことは明らかです。その後、東京に移った理由は定かではありませんが、財産の多くを使い果たし、最後にはアパートに暮らしていたのも事実です。 今回の出張は格安チケットを使ったため、飛行便待ちでワイキキに一泊しました。その間、ホテルで報告書をずっと書いていたと言っても、これこそ誰も信じてくれないでしょう。 なお、中根光一または、中根邸に関する情報をお持ちの方は、どんな些細なことでも構いませんので、ご連絡ください。
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