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兵庫 山本淳夫
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exhibition福岡道雄新作展

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福岡道雄新作展全景
福岡道雄新作展全景

「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」(部分)
「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」(部分) 2000年

「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」(部分)
「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」(部分) 2000年

 一昨年の9月、信濃橋画廊の5階の小スペースで発表された福岡道雄の作品は、妙に印象に残っている。まず作風の変化があった。従来の床置きの黒い立方体から、壁面設置の平面作品が主となり、表面を覆い尽くす小波のかわりに、「何もすることがない」といった呟きのようなことばが、画面全体に電動彫刻刀でびっしりと刻みつけられていたのだ。私は漠然と、このベテラン作家の底力というか、厚みのようなものを感じて、外見的な変化以上にその手応えが印象深かった。
 新作展も主にこのタイプの仕事で構成されている。個々の作品の質とは別の問題として、点数を多く並べたときに展覧会全体が単調になりはしないか、事前にそんな危惧を抱いていたのだが、全くの杞憂であった。
 「何もすることがない」「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」「涙が出るポトポト笑いが出るハハハ」例によってこれらのことばがひたすら刻み込まれている。「『何もすることがない』なんて大ウソや、ごっつい仕事量やんか!」と思わずツッコミを入れたのは当方だけではなかったようだ。文字だけのものもあれば、庭で遭遇したミミズや花のイメージが添えられていて、それにまつわる個人的なテキストがこっそりと忍び込んでいたりする。この文章がなかなか味わい深い名文である。
 作品は、必然的に複数のレイヤー構造を抱え込む。遠目で全体をみると文字の繰り返しパターンと手書きによるぶれが相俟って、モアレのような絵画的効果を生み出している。これが実に美しい。かなり大画面の作品《僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか》など、絶品である。近づくと文字として判読できるわけだが、ひたすら繰り返しなので通読しようという気はとても起らない。ただ、その圧倒的な集中力と労働量の総体が、思考を別の次元にシフトさせてしまう。眼は確かに作品をみているのだが、頭の中では別のものが渦巻きはじめるのだ。とてもポジティヴとはいえないことばの、呪詛的なまでの反復がなせる業であろうか。いや「呪詛的」ということばは適切ではない。想念を注入するというよりは、自我が解消していくかのような感覚が、ここにはある。失礼ながら伊丹市立美術館は、展示の難しさではわが社と双璧をなすのではないかと、かねがね感じていて、今回の「ワイヤー吊り」というのも納得がいかないのだが、それでも空間があまり気にならなかったのは、作品が内包するそうした構造に起因するものなのだろうか。
 制作プロセスを想像すると、あるインストラクションを己に課し、あとはひたすら自我を滅して作業を進める、というところであろう。実はそういうのは結構類例があって、なかには安易なものも少なくないと常日頃思っているのである。しかし、なぜ福岡道雄の仕事にはリアリティを感じるのか。ずっと自問していたのだが、それを解く鍵は、会場に掲示された作家自身のことばの中にあった。「仕事の合間に草毟りをしながら、こんな不毛のような仕事をしていて本当にいいのだろうか、と。」行為の反復の裏側に、ありもしない価値をちらつかせ、臭わせるのではなく、無駄あるいは無意味と知りつつもやってしまうこと。芸術にはこの強さが絶対に大切だと思う。
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会期:2000年8月12日(土)〜10月1日(日) 月曜日休館
会場:伊丹市立美術館 〒664-0895伊丹市宮ノ前2-5-20
開館時間:10:00〜17:00(入館は16:30まで)
問い合わせ:Tel. 0727-72-7447

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exhibition震災アート 5年目の復興(堀尾貞治)

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展示風景1

展示風景2

展示風景3
展示風景
 堀尾さんのことを説明するときに、よく次のようなフレーズを使う。「無人島に素っ裸で放り出されても、作品つくっちゃうような人ですよ」。
 年間の展覧会数が約100回。15年間塗り続けたキャンバスには、30cm以上もの絵具の層が盛り上がっている。道路に塗料を置き、その上を車が走ると絵ができる。とにかく、堀尾さんが通った後には作品がある、そんな感じである。ニーズに応じてパッケージングされたような作品が少なくない中で、こうした表現者は貴重だ。彼のような「肉体派」は、ともすると60年代ノスタルジアっぽくなりがちなのだが、そんな湿り気はみじんもない。故村上三郎は自然体でそういった垢を捨てている感じだったが、堀尾さんは動き続ける意志の力で振り払っているようにみえる。
 というわけで、彼の発表を全て目撃するのは不可能に近い。行きやすいものは極力みるように心がけてはいるのだが、正直いって恰美術館に関しては「まぁ、いっか」と思っていた。実際忙しかったし、鳴門は遠いし、何よりも昨冬に当館で開催された「震災と表現」展の出品作と、内容的にかぶっていることが予想されたからである。
 ところがみてきた人が、しかも当方が信頼する人々が、口をそろえて絶賛するのである。ダメ押しは「震災と表現」の担当者、当館課長が会場から戻った直後の第一声。「出張にしたるから、いってこい。命令や」いい上司である。
 美術館の前には、3メートル四方ぐらいであろうか、巨大な水枕(?)が敷かれている。足を取られながらえっちらおっちら入口にたどり着くと、エントランスにはタンスや自転車、扇風機などの粗大ごみがぶちまけられている。2Fに上って小さめの展示室には例の夥しい震災ドローイングが壁を埋め尽くす。ここまでは、芦屋での展示のバリエーションといってよい。
 広い空間にでると、床に木切れが散在するのみでほとんど何もない。よくみると壁面にはところどころ絵画用のフックがあり、スポットライトが壁面を照らしている……つまり前の展覧会の、作品のみを撤去した状態なのだ。それが「不在」の感覚をいやが上にも助長する。突然無音になると耳鳴りがするように、震災ドローイングの過剰さとのコントラストが網膜に突き刺さる。
 続く展示室も同程度の空間で、入口からのぞくと備え付けのガラスケースはやはり一見空っぽのようだ。ただ、異様な音が響いてくる。ケースの全体を見渡せるところまで足を進めると、初めて内部で業務用の巨大な送風機が猛然とうなりをあげ、自らの風圧の反作用でガクンガクンと揺れ動くのがみえる。さらに近づくと、息を飲むような光景が目に入る。ケース内部の床面には震災風景のシルクスクリーンがびっしりとガンタッカーで打ち付けられており、風圧でバタバタと激しく波打っているのだ。そして振り向くと……かなりの大きさの壁面全体が、一切をぶちまけたような行為の痕跡で埋め尽くされ、端には脚立が立て掛けてある。
 面白い展覧会は少なくないが、鳥肌が立つような経験は、そうざらにあるものではない。堀尾貞治の作品に遭遇することは、歴史の現場に立ち会うということだ。それぐらいの覚悟で対峙せねばと、肝に銘じた次第である。
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アーティスト:堀尾貞治
会期:2000年6月23日(金)〜7月30日(日)月曜日休館
会場:恰美術館 〒772-0016徳島県鳴門市撫養町妙見山公園
開館時間:10:00〜17:00
問い合わせ:Tel. 088-686-1611

