artscape6月号に続き、7・8月合併号もリニューアル!ということで、この原稿を書いているのは7月5日。といきなり言い訳モードですみませんが、現時点では今年第4回をむかえる藤本由紀夫×西宮市大谷記念美術館「美術館の遠足」(7月21日)、関西初の「昭和40年会展」(KODAMA、7月8日〜)、キュピキュピのライブイベント(KPOキリンプラザ大阪、7月22日)等々、関西夏のアートシーンを彩るであろう、あれもこれも未見なのである。また6月を振り返っても世界の風を観測してまわる壮大な旅のスタート、新宮晋「ウインド・キャラバン」など、いろいろと話題には事欠かなかった関西なのであるが、その中から今回この展示を選んだのは、ひとえに「他人事ではない」という理由によるのである。
他人事でないその1は「移転」。国立国際美術館は2003年、現在の場所から大阪の中心部、中之島へ移転する予定であり、同展のパンフレットによれば、この企画もそれを前提に計画され、実行された展覧会のひとつだという。以前の「学芸員レポート」でも触れたが、わが職場の兵庫県立近代美術館も前後して2002年に移転予定である。
他人事でないその2は、現在の国際美術館、つまり大阪万博の日本万国博覧会美術館が建てられたのは1970年、兵庫近美の開館も1970年。両者の建物に共通する特徴は、博覧会場的という点だろう。いや国際美術館のほうは正真正銘の博覧会場なのであって、ウチのほうが時代の空気をうつしたフェイクなのでしょうが。
そんな国際美術館建築へのオマージュ、たるこの展覧会、ちらしには「この希有な美術館建築空間の特性を再確認すべく…」とある。言いかえれば、ハコもののハコとしてのあり方に焦点をあてた展覧会、ということになろうか。考えようによっては、この展覧会に先立って開催された「岡本太郎とEXPO'70」展(5月号で奥村氏がちらと出しておられましたね)がこの美術館の歴史の部分−ただし正確には今の国際美術館としての歴史とは重ならないのだが−にまつわるものと見なし、あくまでハコに視点をあてるこの企画と対のものとして見ることもできるだろう。
出品作の中で唯一ハコの歴史的な時間とのかかわりを見せてくれたのが前沢知子の作品で、このハコで開かれた全ての展覧会図録と展覧会総目録とが、館内の、いかにもそういうものが置かれがちな場所を選びセットされていた。他の5人はすべてハコの建築空間そのものを作品化していた。なかでもハコのありかたをもっとも印象的に浮かび上がらせていたのは、3階にあがり展示室内で最初に目にする平松伸之の作品だろう。展示室の床にラインを引き、乗用車をならべた作品は、その名も「国立国際駐車場」。しかも歩行者に優しくないこの駐車場、通路がなく、ラインをまたぎ駐車スペースに踏み込まねば次の部屋へは行けない設計になっている。この展示室のコンクリート角柱、以前からどこかで見たことがあるような気がしていたのだが、そうか駐車場の柱だったのか!
で、30年前の博覧会的美術館は歴史の彼方なのか、というと、それこそまったく他人事ではないところなのである。たとえば目下工事進行中の某新美術館、照明計画など話し合っているところなのだが、そうした議論の中でも「何でも展示できる空間」という文句はやはり登場する。もちろんこの言葉はひとつの例であるし、言葉以上にその文脈や言葉をどのようにかたちにするかという問題こそ重要なのだろう。ただ学芸員の自戒としては、実際空間の中に棲んでいる(?)私たちにこそ、誰より旧来の美術館的な空間のありかたが、感覚として身にしみついてしまっているのだな、と思う。
そしてハコそのものが興味深く浮き彫りになればなるほど、年月の手垢の部分も見てみたいなぁと思うのは、美術館の人である私が言い訳を手に入れたいせいもあるのでしょうか。 |