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山盛英司(朝日新聞記者) vs 村田 真
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新春対談 アートとそれを取り巻く状況をめぐって

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■万博以後とアートの現在

村田:
村田真氏

それで思い出すのは、万博が60年代と70年代を分断してしまったと思うんですよ。いろんなことがかなりあそこに集中して、でも終わった途端、作家同士の人間関係も万博に参加したかしないかということで完全に切れちゃった。それと似たようなことが70年代と80年代にも、80年代と90年代にも起こっているな、というような印象がありますね。10年ごとに美術の流れを区切るっていうのはあまり意味がないなと思いつつも、考えてみると10年ごとに区切れるなと思ったんですよ。例えばわかりやすいのは、80年代から90年代のバブルとその崩壊。70年代とは切れた新しい作家たちが登場してきた時期で、作家の自主企画展というのがものすごく多かったんですよ。それは60年代に匹敵するっていうか、70年代がすごく低迷していたから。で、80年頃になってようやくたくさん出てきて活発化したんだけど、そのうちから何人かがクラブのディスプレイとかいろんなところにどんどん取り込まれて、企業に使われたりしてどんどん消費されていって、90年代のバブル崩壊ですっかりそれがまた分断されてしまった、そういう印象が……。

山盛: 関西だと、たぶん「関西ニューウェーブ」が80年代くらいですよね。わっと巨大なものをつくってインスタレーションだと言って……。実際その人たちが今種を蒔いているというところで、かなりみんな教職について次の世代を育てているっていう感じはありますね。

村田: 教職につけばいいけど、東京の方は70年代、80年代、90年代とぶつ切り状態で、80年代に出てきた作家はそこでもう散らばってしまった。それで90年代に入ったら何が出てくるかっていうと、今度はオタクが出てくる。もちろん、ポストモダン状況の中で「大きな物語」がなくなって「小さな物語」に分散化したとは言えるんだけど、80年代とは何もつながってないんですよ。

山盛: 具体的な名前を挙げていただくと、オタクというのは……。

村田: 村上(隆)さんですよね。

山盛: 関西でいうと、例えばオタクではないと思いますけど、やなぎみわさんとかがその次の世代ですよね。ヤノベケンジさんはどのあたりに入るんでしょうね。

村田: まあオタクに入れていいでしょうね。関西のことはよくわからないけれども、関西の方が上下関係というか、つながりがあるなという気はしているんですけど。

山盛: みんな芸大に入って教えるという循環はありますね。全体的に再生産する回路というのはあって、これは具体美術協会からずっと続いているんですよね。具体の人たちがかつてのニューウェーブに重なってくるんですよね。
 ところで、最近の作家個人の活動を見た場合、どうですか。

村田: 藤浩志は今福岡にいるけど、彼が「OSとしてのアート」ということを言い始めていて面白いですね。ようするに、自分はおおまかに基本ソフトをつくって、あとは自分は何もしないで他の人がそのソフトにのせてやってくれればいいっていう、ようするにプロジェクト。

山盛: 場を作るという。

村田: そう。プロジェクトとしてのアートを非常にわかりやすく説明してくれたんですよ。藤君は川俣正のプロジェクトも宮島達男の「柿の木プロジェクト」もすべて「OSとしてのアート」といいきるんです。
 ところで、99年のはじめにやった秋葉原TVもプロジェクトですが、最初その話を聞いた時に秋葉原の電気街にビデオアートが出たらものすごく面白いと思ったんですよ。でも実際に行ったら、どこでやってるのかなっていう感じでよくわからなかった。

山盛: 飲み込まれちゃうんですか、やっぱり。

村田: お店の一部だけで、全部が全部やっているわけじゃないから。

山盛: 全部やるといいでしょうね。いずれやってほしいですね。


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