来年3月に銭湯のペンキ絵の展覧会を予定している。風呂なしの家が珍しくなった今、銭湯は年々なくなる一方である。ペンキ絵を描く現役の絵師も、現在東京には3 人しかいない。その1人である中島盛夫さんに先日お会いした。
かつて人の集まる銭湯は、宣伝効果の高い場所であった。壁に文字を入れるスポンサーからの広告料によってペンキ絵制作が賄われていたそうだ。中島さんの仕事も多く、1日2軒の銭湯に絵を描くこともあったという。銭湯が開くまでの数時間に男湯と女湯の絵を両方描きあげてしまう。スピードが要求される仕事である。
銭湯の需要が減った今、ペンキ絵を描く場所にも変化が訪れている。最近中島さんは、病院や老人施設、お店のシャッター、建築現場、そして個人の内風呂などに絵を描いたそうだ。なるほど、銭湯を懐かしむ人たちからの新たなニーズが生まれているのだろう。
しかし、今後の取材の参考のためにそれらの場所を尋ねても、中島さんからは具体的な住所が出てこない。「確か筑波だった」とか、「江戸川のどこかだった」など、記憶が曖昧なのだ。中島さんには描き終えた絵への執着が全くないらしい。そもそも銭湯のペンキ絵は一定期間を経て描き替えられていくはかない存在だ。自分の力作を自ら塗りつぶすことに抵抗はないのかと聞くと、描くたびに常に反省点が出てくるので、早く描き替えてしまいたいという気持ちの方が強いのだという。また、今後描いてみたい富士山以外の魅力的なモチーフを尋ねると、きっぱり「ない」という返事。
「やっぱり富士山はいいね。」
そんな彼の言葉の中には、名前を残したい、作品を末永く保存して世に知らしめたい、オリジナル性を追求したいと願ういわゆる「アーティスト」とは全く異なるベクトルが存在する。良い絵を描きたいという気持ち以外のあらゆる執着から解放された職人の姿勢に、何ともいえない潔さを感じた。