なかでも最も若い新明史子の作品は新鮮である。自分や家族などごく身近な人々を中心とした私的なできごとを本というかたちで綴っていく作品である。そのコンセプトは決して目新しいものではないが、彼女のセンスが光る素直な表現は好感が持てる。出品した3点のうち特に《おもひだしたこともないことを》に惹かれる。記憶に残っていないほど幼かったころの自分の写真の部分部分を拡大した画像を連ねて本に仕立てる。それは、一枚の写真から物語を紡ぎ出そうとする作業であり、本の最後に示される写真の全体像に至ったときには、見る者も共通の懐かしさをもって記憶を共有することになる。
端聡は骨太の作品である。スペースの中央に陣取る三台の厳つい鉄の装置。各テーブルの中央にある二つの白い円形部分それぞれに別の顔が映し出され、声は聞こえないがなにか一生懸命に話している。そして、突然呼吸音が響き出したかと思うと、その画像は一文字ずつの文字にかわり、ようやく読めるスピードで変わっていく。「今」「、」「愛」「な」「ら」…。その白色のスクリーンは、上向きに埋め込まれたスピーカーに張られたミルク(乳)。人と人との絆やコミュニケーションについて深く考えさせる作品である。
異色なのは、古幡靖である。展示室では、真っ白な壁面を利用し巨大な映像を映しだしたが、それ以外にも展示の場所を札幌芸術の森内に移築されている有島武郎旧邸に求めた。冬場は土日祝の午後だけの開館であるが、普段はあまり使われていない二階に七台のモニターを並べ、有島の『惜しみなく愛を奪う』を朗読する人の映像をコンピュータ加工し流している。全二十九章を毎週数章ずつ増やしていく計画で、朗読者はその建物を訪れた人などに無作為に依頼している。このために、彼はアパートを引き払い、札幌芸術の森内のアトリエに一家で引っ越してきた。約3ヶ月の会期中、冬の札幌芸術の森をいやと言うほど体験しながら、作品を生みだしていく。
佐々木秀明の《雫に聴く》は、昨年石狩の廃校で発表した作品を発展させたものである。その幻想的な空間は人気が高く、スペース内のベンチに長く座っていく人も目立つ。
その他にも、塑造彫刻における型どり作業がもつ意味合いを見つめ直す鴻上宏子や、鉄を素材に破壊と生成のダイナミズムを見せる川上りえ、ホチキス止めされたビニールで覆われた矩形から自由を考えさせる藤本和彦の作品などが並ぶ。
サブタイトルとなっている<「美術スル」見方>とは、観覧者側にも積極的に作品に向かう姿勢を求めていこうとするものであり、そのために、作家へのインタビュービデオを会場で上映しているほか、各作家によるワークショップやトークなどを行い、作品への多角的なアプローチの手助けとしている。
新しい世紀にふさわしい、新しい世代の活躍を予感させる展覧会である。