Aug. 6, 1996

Art Watch Index - Jul. 18, 1996


【高いクオリティとプロフェッショナルに徹した建築
 ―「東京国際フォーラム」で感じたこと―】………………●塚本由晴

【歴史の本格的な「紹介」こそなされなければならない
 ―目黒区美術館《1953年―ライトアップ 
 新しい戦後美術像が見えてきた》】………………●椹木野衣

【[ロンドン] ポストモダンの都市の現状を再考する企画展
 《ネヴァー・ウォーク・アローン》(フォトグラファーズ・ギャラリー)
 ……………………●毛利嘉孝


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東京国際フォーラム  

 

 

 

 

 

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高いクオリティとプロフェッショナルに
徹した建築
―「東京国際フォーラム」で感じたこと―

●塚本由晴



先日、私は完成したばかりの東京国際フォ−ラムを見学した。設計は1988年バブル最盛期の国際コンペでニュ−ヨ−クから応募し当選したラファエル・ヴィニョリである。この有楽町駅の皇居側にある都の建物は、敷地が3ha、延床面積144400平方メートルの巨大複合施設である。地下1階から約60メ−トルの高さまで吹き抜けた多目的スペ−スのガラスホ−ル、5000席を最大とする4つのホ−ル、会議室、レセプションホール、展示ホール、情報センター、サービス施設などが複合しており、『コンベンション・アート・センター』という欲張った内容である。ちなみに鈴木前都知事が館長をつとめるそうである。おそらく写真週刊誌や新聞などにはランニングコストが高すぎるとか、こんな豪華である必要があるのかとか、そもそもこんな施設必要なのかといった非難が浴びせられることだろう。また同時に新しい東京の名所、デートスポッテとして好意的に紹介されるだろう。それらの様式的な批評には「納税者」とか「消費者」という具体的な立場が前提にされている。
  建築を設計している身からすると、これだけの大建築を高いクオリティで実現させていることにまず敬服してしまう。各部が良く検討され、明確に定義されることによって、色々な試みが断片化せずに全体性を獲得している。技術的にも造形的にもベストが尽くされているだけで、思い入れとか建築家の内面の投影などこれっぽちも感じない。透明でアダルト、まさにプロフェッショナルな仕事といえる。そういう意味では、ゼネコンが作る精度の高い建物と似ていないことはないが、それよりもずっと部分部分のアイデアに満ちていて建築的に楽しめる。しかしこの施設がこの場所に出現することの社会的な意味を考えさせるようなところはない。むしろこれだけの施設が、イデオロギー的なものの表出を伴わずにさらりとでき上がっていることに、多少のショックを感じた。建築家のなすべきことは、与えられた枠組みの中でベストを尽くすことであって、その枠組みを問うことではないという、徹底したビジネス精神のようなものを感じる。規模が大きくなればなるほど、建物が社会に与える影響も大きくなるから、建築家というのは特定のイデオロギーを代表するような立場はとりにくくなるのだろう。だが東京国際フォーラムでは八方美人で曖昧な立場に陥っているわけではなく、プロフェッショナルに徹することによって具体的な立場を代表することのない抽象的な立場を獲得している。このプロフェッショナリズムを前にすると、幼稚さやあまさを残したアマチュアリズムが日本の建築家の作品の特徴のように思えてくる。どこかに完全には定義しきらない部分を残しておくのが日本的な感性なのかもしれないが、それが時に幼稚さやあまさを正当化していないだろうか。そしてこのアマチュアリズムを支えているのが「建築の意味」というものに対する信頼なのだということが、「建築の意味」などはなから相手にしていない東京国際フォーラムから引き出すことができた一つの認識である。

[つかもと よしはる/建築家]

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目黒区美術館
http://www.dnp.co.jp/
museum/meguro/
meguro.html

歴史の本格的な「紹介」こそ
なされなければならない
―目黒区美術館《1953年―ライトアップ 
新しい戦後美術像が見えてきた》

●椹木野衣



雑多さゆえの可能性

本展は、日本の戦後美術を語る時にとかく死角となりがちだった1950年代の動向にスポットを当てるものである。
  50年代といっても、タイトルにあるとおり、ここで「ライトアップ」されているのが 1953年という特定の年であることに、本展の問題意識を看て取ることができる。 この時期は、これまでの視点では、のちに「具体」「反芸術」「もの派」「ポストモダン」と「展開」する日本の戦後現代美術の様々な動向の「前史」として語られることが 多かった。「前史」といえば聞こえはよいが、その実この呼び方は、この時期をいまだ 見るべきものが形をなさない、戦後の混乱を引きずったままの未熟な胎動期としてしか 扱おうとしない態度をはらむものであろう。しかし、実際にはこの時期は、その後の「 展開」のすべてをあらかじめ含みこんでいるかのような性質を持っており、その意味では「胎動」期などというよりはむしろ、「その後」を語る上での先取りされた「結論」のような側面が強い。
  だとしたら、1953年という「何もない」かに見えた年に、反対に「多種多様な可能性」を見出そうとする本展が、様々な視点をはらんだ、それゆえに多少なりとも雑然とした展覧とならざるをえないというのも、あながちわからないことではないし、本展に 見せ場があるとしたら、それはこのような「雑多さ」ゆえの可能性にあるといえよう。

なぜ「1953年」なのか?

