ウィメンズ・パフォーマンス・アート・大阪
これら4つの言葉の順列組み合わせから考えられることはやたらに多くて、語るほうも聞くほうもつい身構えちゃったりするかもしれないのだが、どんな構えがあろうがなかろうが、たとえばこの国のゆるゆるな日常にだって(いや、ゆるゆるだからこそ?)「?」や「!」は山ほどひそんでいて、そうしたことに当事者として気づき考えることがアートに深く関わることなのは、おそらく間違いのないことだろう。
今回が記念すべき第1回目、生まれたばかりのこの企画がいったいどういうものなのかという点からこれら4つの言葉をあらためて読み下すと、女性作家による、パフォーマンスなど時間軸系のアート作品を、大阪でまとめて見ることのできる滅多とない機会、ということになる。時間軸系というのはあまり一般的ではない言い方だと思うが、企画者が今回の出品内容を説明するときに「time based」の訳語として使っている言葉である。パフォーマンスや映像など、見る側に一定の時間の参加を要求する、そして上演・上映の機会を逃すとなかなか実見することの難しいもの、より現場度の高い作品というふうにも言えるだろう。
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谷川まり
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Yuko Nexus6
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アーティスト・トーク
撮影:山形麻由美
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1月の12日から金・土・日の3日間に渡り12名が作品を発表、2日目と3日目の終演後にはアーティスト・トークも開かれるという盛りだくさんな内容。初日はまず3名のパフォーマンス、なかでも谷川まりのパン工場で働いた(そして辞めた)体験にもとづく作品は、おかしみのうちにやがて漂う哀愁のニュアンスが絶妙で、個人的に強く印象に残った。永山亜紀子は畳の上でのエンドレスな動作、白井廣美は音姫と朝顔(って何のことかおわかりでしょうか?)で、それぞれ性差の「?」に切り込んでいた。
2日目は趣を変え、まずは映像作品を集中して上映。身近な友人が歌い踊る姿を延々と撮ったかなもりゆうこ、キャラを生かした顔の「芸」で五感に訴えるのぎすみこ、以前に本欄で紹介した日高理都子、風景にいきなりどアップで卵の殻とナマ足の組み合わせもシュールな田尻麻里子、いずれも興味深い。特に旧作の上映ではあったが、かなもりゆうこ。彼女の作品は特に何か仕掛けがあるわけでもないのに、つい引き込まれて見てしまい、気が付くと何十分も過ぎている、この魅力は謎だ。そしてこの日のトリはシンガポールよりアマンダ・ヘンのパフォーマンス。3日目には台所やテレビやネット接続の音をあふれさせるパフォーマンスあり(Yuko Nexus6)、詩の朗読あり(上田假奈代)、とさらに幅広く、そして最後は山岡佐紀子とインドネシアからアラフマヤーニがそれぞれ凄みのあるパフォーマンスで締めくくった。
この3日間に渡る充実した企画の中心となったのは、造形作家でありフリーの企画者でもある中西美穂、そして彼女と同年代の比較的若い世代のアーティストたちである。はじめての経験ということもあり、正直なところ客の目から見ても混乱しているなぁというところは確かにあった。それでもたとえば1日目の間延びしたタイムテーブルは2日目に即改善されていたし、初回はかなりトホホな結果に終わったアーティスト・トークも、翌日には進行の方法を変えて見違えるほど濃い内容となっていた。お客さんも、主催者としてはどうかわからないが、閑古鳥鳴き放題の美術館職員からすればうらやましい数。何よりこうした企画が、私と同年代の人たちの自主的な運営により実現されたということに、大きな敬意を表したい。
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