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 1998年度ターナー賞
 選考委員による受賞者決定ドキュメント……
南條史生
 

The Turner Prize 1998
ターナー賞

1998年のターナー賞展覧会が昨年10月28日からロンドンのテート・ギャラリーで開催された。ノミネートされたのはキャシー・デモンショー、クリス・オフィリ、タシタ・ディーン、サム・テイラー・ウッドの4人。12月1日の最終審査の結果、98年の受賞者はクリス・オフィリに決まった。その日、ファッション・デザイナーでありギャラリーのオーナーでもあるアニエス・ベーがオフィリの受賞を発表し、賞金20000ポンドが彼に授与された。


ターナー賞は名前から想像するほど古くからある賞ではない。イギリスで知られている19世紀の画家ウイリアム・ターナーの名を冠した賞が設けられたのは、1984年のことだ。
最初の頃はイギリスの美術界で権威のある賞らしく、受賞者もハワード・ホジキンやリチャード・ディーコンといった功なり名遂げたアーティストたちだった。賞自体はテート・ギャラリーが管理運営してきたが、テートの館長に現代美術のキュレーターとして有名なニック・セロータが就任したときから、若手のもっと若い作家が賞の対象となり始めた。そこで最近の受賞には、ダミアン・ハーストやジリアン・ウェアリングと言った作家があがっている。
 
Cathy de Monchaux - Portrait by Marcella Leith
Cathy de Monchaux
Wandering about in the future, looking forward to the past
Don't touch my waist
Wandering about in the future,
looking forward to the past 1994
Tate Gallery
Don't touch my waist 1998
しんちゅう、皮、人工皮革、
古着の毛皮、スクリム、導線、
チョーク、糸 
117×106×8cm

審査員は基本的にはイギリス人が大半だが、最近は5人のうち1人は外国人が入っている。賞の対象となる条件は過去一年間に英国で著しく重要な発表活動をなしたこと。重要なという意味には、美術の表現に新しい貢献や視点を導入したといった意味が含まれていることはいうまでもない。

ところで今回の審査はまず予備審査が98年の6月に行なわれた。その段階では自薦他薦の作家の名前がおよそ100人ぐらいノミネートされていた。そのリストから候補を4人にしぼるのが第一段階の作業だった。もっとも誰も聞いたことがない作家やとても候補にはなり得ないという作家をさっさと削って、のこり十数人からが本当の作業ということになる。
審査員はまずテートの館長のニック・セロータ、それからコレクターのニール・テナント、ロンドンのブリティッシュ・カウンシルのキュレーター、アン・ギャラハー、さらに文筆家で最近は現代美術の評論を多数発表しているマリアン・ワーナー、そして私だった。
ニック・セロータは司会者という立場もあってさしあたってあまり発言はしない。となると審査員のバランスは女性と男性が半々となる。それを反映してるわけではないが、最終候補にも女性がかなり残ることになった。審査は5人まで絞り込んだところで膠着状態になった。どの一人を落とすかで、統一見解がなかなかでない。結果的には、そのときはわたしの意見で最終的に一人が選ばれ、一人が落ち4人が確定した。そこで昼食時間となり、みんなでテートの別館の一軒家のようなレセプションルームで昼食をとり、作業が終わった。選ばれた4人はタシタ・ディーン、キャシー・デモンショー、クリス・オフィリ、それにサム・テーラー・ウッドだ。
 
Chris Ofili - Portrait by Peter Doig
Chris Ofili
Afrodizzia(2nd version)
Untitled
Afrodizzia(2nd version) 1996
Untitled 1998 
紙に鉛筆、水彩絵の具 24.3×15.6cm
Courtesy the artist and Victoria Miro Gallery
このうちクリス・オフィリだけが男性で、なおかつ彼だけが黒人だ。彼の作品はロンドンの黒人の若者にとって身近なロックミュージックなど様々な現代の社会・文化の現象をテーマにしている。そしてどの作品もカラフルで陽気で表面にはビーズや雑誌の切り抜きなどが張り付けてある。しかしそのもっとも大きな特徴はすべての絵画が、本物の象の糞の上に乗っていることだろう。98年前半に行なわれたサーペンタイン・ギャラリーでの個展の高い評価が今回候補になった理由だ。
またキャシー・デモンショーは刃物のような先鋭な素材とストッキングのようなナイロンの濡めっとした素材を反復使用して、過激でかつ女性的な内容をもった新しいタイプの彫刻作品を作り続けてきた。タシタ・ディーンはフィルムを使ったインスタレーションや黒板に描いた巨大な素描で知られている。サム・テーラー・ウッドは、97年にヴェネツィア・ビエンナーレで奨励賞をとった映像の作家で、日本でも98年に巡回した英国の現代美術展「リアル・ライフ」に出品していたので、知っている人も多いだろう。

この4人の候補者に至急連絡を取って、10月にテートでの特別展を立ち上げた。そこで美術界のみならず、一般の人たちにもこの審査は目で見えるかたちで広報され話題になった。