実際、本展の対象は非常に多岐にわたる。そして、それぞれが単独でひとつの本格的な 展覧会を構成するに十分な「テーマ」なのである。だとしたら、いかに本展の目的が、 いまでは自明のものとなってしまっている現代美術の「テーマ」が形成される以前の、 その起源における多様性を問おうとしているにせよ、ひとつひとつの部門を見るうちに 、どうしようもなく欲求不満になってしまうことも、正直な印象としては感じざるをえ ない。百歩譲って、それではこれらの「見足りなさ」が、1953年というより大きい テーマにかかわる可能性を浮き彫りにするために犠牲にされた結果としての必要悪であ るのかといえば、そうでもない。展覧を見終わっても、1953年がいかなる年であっ たのかという焦点は、いっこうに定まることがない。当時の雑多さゆえの可能性が、「批評」的なパースペクティヴを与えられないまま、何か投げ出されているような印象を 受けるのである。

社会的次元の不在

ひとつの問題は、いかに留保がつけられるにせよ、1953年を語る上でけっして欠かすことができない次元が、ここでは正面から避けられているということだろう 。カタログにもあるとおり、それはほかでもない1953年に開催された「第一回ニッポン」展に代表される、美術と社会的次元との接合の問題なのだが、もし企画者が「紹介より批評を重んじる作業であれば、バランスを欠く局面は避けられません」というのであれば、「1953年」の可能性を探る上でひとつのメルクマールになるはずのこの展覧会 をなぜ「除外」したのかについての、それこそ「批評的動機」が明示されていなければ ならない。
  本展における「実験工房」の活動の紹介や再演が、1953年といったテーマを離れても充分評価することのできる待望された試みであるだけに、「批評」である以前に、そうした批評の前提となるはずの歴史の「紹介」が、本格的になされるべきだとも思えるのである。

[さわらぎ のい/美術批評]

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[ロンドン]
ポストモダンの都市の現状を
再考する企画展
《ネヴァー・ウォーク・アローン》
(フォトグラファーズ・ギャラリー)

●毛利嘉孝



ロンドンのレスタースクエアにあるフォトグラファーズ・ギャラリーで「都市」をテーマにした展覧会、《ネヴァー・ウォーク・アローン》が開催されている。この展覧会は、ハンス・アースマン、メリー・アルペーン、アジェ、スーキー・ベスト、ドン・ブラウン、ルイ・ルシエールなどさまざまな形で都市を捉えた17人の作家の作品を集めたものだが、面白いのはこの展覧会がこのギャラリーの中に留まらず、タイトルが示唆しているようにロンドンという都市を観客がまた徘徊できるようにガイドブックがつくられ、日によっては簡単なウォーキング・ツアーが組まれて、観客が実際の「都市」を体験きるように趣向を凝らしていることである。 「都市」が近代(モダニズム)の成立と結びついてきたことは、既に多くの識者によ って指摘されてきた。家の外に出て、見知らぬ群衆の中に紛れ込みアーケードを歩き ウィンドウ・ショッピングをしたりカフェでお茶を飲んだりしながら、自分自身を群 衆の中の一人として身を隠し、都市のいろいろな出来事を観察すること、これは近代 以降の都市生活者の特権的な楽しみであり、ベンヤミンはこれを自覚的に行っている 者をフラヌール(遊歩者)と呼んだ。ベンヤミンがそのアイデアの多くを負ったボードレールによれば、こうした活動を自覚的に行う人が「詩人」に他ならないのだが、今では誰もがそういう意味では「詩人」になってしまっている。 とはいえ、本展覧会で提出されているのは、ポストモダン的な状況におけるこうした 「都市」のさらなる変容である。ディレクターのポール・ウォンベルによれば、街中 に設置されたビデオカメラが何よりも都市の性格を変えてしまっている。19世紀の都 市が、写真技術の発展と関わっていたとすれば、現代都市を特徴づけるのはビデオで ある。そこでもたらされているのは、覗き見趣味であり24時間の相互監視システム。 現代人はボードレールのように身を隠して都市を歩くことがますます難しくなってい るのである。本展覧会でも、結局一番インパクトがあるのは「ダーティ・ウィンドウ」と題されたメリー・アラペーンの他人の情事や売春の様子を窓の外から盗み取りしたシリーズ。なぜ、こんな写真が魅力的に見えるのか? 人は覗き見の誘惑と相互監視から逃れることができるのか? もはや人はフラヌールになりえないのか?  展覧会を出てグレート・ニューポート・ストリートを歩くと、そこもまたギャラリーで設置した ビデオによって常に撮影されており、ギャラリーのスクリーン・モニターに自分の姿 が映し出されるアイロニカルな仕掛けがされている。

[もうり よしたか/
カルチュラル・スタディーズ]
mouri@dircon.co.uk

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