前回は福永信の小説集「アクロバット前夜」の紹介をしましたが、今回はその続編ということで、彼の個展「迷子の迷子」の報告です(キュレーション、私)。
いちおう展覧会と呼んではいるものの、彼は小説を書く人なので、文字を使ったアートを展示するというのではなくて、ギャラリーという場所を使って小説を発表するというのが基本的なプランです。で、その新しい短編小説「迷子の迷子」はいくつかのパーツに分けてそれぞれ別の形式で提示されました。具体的には、1.ダイレクトメール(表面と裏面)、2.ギャラリー入口のウィンドウに貼られた切り文字と、中に置かれた2枚のテキスト(テキスト1、テキスト2)、3.朗読、です。また、ギャラリーではプリントとしては配付しなかったウィンドウの文字と結末部分もここで公開しておきます。
前にも書いたように、「アクロバット前夜」は横組みで、しかも1行がページを超えて延々と右に延びていくという装幀で出版されました。今回の「迷子の迷子」は縦書きですが、ただし左から右へと読んでいくようにプリントされています。少し読みづらいです。が、慣れればそれほどでもありません。また、紙に印字されたテキストやDMは持ち帰って読み直せますが、ウィンドウの文字や朗読された部分については、あたり前ですが、後で再構成するには不完全な記憶に頼るしかありません。
こうした、小説としては変則的な形式とこの小説の「内容」はたがいに関わりあっています。pdfファイルを読んでもらうと分かると思いますが、文章としてはとても平易で明快なものなのですが、どうも頭の中でひとつの像を結んでいかない。場面ごとのイメージが急に切り離されたり変化させられたりする。作者はたぶん、光景をありありと思い浮かべられたり人物が生き生きと描かれてたりするような文章の嘘、その不自然さや閉塞感をよく知っているのでしょう。私たちの知覚はそれほど規則的でも連続的でもなく、混乱や矛盾もかかえこんだもっと選択性のあるアクティブなものだとしたら、今回のような「読む」ことの慣れをわざとつまずかせるような提示方法は、小説を知覚する可能性を少しばかり押し広げることに加担する意味合いがあるでしょう。
9月1日に行われた朗読会では、プリントされていない最後のパートも含めて、小説の全編がまず女性によって読まれました。かなり演劇的な身ぶりとさらに音楽がともなったため、上記のような作品内容でありながらも、聞く人にはある程度一貫したイメージが生まれたことでしょう。でも、同じ文章を次に男性が読み演じることによって、そのイメージは再び相対化されたかもしれません。また、二人の朗読の幕間に、作者と私とのトークも行われました。ただし、「えー、ところで」とか「そうですねえ、あー」などと言いつつ素のおしゃべりが続いた末に、「他に質問のある方はないですか」で終わってしまうトークという形式の退屈さと不自然さを避けるために、これも作者があらかじめ用意した脚本を両人ともほぼ棒読みにするという方法をとりました。その内容はこれです。参考までに。