Jul. 18, 1996 | Aug. 20, 1996 |
Art Watch Index - Aug. 6, 1996
【《桑山忠明プロジェクト'96》展】………………●椹木野衣
【サラエボの影とラカンの鏡像段階
【[ロンドン] 美術と公共性を考える |
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●素材分類:プラスチック
●デザイナー:
●製品名:ゴブレット「Gallery Glass」1993年
●製造:Metrokane, Inc. アメリカ
●写真提供:Tony Curatolla, courtesy Metrokane, Inc.
This exhibition was organized under the auspice of The International Council of The Museum of Modern Art, New York.
●素材分類:繊維および複合材料
●デザイナー:豊久将三
●製品名:ライティングシステム
●製造:Asahi Glass Co.,Ltd.日本
●写真提供供:
●素材分類:メタル
●デザイナー:川崎和男
●製品名:折り畳み式車椅子
●製造:SIG Workshop Co.,Ltd.
●写真提供:Mitsumasa Fujitsuka, courtesy Kazuo Kawasaki
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イン・ザ・マテリアル・ワールド ●太田佳代子
素材に触れて身体で理解する展覧会
不況のせいか、今、プロダクト・デザインの世界はおとなしい。それに、ダレソレが デザインしたからといって話題になった80年代とは、状況はすっかり変わっている。 で、そういうアンニュイな空気に喝を入れるかのような展覧会がアメリカからやって 来ている。場所は新宿パークタワーのオゾン、去年の夏にニューヨーク近代美術館(MoMA)で開かれた「現代デザインにみる素材の変容」だ。 アートの日常化運動とMoMA 深夜のテレコンワールドでやっていた折り曲がるマナ板も、デザイン・ショップでよくみかけるクズカゴも、ウォータースタジオのあのオリンパスカメラも、ナイキのスポーツシューズも、ここではみな現代デザイン作品として並んでいる。現代美術の殿堂を誇る一方で、芸術とは無関係にみえるこうした日常のテーマも押さえるのが、このMoMAだ。芸術を生活に取り入れることをモットーとしたバウハウスの指導者たちが 第二次大戦でアメリカに多数流れ、プラグマチズムの社会に浸透していった。MoMAはそうしたいわばアートの日常化運動をずっと率先してやってきている。60年代にはキュレーターのエミリオ・アンバースが街で集めてきたグッドデザイン商品にプライス・タッグをつけて展覧会にし、買って帰れるようにしたというのだからあっぱれである。 素材の革新とデザイナーの仕事
それにしても現代の技術革新というのは凄いヤツである。超音波で成型処理したプ ラスチックのグラスとか、超小型電話ヘッドセットは、素材の革新がなければあり得 ないデザインだ。逆に言えば、デザイナーの仕事やポジションは私たちが想像するも のとは、かなり変わってきているというわけだ。エンジニアの提案やメーカー企業の 技術力が、デザインへの貢献度を増しているわけで、「デザイン」「デザイナー」の 定義はどんどん曖昧になっていかざるを得ない。 [おおた かよこ/編集者]
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BOSNIA.NET http://www.fama.com/ |
サラエボの影とラカンの鏡像段階 ●鴻 英良
サラエボやエイズの時代
いまヨーロッパ、アメリカの舞台に影を落としているものがふたつある。それはエイズとサラエボである。映画『アンダーグラウンド』や『ユリシーズの瞳』のように、直接的にサラエボに言及している舞台ももちろんあるけれども、いわば匂いとしてそれらが感じられるものがたくさんあるのである。 死のオブジェとしての皮膚
しかし、われわれのまえに現われてきたのは、それとまったく手触りのちがう人形劇なのだ。崩れ落ちる皮膚とでもいえばいいのか。人々[人形使い/ダンサーたち]はまず紙の包帯を巻いてわれわれの前に姿を現すのである。そして、その包帯は、たとえばナイフやフォークで突っつかれ、かき回され、ほじくられることで、ぼろぼろになっていくのである。人間の表面をこのようになぶりものにすることによってはじめられるフィリップ・ジャンティのこの舞台が死を主要なモチーフにしていることをわれわれはやがて明瞭に理解するようになるのだが、その死が、このような弄ばれ、かさぶたのようにごわごわした皮膚をぼろぼろと崩していくことによってあらわされていたということは偶然ではあるまい。やがてさまざまな皮膚がこの舞台のなかに充満してくるであろう。 あいまいな像を結ぶ幻想世界
20世紀後期に出現したさまざまな肉体の廃墟が、このように陳列され、死の儀式はさまざまなバリエーションを獲得していくのだ。そして、これほどまでに具体的な死のオブジェにつらぬかれた舞台を見て、私は戦慄を感じないではいられないのだ。 [おおとり ひでなが/演劇批評]
