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北海道 吉崎元章
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前衛と反骨のダイナミズム
exhibition〜大正アヴァンギャルドからプロレタリア美術へ

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前衛と反骨のダイナミズム

 こんなに骨のある美術展は北海道では初めてかもしれない。美術評論家の館長と学芸員一人の美術館(併設する文学館に学芸員一人)が企画したとは思えない内容の濃い展覧会である。1920年代から30年代中頃にかけて、若く急進的な美術家たちが、ヨーロッパの未来派やダダの影響を受け、さまざまな前衛的美術運動を繰り広げ、やがてプロレタリア運動と深く結びついていく様を、丹念な調査に基づく94点の絵画、彫刻、ポスターや雑誌などの資料によって紐解いていく。プロレタリア文学の代表作として知られる『蟹工船』の著者小林多喜二の故郷小樽でこの展覧会が開かれる意義は大きい。隣接する文学館にあった多喜二のアザも生々しい獄中での虐殺写真が当時の彼らが置かれていた立場を如実に物語っているように、何ものにもとらわれない自由な新しい表現を求めて、度重なる弾圧にも屈せることなく、文字通り体を張って描き続けた当時の若き美術家たちのエネルギーが狭い展示室に充満していた。これまでこのあたりを本格的に扱った展覧会は、僕の知る限りではなかったと思う。思想的なことが絡む部分だけに逆に避けて通られてきたのかも知れない。関連資料を多く所蔵する近代美術資料館の菊地明子氏の協力のもと数年前から準備していたが、未開拓の分野だけに多くの困難があったという。美術館であまり検証されていない部分だけに個人所蔵の作品も多く、借用先も相当な数におよび、小樽市の出張期間の規定を文学館との協力でなんとかクリアしたそうである。また、弾圧を受け続けてきた画家の遺族は、頑なに出品を拒否し続けた者も少なくないと聞く。すでにこの展覧会は終了したが、これをきっかけにこの分野の検証がさらに進んでいくことだろう。
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会場:市立小樽美術館
   北海道小樽市色内1丁目9-5
会期:2000年6月2日(金)〜7月23日(日)
   9:30〜17:00、休館日=毎週月曜日、7月21日
入場料:一般500円/小中生100円 問い合わせ先:0134-34-0035
アーティスト:村山知義、柳瀬正夢、尾形亀之助、林倭衛、矢部友衛、岡本唐貴、
       稲垣小五郎、大月源二、加藤悦郎ほか

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exhibition20世紀・日本彫刻物語

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北村四海
北村四海
 芸術の森美術館も今年で開館10周年。野外美術館と連動するかたちで近現代の彫刻の収集と展覧会を活動の柱の一つとしてきた。20世紀も今年で終わりということで、明治初期からの日本彫刻の流れをたどる展覧会を彫刻60点により開催。現在改装のため休館中の東京国立近代美術館から多くの作品が借用ができたうえ、歴代の中原悌二郎賞受賞作品と中原悌二郎周辺作品を所蔵する中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館からと、芸術の森美術館の所蔵作品によって、かなり質の高い近代彫刻展に仕上がった。東京国立近代美術館ではあまりお目にかかったことがない、明治はじめの頃の大理石の作品などが新鮮である。急激な欧化政策のなかでの写実的描写、文展の成果やロダンの影響、戦後の新制作協会作家の活躍までつなげている。なお、今回は塑像を中心とした構成となったが、現在、来年開催に向け「20世紀・日本彫刻物語〜木彫編」(仮称)を企画中である。
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会場:芸術の森美術館
   札幌市南区芸術の森2丁目75 会期:2000年5月27日(土)〜7月16日(日)
   9:30〜17:30、休館日なし
入場料:一般600円/高大生300円/小中生120円
問い合わせ先:011-591-0090
アーティスト:白井雨山、北村四海、新海竹太郎、朝倉文夫、荻原守衛、中原悌二郎、戸張孤雁、
       藤川勇造、金子九平次、陽咸二、木内克、柳原義達、佐藤忠良、舟越保武