最終審査は12月の1日に行なわれた。
私はそれに先立ちまず展覧会を見ておきたいので、前前日にロンドンに入り、ひとりで展覧会をじっくり見た。先にいろいろの人の意見や話を聞く前に、自分の目で見て自分の感想を持つのが筋だろう。そのときの印象ではタシタ・ディーンがイマジネーションも内容の深さも一番持っているように見えた。
審査は予備審査同様テートの一室で朝から始まった。
そして案の定、議論は二人の作家に絞り込んだところで、紛糾した。そして少なくとも私を含めた4人の審査員が2対2で半分に割れ、そこから進捗しなくなった。わたしはもうだれも譲る気がないのだから、あなたが最終的な票を投じるしかないでしょう、とニック・セロータに言った。
 
Tacita Dean - Portrait by Johnnie Shznd-Kydd
Tacita Dean
Still from Disapearance at Sea
Still from Disapearance at Sea 1996 Tate Gallery
The Roaring Forties: Seven Boards in Seven Days
The Roaring Forties: Seven Boards in Seven Days 1997
黒板にチョークのイラスト(no. V) 7枚各々243.8×243.8cm
Courtesy the artist, Frith Street Gallery, London and Marian Goodman Gallery, New York

ニック・セロータはそこで、じゃあ昼食に行きましょう、といってみんなを促し、またテートのレセプション・ルームで昼食をとることになった。そしてワインを飲みながらゆっくり昼食をして、そろそろ終わりかけた頃に、ニックが「みなさん、これまでの貢献をありがとう、ここで私も票を投じようと思う」と発言した。みんな一瞬黙って彼に注目し、かれは「私はクリス・オフィリにしたいと思う」と結論した。これで決まり。みんな納得して解散した。

夜7時からパーティーが予定されていた。しかしパーティーの席上で正式の発表をするまでわれわれは審査結果を口外することはできない。アン・ギャラハーは「オフィスに戻るとみんなに結果を聞かれそうだから、夜のパーティーのための服でも買いに行くわ」といって街に消えた。私はパーティーがブラックタイ着用だということを知らなかったので、仕方なしに自分のタキシードを買いに行くことにした。

カクテル・パーティーはテート・ギャラリーの中央の彫刻ギャラリーで行なわれた。周りにはヘンリー・ムーアやバーバラ・ヘップワースの彫刻が並んでいる。候補となった4人の作家が全員、結果を知らないまま参加していて、そこで私は初めて彼らに紹介された。すでに受賞者を知っているのに知らない顔をして候補者と話すのはつらい。

ディナーはテートの展示室を使って行なわれた。全員着席のディナーで、私はよく知らないものの、テートのトラスティーの人たちや、スポンサー、それにイギリスの美術界の重要な人たちが来ていたのだろう。ディナーが終わる頃に、招待されてきていたアニエスBがステージの上に上がって、今年のターナー賞の受賞者は「クリス・オフィリです」と発表した。この様子は英国のチャンネル4のテレビ局が、夜8時半のゴールデン・タイムに実況中継した。
 
Sam Taylor-Wood - Portrait by Ellen Nolan
Sam Taylor-Wood
Killing Time 1994 Installation at Toyama Now '96
Five Revolutionary Seconds XIII
Killing Time 1994 Installation at Toyama Now '96
Courtesy the artist and Jay Jopling (London)
Five Revolutionary Seconds XIII 1998 (部分)
サウンドつきカラー写真 113.7×775cm 
The artist and Jay Jopling (London)

これを見て思ったことは、日本にこれに匹敵する現代美術の賞がないというこだ。いや日本に賞は様々あるが、結局これほどの権威と一般の人たちの注目を集める賞はない。
しかし一方でこの賞が最初から権威があり、テレビで放映されてきたわけではないということも知る必要がある。それは関係者がテレビ局を説得し、スポンサーを募り、また2カ月の展覧会を実施し、社会的に認知されるように努力してきた結果だろう。
最近日本の新聞が「不況の中で美術の予算がカットされ、美術関係者はなげいているが、かれらは美術が社会にとって必要なのだということを十分にアピールしてこなかったのではないか」という記事を載せていた。ターナー賞の演出と関係者の努力をみると、日本の新聞のその批判ももっともだと思わざるを得ない。

ターナー賞という著名な賞がまだ20代の黒人の青年に授けられるというところに、世界の文化・芸術の新しい動向が立ち現れている。がまた、そこに新しい英国の文化・芸術にかける気概が見える。日本は技術、産業の分野は別として、文化・芸術において、こうした新しいアイデア、若々しい創造力にたいして、国を挙げてもり立てていこうという気概は見えない。美術関係者はもっとこの問題に立ち向かうべきである。
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ターナー賞1998 展覧会 An exhibition of work by the shortlisted artists

会場:ロンドン、テート・ギャラリー
会期:1998年10月28日〜1999年1月10日

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