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Claes Oldenburg
Claes Oldenburg
Claes Oldenburg and Coosje van Bruggen
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[ロンドン] ●毛利嘉孝
ふたつの展覧会 おそらく、それぞれの企画者は狙っていたわけではないだろうが、奇しくもロンドンのテムズ川のサウスバンクで同じ問題について考えさせられる展覧会が続けて開催されている。ひとつは、ヘイワード・ギャラリーのクレス・オルテンバーグの大回顧展 、もうひとつはロイヤル・フェスティバル・ホールのリチャード・レイゼルを中心としたコラボレーションの展覧会『叩いて、鳴らして、騙して』である。 巨大なオブジェと五感に訴える表現
生活日用品を巨大なオブジェに拡大する作品で知られるポップ・アーティスト、オルテンバーグについては、よく知られた作家でもありくどくどと説明する必要はないだろう。60年代の初期の作品から最近の屋外での巨大なインスタレーションの基本模型を実際に設置した際のドキュメント作品までを集めた本展は、常に日常空間や都市の問題に触れてきていたこの作家の回顧展である。 誰のための美術館か このふたつの展覧会の共通点とは、「美術館とは誰のためにあるのか」という素朴な問い掛けなのだが、実際の入場者の反応を見るかぎり圧倒的にレイゼルに軍配が上がっていたことは否めない。もちろん、レイゼルの作品を「美術」ではないと切り捨てるのは簡単だろう。しかし、「括弧付きの美術が子供や障害者といったマイノリティにどういう機能を果たしてきたのか」ということが多分真剣に討議される必要があるのもまた事実なのだ。コンテンポラリーアートにおいて「美/醜」という尺度以外に新しい尺度が求められているかもしれない。「美/醜」という対立こそが「強者/弱者」の対立を隠蔽してきたのだとしたら。
[もうり よしたか/
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フェルナン・レジェ
エルンスト・ルートヴィヒ・
ロベール・
ル・コルビュジエ
ホルスト・フォン・ハルブ
ジョルジョ・デ・キリコ
Centre National d'Art et de Culture Georges Pompidou
(フランス語)
http://www.cnac-gp.fr/
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近代都市と芸術展 1870-1996 ●開発チエ
ポンピドゥーの《都市展》を東京展として再構成
行なわれるはずだった「都市の博覧会」のための「都市に関わる視覚芸術の展覧会」は、日頃広大過ぎるがゆえの問題点をあれこれと論われる都立現代美術館を、日本の首都のように過密なすし詰めの空間にしてしまうほどの規模を誇っている。都市博の是非はともかく、この展覧会に限っては、より広大な展示空間を用意する必要があったと切に思う。レセプションでは大道芸風の音楽隊やパフォーミング・アーツ部隊も出動していた。雰囲気はもはや十分に「万博」であった。 近代性が都市に与えた衝撃、そして都市が近代性に与えた衝撃を提示 1870年以前には、硬質な都市計画図と、人気のないモノクロのパノラマ写真の中に死んだように眠っていた都市が、クールベに代表されるアカデミーに反逆したサロンの画家たちによって、人間の息づく生の空間として読み直される。次第に鳥瞰図が増え、都市が壮大な夢を潜在させた可能性の空間として呼吸を始めるのと一緒に、印象派の画家たちが屋外に出て全感覚的に都市を体験することによって、季節感と折々の催し物に沸く、カラフルで動的な相貌を露にしてゆく。やがて、新たな世界を育む夜としての世紀末が訪れる。そこから、大戦が近づくにつれて、実現したものもせずにいたものも含めて膨大な都市計画図が提示され、同時にアヴァンギャルドが誕生する。キュビスムが新しい世界の見方を提示し、未来派は都市のテクノロジーに充溢するエネルギーを捕らえてゆく。その極点にル・コルビュジエは現われる。新たな創造的意志はいつしか、破壊的誇大妄想の欲望という裏に隠された真の顔を曝し始める。かくして、まるで必然的に召喚されたような大戦は訪れ、それによって都市は真に変貌することになるのだ。全体主義の野望、映画《メトロポリス》によるその告発、焦土。そして、廃墟となったヨーロッパの上には再び都市計画が試みられ、まあ、あとはよくご存知の大戦後の芸術運動と、もはやヴァーチュアル・リアリティとなる以外はない壮大な都市計画が相変わらず続く。日本の側では浮世絵に始まるグラフィック・アートの豊穣さが見物だ。つくづく日本における「平面」のパワーには圧倒させられる。
歌川広重(三代) とにかく量に圧倒されるが、残念ながらテーマのフォーカスが甘い。ざっと展示を回るだけでは古地図と絵画の見本市に遭遇したに等しい。一巡りして十分にお勉強した気分になるためには、午前中に出かけて、途中でカタログを購入し、昼食でもとりながら熟読して、もう一回周回することをお勧めしたい。 [かいほつ ちえ/美術批評]
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