4月に三鷹市美術ギャラリーで開催される「Art in Paradise アメリカのアウトサイダーアート展」(足利市立美術館で巡回展スタート。会期:2月10日〜4月15日)の関連企画として、三鷹市芸術文化センターで行うシンポジウムの準備をしているところである。出品作品のコレクターであるクローディア・デモンテ、エド・マックゴィン夫妻と、アメリカのフォークアートに造詣の深いイラストレーター、安西水丸氏を招く予定。
そんなわけで、最近アウトサイダー・アートについて色々と考える機会が多い。そもそもこのカテゴリーの呼び名も、アール・ブリュット(生の美術)、アントレインド・アート、ヴィジョナリー(幻視的)・アートなど様々で、明確な定義づけは難しいが、専門的美術教育や職業アーティストとは無縁の動機やスタイルで制作する人たちのアートといえる。彼らの多くが無学であったり精神病患者であることも大きな特徴である。日本では1993年世田谷美術館での「パラレル・ヴィジョン−20世紀美術とアウトサイダー・アート」展を始め、資生堂アートスペースでのシリーズ展、国内の活動に着目したエイブル・アート展など、様々なかたちでこの分野のアートが紹介されている。
今回BOX東中野で上映された「遠足」は、ウィーン郊外にあるグギング芸術家の家に住む作家たちのドキュメンタリーである。精神科医レオ・ナヴラティル博士によって創立されたこの家では精神を病む作家たちが創作活動をしながら暮らしている。グギングの作家たちはいまや“売れっ子”で、世界各地で展覧会が開催されたり彼らの作品が高値で買い取られたりしている。
映画は一人一人の作家の暮らしを追っていく。食事、散歩、墓参り、家族との面会、美術館でのレセプション、制作風景……。見るうちに、強烈な個性をもつ作風同様、彼らの人間としての個性に引き込まれ、愛着を覚え、感情移入していく自分に気づく。そしていつの間にか“彼”と“彼の作品”は私にとって切り離しては見ることのできない関係になっている。
ファイン・アートの世界では、基本的に作品そのものの価値は作家の人となりから自立して判断されるものである。作家は、意図や効果をある程度客観的に把握して制作している。一方アウトサイダー・アーティストたちは、作品を“コントロール”する意志が稀薄だといえる。もちろん、作品自体には緻密で厳格ともいえる規則性が見られるのだが、それをどう見せるかということへの関心は薄いのだ。取り繕うことやトリックのない彼らの作品は、どきりとするほど大胆かつダイレクトに自己を露わにする。それは“単純”なのではなく、むしろ人間の心の複雑さがそのままの形で提示されたものだ。“彼”以外には表現し得ない方法で。それが見る人を強く引きつけてやまないのだ。
アウトサイダー・アーティストの個人的歴史や、性格や、暮らしぶりに触れることは、彼らの作品に近づくための有効な方法だと感じた。それは決して“不純”な行為ではないはずである。