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トーク&ディスカッション
report「昭和40年会+関西アーティスト」

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昭和40年会+関西アーティスト

 7月8日から8月5日まで大阪の児玉画廊で「昭和40年会 in 大阪」展が開かれていて、そのスペシャル・イベントとして行われたトークセッションである。昭和40年会のメンバー(有馬純寿、大岩オスカール幸男、小沢剛、土佐正道、パルコ木下、松蔭浩之)に加えて、石原友明、椿昇、ヤノベケンジが出演。司会は『美術手帖』の楠見清。さらにインターネットを介して、会田誠(40年会メンバー)、笠原恵実子、中山ダイスケがニューヨークから、やなぎみわがリヨンから参加(音声のみ)、というなかなか豪勢な企画。もっとも海外組の方は回線の状態がよくなくて、「聞こえますかー」くらいの話だったのだが、それはともかく、パルコのアカペラのカラオケに迎えられながら、200人を超えていそうな観客が会場に集まった。

 今回のテーマは「ドメスティックとグローバル」。今日風ではあろうがやや抽象的で切迫感に欠ける題目のためか、あるいは、終了間際にようやく盛り上がりかけるというこの種のシンポジウム特有の掟のためか、単純にパネラーが多すぎるためか、「ドメスティックはグローバルに重なる」という結論めいた見解が開始早々に小沢から発せられたためか、なぜかパルコが何杯もカレーを食べ続けていたためか、うまく議論がかみ合っているとはいい難い展開ではあったが、途中、観客から「皆さんはどうやって食べているのですか」との趣旨の質問があってから、にわかに話が現実味を帯びてきた。質問者は食べてなさそうなアーティスト志望の20代男性(推測)。さて、どうやって食べているのか? パルコ「僕は自分にルールを課している。それは、千円以上の仕事は何でも受けるということです。最悪でも、ペンと紙があれば絵が描けるのでOK。」、松蔭「以前はメセナとか補助金とか貰っていたが、近年はインディペンデントでやっているし、今後もなるべくそうやっていきたい。」、椿「年齢的に政府関係の仕事に関わることがあって、あまりの無理解に憤ることも多いが、そういったことを投げずに全うすることも世代責任だと思う。」、石原「アーティストに言いたいのは、誰かから金を貰っているということをあまり気にする必要はないということ。」、土佐「誰でもピカソは退屈なのでやめました。美術を勉強したいし学歴があった方がいいので東京芸大を受験するつもりです。」など多彩な意見が出て(以上の話は、もちろん実際にはもっと長い発言をごく要約して書いているので、文脈やら前後関係はかなり恣意的)、全体としてはごくドメスティックな方向で話が深まっていったわけだ。

 「ドメスティックとグローバル」、事実上ほぼ「“日本”と“欧米”」といいかえられるにもかかわらずそれにオブラートをかけるようなロマンティックな議題は、各語の定義を厳密にしていない以上、例えば東京都知事的な転倒した優越感を簡単に導きそうで率直に言ってちょっと引いてしまうが、それがトークの終盤近くになってごく唯物的な「経済」問題に傾斜していった点、結構バランスのとれたトークになったと思う。日本、アメリカ、フランスを結んだネット・ミーティング、のはずが、主として経済的な要因によって断片的で認識不能な映像と音声のノイズと化したことは、今回のテーマと無関係ではないだろう。例えば椿氏の「美術作品は国や言語が異なっても通じるはずだ」という発言を素直に信じられたらとは思うが、そのような普遍性はいつも相対的な普遍性でしかないこと、それが外国産であっても国産であっても、私たちはいつも断片的なノイズのようなものとしてしか「作品」を認識しようがないこと、「作品」自体に何か本質的な意味があってそれが通用したりしなかったりするのではなく、そのノイズがどこかの誰かに受容された時に始めて意味が発生するのだということ、いいかえれば「作品」とはいつも後づけであること、を今ではたぶん誰もが感づいている。「昭和40年会」という生年以外にはさほど共通性のない(でもなぜ皆男なのか?)アーティストたちが行っているのは、「美術」の普遍性に賭けることではなく、上記のような雑音が届く範囲をそれぞれが広げていっているにすぎないと思うし、その点については、むしろ余裕に欠けるほど潔癖な集団だとも思う。まあ、実際は別に集団でもないのだが。

 にしても今回、観客の多さと熱気は多少意外だった。トークの後で40年会メンバーによるオープニング・パフォーマンスが予定されていたことももちろんあるだろうし、また大阪には「現代美術」の受け皿が都市の規模にしてはかなり少なかったから、という理由もあるかもしれないが、どうもそれだけとは思えない。少し前に藤本由紀夫氏と話した時に、(アートマネージメントに関してこのサイトでも話が出ていたが)マネージメントとかスタッフとして何かをしたいという人は多いが、それよりもまず展覧会なり作品を見に来てくれる方が重要なサポートになるのに、ということを述べていた。確かにその通りで、一歩外に出れば人が涌いている好立地条件のスペースでさえ「展覧会」には数人しか客がいないという状況があって(例えばキリンプラザ大阪のことです)、なぜ見に来ないという憤りは十分以上に共有できるのだが、しかし一方で、たぶんいま美術と積極的に関わりたい動機というのは、美術館とかギャラリー的なスペースに作品を見に行くこととは何か根本的に違ってきているんだろうと思わざるをえない。

 つまり、少し前から「参加型」の美術館とか展覧会というかけ声で行われてきたことが、既成の「場」の一部を臨時に貸し与えることであったとしたら、そうではなく、意識的であれ無意識的であれ「場」自体を作る過程に「直接的に」参加したいということ、加えてそれで盛り上がりたい、ということだ。考えてみれば非常にまっとうな欲望なわけだが、ところが現在までの美術館とかギャラリーとかはそういう欲望を受け入れるようにはもとからできていない。例えば美術館の展覧会とは、基本的に、数千から数万という数の塊としての人間を前提とした欲望の消化装置ではあっても、それより一桁少ない個々の人間の欲望の煽動装置であったためしはあまりない。もちろんワークショップとかレクチャーなど比較的少人数を対象とした企画もありはするが、同じ組織、同じ建物、ほぼ同じスタッフで行うにはどうしても無理がある。組織上の限界、人的・経費的な限界なわけだ。と同時に、現行の美術館的システムの破綻はかなり前から言われていて、にもかかわらずいつまでたっても変わる様子が(経済的要因によるもの以外には)見えないのは、もちろん国や自治体や企業の姿勢もあるだろうが、実は美術館スタッフや美術関者自身やひょっとしたらアーティストさえもそういった欲望の特権的占有の維持にどこか加担しているのではないかと思ってしまう。美術に関する情報とか知識をパブリックなものとすること、もちろんそれは重要なことだが(といってこれもまだまだ圧倒的に閉鎖されているが)、むしろその基盤となっているはずの個別の欲望を目に見えるものとして共有すること、これをサポートする作業が優先されるべきことなのかもしれない。今回のイベントに参加して、そういう方向の必要性を強く感じさせられた。

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「昭和40年会 in 大阪」トークセッション
会場:大阪科学技術センター
日時:7月8日 18:00〜
主催:KODAMA 大阪市中央区備後町4-2-10 丸信ビル2F
問い合わせ:tel. 06-4707-8872

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