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report学芸員レポート [芦屋市立美術博物館]

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下・研
ハート小
「下ハート小研のLove(hot)2bed」

国府 理
国府 理「自動車堂」

中川周史
中川周史
「風景の肖像 2000.08」


 まずは先々月に予告をお伝えした「六甲アイランド WATER FRONT OPEN AIR PLAY」の簡単なレポートから。前回、この空間では垂直方向の展示が難しい、みたいなことを書いたのだが、乗用車二台をおっ立てるという力業が出現して驚いた。国府理の作品である。早速、アマチュア・カメラマンの恰好の撮影スポットになっていたのだが…。
 会期中、一部の作品が心ない何者かの手によって破壊される、という事件が起きた。大きくて目立つ作品がターゲットになったようで、国府の作品はフロント・ガラスが叩き割られ、下ハート研の作品はダメージが大きすぎて会期の後半は展示できなかった。不特定多数の人間が行き交うパブリックな場所での展示では、予めこのような事態も想定すべきなのかもしれないが、限られた条件下で完璧を期すのは不可能に近い。ある部分は良識を信頼せざるを得ず、そこを逆手にとった余りにも一方通行で理不尽な行いに対して、不快かつ遺憾の念を禁じえない。このことが関係者の意欲をそぎ、回を重ねてようやく定着し始めたこのイヴェントの今後にマイナス要因とならぬよう、強く願う次第である。その気持ちを込めて、せめて在りし日の作品の姿をお伝えすることにしたい。 捨てる神あれば拾う神あり。関連グッズの「ゆめパン」Tシャツプレゼント(7・8月合併号) に多数ご応募いただいたとのこと。この場を借りて厚くお礼申し上げます。でもちょっと着るのが恥ずかしいぞ。

 さて、9月である。当方にとって今月最大のイベント……それは刀根康尚さんの来日を他においてない。この名前を聞いてピンとくる方はあまり多くないかもしれない。1972年に渡米されて以降の情報が、ほとんど入ってきていないからだ。
 同氏は、60年代初頭に伝説的な集団即興演奏グループ「グループ音楽」の一員として、芸術上のキャリアをスタートした。1961年頃より、草月アートセンターが媒介となりジョン・ケージの不確定性音楽が日本に紹介される。いわゆるジョン・ケージ・ショックだが、「グループ音楽」はそれに先だって自発的に実験的な音楽行為を行っていたのである。その中には小杉武久や刀根康尚、塩見允枝子など後にフルクサスとも活動を共にする作家が含まれている。
 60年代を通じて刀根さんは草月などを舞台に活動、1971年には『美術手帖』の顧問編集員となり、一年がかりで日本における前衛美術運動を総括するプロジェクトにたずさわった。同誌の1972年4〜5月号に上下に分けて掲載された膨大な年譜は、今日の研究者や我々のような学芸員にとっても基本中の基本文献であろう。
 1996年、当館では小杉武久さんの個展を開催した。刀根さんについても色々とインフォメーションをいただき、いやが上にも興味をかき立てられた。以来紆余曲折を経て、2001年1月ついにそのパフォーマンスを実現する運びとなったのである。なお、芦屋以外にも愛知芸術文化センター、東京オペラシティアートギャラリーで、それぞれ規模や内容は異なるが演奏が予定されており、今回の来日は会場下見が主目的となる。
 刀根さんの近作は、いずれもメディアとしてのCDの特性を利用している。1986年以降は意図的にCDにビット単位の針飛び(レーザー飛び?)を起こさせて、全くランダムなデジタルノイズの洪水を生み出すという作品が中核をなしている。CDアルバムは輸入盤を扱う大型ストアなら手に入るので、ぜひ聴いてみていただきたい。
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「music of group ONGAKU(グループ音楽)」 HEAR-002
「BARBARA HELD "UPPER AIR OBSERVATION」 LOVELY MUSIC LCD 3031
「MUSICA ICONOLOGOS」 LOVELY MUSIC LCD 3041
「SOLO FOR WOUNDED CD」 TZADIK TZ 7212

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