昨年の8月に丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(0877-24-7755)で行われた、やなぎみわの「理想の風景の作り方」と題するレクチャーに参加し、ごく明晰な話の内容もさることながら、ご本人の屹としたたたずまいに鮮烈な印象を受けたことがあったものだが、縁あって今回、ワークショップを開催することになった。
少し前、確か奈良そごうだったか、最後の営業日となった日の夕方、玄関で並び客を見送るデパートガールの涙ぐむ姿と彼女たちへの短いインタビューがテレビで流されていた。職場での思い出や今後の生活、育てている子どものことなど、しゃべっている内容はごく当たり前の生活者のことばなのだが、店先でデパートの制服を着たままでの半ばプライベートな姿というあまり見たことのない状況に、やなぎみわのエレベーターガールのシリーズを何となく連想していた。もちろん、やなぎの作品はそれほどストレートに彼女たちの個人性を表現したものではなく、むしろ社会における匿名性を前面に出した上でそこに立ち現われるかすかな狂いを、時間の止まったような風景の中に定着させていたが、そこには、トケアウココロガワタシヲコワス的なものとは逆のベクトル、全体から個人が分岐しつつある瞬間への関心が基本にあるように思う。昨年から発表を始め現在も取り組んでいる「My Grandmothers」シリーズ(『流行通信』で連載中)で彼女は、さらに積極的に個人への関与を推し進めている。モチーフはより明確になり、止まっていた時間が登場人物とともに動き始める。そこに現われるリアリティは、日常の現実と併行しつつそれとは異なるルールによって構築されたイメージが持つリアリティなのだが、そのことがやなぎ作品の美点なのだと私は感じている。