先月三鷹市芸術文化センターで「渡辺聡展−隠された風景−」を行った。渡辺聡は無数のドットのシールをキャンバスに貼って、世界各地の有名な美術館や歴史的名所などの「風景画」を制作する作家である。シールを別のキャンバスに貼り替えて2点組の作品を作ることもあるが、ピンセットで何万枚ものシールを移す緻密な作業を通してできあがる作品には圧倒させられる。絵はがきや旅行パンフレットの写真をもとにした彼の絵画は、写実的でありながらドットの視覚的効果で薄ぼんやりとして見える。オリジナルと複製の関係、実体のない「風景」、観光という人間の愚行など、様々なことが示唆されていて、その毒とユーモアの融合は絶妙である。
今回も、三鷹で恒例の作家によるワークショップを開催した。高校生以上は「大人がそんなとこに落書きして!」という落書きをテーマにしたもの、また小学生対象として「点々のシールで絵をかこう」と題したプログラムを行った。子供のワークショップでは、線で描いた自分の顔をもとにドットを使って自画像を制作した。輪郭をドットでなぞると、絵は大分シンプルになる。さらにドットを抜いた後に残ったシートを下敷きにして、穴と線が重なった場所だけ枠にあてはめるようにドットを貼っていくと、デジタルっぽく角張った、より単純化された絵ができあがる。
この作業を通して気づいたことがある。小学生ともなると自意識も強くなり、自分と人を比較し始める。線で自画像を描いた時点では、恥ずかしがって絵を見せたがらない子供もいた。ところが、ひとたびこの「ドット・ドローイング」を始めると、みんな羞恥心が消えるのだ。特に枠にシールを当てはめていく方法はゲームにも似ていて、規則性に従えば基本的に誰でも同じものを作ることができる。しかし、どんなに単純化されてもオリジナルの絵の雰囲気は残っており、自分の顔だと判別がつく。いわばエッセンスが凝縮された絵といえるだろう。自分では予測のつかない「人工的」な作品ができるのが、子供たちには面白かったようである。なにより、「独創性」や「上手い・下手」から解放されて楽しめたことは良かったと思う。私が子供の頃の美術教育では、物を写実的に描写すること、または内面を表現してバランス良く色と形にまとめることに重点が置かれていたように思う。でも美術はそれだけではないだろう。渡辺氏自身が、内面を吐露するような抽象表現や、画家のオリジナルな筆跡といった、これまで美術史上貴重だと思われてきた要素に疑問をもち、現在のドット・シールを使う技法に行きついたという経緯がある。そんな作家の考えがワークショップに反映されていて興味深かった。
また、このドット・ドローイングにある種のヒーリング効果を見出したことも発見であった。試しに私も作業に参加してみたのだが、黙々とシールを剥がして貼る作業は結構ハマる。そしていつの間にか心が穏やかになっていくではないか。ヒーリング・グッズとして「ドット・キット」を売り出そうか……渡辺氏と冗談で話したが、案外悪くないアイデアかもしれない。