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report学芸員リポート(芸術の森美術館)

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ハワイ出張の巻

ハワイ出張の巻

 「ハワイに出張に行く」と言っても誰も信じてくれなかったが、6月23〜27日に本当に仕事でハワイに行って来ました。今秋10月22日から開催する「中根邸の画家たち」という展覧会の調査のためです。中根邸というのは、昭和28年まで札幌の中島公園のほとりにあった中根光一の邸宅で、戦中戦後に東京などから児島善三郎、野口弥太郎、海老原喜之助など独立展関係の作家を中心に多くの疎開画家が集い、地元作家との交流の場にもなっていた所です。また、戦後に三笠宮様などがお泊まりになったほか、武者小路実篤や陶芸家バーナード・リーチなど札幌を訪れた文化人の多くがここに宿泊しています。ここで全道展創立につながる話がもちあがるなど、札幌の美術にとって重要な役割を担ったはずですが、この中根邸について画家の口からときどき耳にする以外、その実体がよくわからない。文献上にはわずかな記載が残されているだけで、北海道美術のバイブル『北海道美術史』(今田敬一著)にも、所蔵品展が開かれたことが書かれているぐらいなのです。そこで数年前から気になってこの中根邸についていろいろ調べていくうちに、その現代の北海道美術に及ぼした重要性を再認識するようになりました。そして、このたび芸術の森美術館の10 周年として、この隠された美術上の事実を掘り起こし、しっかりと位置づけようとする展覧会を開催することにしたのです。中根邸に出入りしていた画家が当時描いた作品、中根光一が所蔵していた作品を中心に、写真や書簡などの資料によって、戦中・戦後の札幌の美術の煌めきを紹介しようとするものです。

 しかし、この調査が難航しました。中根光一は、昭和28年に東京に移ったのち昭和47年に亡くなり、コレクションも散逸。肝心の遺族の所在もなかなかつかめない。ようやく今年になって遺族と連絡が取れ、先日、長男と次女の方と東京でお会いし、貴重なアルバムをお借りするとともにお話をうかがいましたが、当時はまだ小学生であまりくわしくは覚えていないとのこと。最も当時のことをよく知っているのは、13 歳年上の長女だという。そう、その長女がハワイに移り住んでいる方だったのです。
 中根光一の妻は今年1月に亡くなり、中根邸の別棟を約5年間にわたり間借りしていた画家の松島正幸も昨年10月に他界。数少ない生き証人から話を聞かなければ、この展覧会は片手落ちになってしまう。中根邸について、まだまだわからないことが多すぎる。そこで上司を説得して、異例のハワイ出張と相成ったのです。
 ハワイのカウアイ島のホテルで長女の中屋愛子さんにお会いし、椰子の木たなびくビーチに面したテラスで2日にわたってお話をうかがい、彼女がモデルになった絵画を見せていただきました。ここでうかがった中根光一の生き方は僕にさらに興味をそそらせるものでした。彼は30歳で親から多額の財産を受け継ぎ、戦中戦後の物がない時代に、画家たちを屋敷に招待し酒や食事を振る舞いながら、自由に制作をさせていました。中根本人は、その道楽を北海道美術のためとどれほど思っていたか分かりませんが、50年以上が過ぎた今振り返ってみると、彼がいなければ現在の北海道美術が大きく異なっていただろうことは明らかです。その後、東京に移った理由は定かではありませんが、財産の多くを使い果たし、最後にはアパートに暮らしていたのも事実です。
 今回の出張は格安チケットを使ったため、飛行便待ちでワイキキに一泊しました。その間、ホテルで報告書をずっと書いていたと言っても、これこそ誰も信じてくれないでしょう。  なお、中根光一または、中根邸に関する情報をお持ちの方は、どんな些細なことでも構いませんので、ご連絡ください。

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