山盛:
|
生きてる金魚のやつ(廬昊「金魚鉢(天安門)」1998)とか。
|
村田:
|
そうそう(笑)。ああいうのは非常にたくましいなと思った。ああいうたくましさは、なかなか日本の若い作家は持ちえないし、また持つ必要もないのかなと思ったりして。
|
山盛:
|
ただ皮肉にも、中国人作家でも国際賞をとったのは蔡國強さんだったりするわけですよね。蔡さんもシャリン・エシャットも、みんなアメリカに住んでいる人たちだった。蔡さんはやはりうまくて、何回も行ったんですけど、非常に複雑な構造をとっていて、見る度に考えさせられましたね。
|
村田: |
重層的な構造になっているから、たえられるんですよね。
|
山盛: |
たぶんあれもいわゆるプロジェクトだと思いますが、いくつかの入れ子構造になっているものです。蔡さんによると、中国共産党は大災害の後、不満を抱えた農民をなだめ抑えるために、もっとひどい時代があったことを示す目的で、金持ちが貧農を搾取するようなリアルな彫刻を美術家らにつくらせた。ヴェネチアにきていた龍緒理さんもその一人。年齢は59歳だとおっしゃっていましたが、彼がそれをリメイクし、さらに今20代の北京の芸大の若者たちも参加していた。構図としては、美術が政治のプロパガンダとして使われたという批判があり、しかしオリジナルの彫刻が告発していた貧困や搾取は無くなっていないという現実があり……さらに蔡さんはもっと広げていく。それから同じリアリズムでも若い世代と龍さんの世代との間にも微妙な違いがある。さらにはリアリズムが現代美術から消滅したという批判もある。さらにそれを蔡國強という人物がつくらせている。龍さんは中国語しか使えないので聞けなかったんですが、私は龍さんが一体どういう気持でいるのか不思議でならなかったですね。
|
村田: |
龍さんがもともとのオリジナルの作品をつくっているときにどういう気持だったか、そして今どういう気持なのかっていうのがね。
|
山盛: |
今の気持は複雑だと思うんです。中国でも結構高い地位の美術家なんですよ。
ということはけっして反体制派じゃないと思う。ひょっとしたらそういう方が、自分の状況を全然把握できないままやっている可能性もありうると思うんですよ。
|
村田: |
そのまま再現しているわけだから、あれは中国政府や龍さんに対しての言い訳がたつというか、別に何も批判というふうに捉えられずにすむわけですよね。
|
山盛: |
一番の意味合いは、つまり「中国の封建時代はこんなにひどかったんだ」ということがまず第一のメッセージできて、そういうものをつくらされたという第二のメッセージはそれとまったく反対のがくるわけですよね。そういうのが波のように打ち寄せてはかえってゆくから、見ていても重層的でめまいがするところがある。
|
村田: |
あれを見た時に「これはインタヴューしないとだめだな。これは賞をとるな」と思ったね。
|