とくに、折元が今もっとも力を注ぐ「Art Mama」シリーズは圧巻だった。年老いて足が弱り、軽いアルツハイマーと、多量の薬を長年服用しつづけた副作用による鬱病と難聴に悩まされる母親と、彼女を介護する作家自身の日常をテーマにしたこの作品は、しかし、テーマの重さとは裏腹にあくまであっけらかんとしたユーモアに溢れ、「逆境」にあっても衰えることのない作家の制作に対するバイタリティと、その逆境を逆手にとるしたたかさ、それに協力を惜しまない母親の愛情、二人の生活と折元の制作活動を暖かく見守りサポートする、「ゲンダイビジュツ」とはまったく無縁な近所の人々の姿は、まさに見る者すべてを勇気づけるものだった。
CCGAで今夏開催する本展は、原美術館展が折元の現在を伝える内容だったのに対して、今までまとまって見る機会のなかった彼の仕事の全貌をダイジェストで紹介しようというミニ回顧展である。
展覧会は、1970年代初頭にニューヨークでフルクサスに参加することで始まる彼のキャリアを、作家自身の手による、パフォーマンスの記録写真、ビデオ、イベントの告知チラシ、ポスター、葉書、実際にパフォーマンスに使用したオブジェなどで構成される。
自らの存在を他者に知らせ、認めさせることへの強い欲求、それは、とりもなおさず、現代美術のフィールドで成功し名声を得ることに対する願望そのものなのだが、そうした願望を不純であると片付けることはもちろんできない。結局のところそれは原初的で人間的な本能なのであり、こうした普遍的なコミュニケーションへの欲求自体が、じつは、30年間に制作された折元のあらゆる作品に通底するテーマであったことを忘れてはいけないだろう。
折元の代表作のひとつ、頭にたくさんのパンを括りつけた奇妙な姿で街中に出没する「パン人間」パフォーマンスは、まさに異質な他者との間に横たわるコミュニケーション・ギャップの問題をカリカチュアライズしてみせる作品だが、愛を求めてさまようエレファント・マンさながらに異形の姿を観衆の前にさらけだすパン人間は、そのまま、異質な他者としての折元とわが国の現代美術業界との関係を投影し、同時に、当の現代美術業界と社会との関係、あるいは日本と世界との関係など、コミュニケーションの断絶に苦しむすべての「他者」を象徴しているのである。