Aug. 6, 1996 Aug. 27, 1996

Art Watch Index - Aug. 20, 1996


【《未来都市の考古学》展】………………●塚本由晴

【はかなさとあわれさとこわれやすさと
 ―《倉俣史朗》展の透明な世界】………………●椹木野衣


Art Watch Back Number Index



未来都市の考古学
1996年7月24日〜9月16日
東京都現代美術館
1996年9月25日〜11月4日
ひろしま美術館
1996年11月12日〜12月22日
岐阜県美術館




INA&INFPS事務局

ジョヴァンニ・ムーツィオ他
《INA&INFPS事務局》
CG制作:筑波大学鵜沢研究室

ニュートン記念堂

エティエンヌ=ルイ・ブレ
《ニュートン記念堂》
CG制作:筑波大学鵜沢研究室

重工業省

コンスタンチン ・メーリニコフ
《重工業省》
CG制作:筑波大学鵜沢研究室

カンポ・マルツィオ

ジョヴァンニ・バッティスタ・
ピラネージ
『古代ローマのカンポ・
マルツィオ』第2扉絵
(ハドリアヌス霊廟の鳥瞰図)

1762年
『未来都市の考古学』
カタログより

大ベルリン計画

アルベルト・シュペーア
大ベルリン計画
(南北軸/模型)

1937-38年
《未来都市の考古学》
カタログより






東京都現代美術館
http://www.via.or.jp/~imnet/
mot/index.html

《未来都市の考古学》展

●塚本由晴



未来の都市を考古する

アルベルティ、ピラネージ、ブレ、ルドゥー、デュク、ガルニエ、サンテリア、レオニドフ、メーリニコフ、チェルニホフ、ヒルベルザイマー、ライト、シュペーア、テッラーニ、アーキグラム、スーパースタジオ、ロッシ。この展覧会では彼等によって構想されたが実現されなかった建築や都市のプロジェクトを、版画や模型、CGアニメーションなどによって見ることができる。しかし展覧会のタイトルは「実現されなかった建築、都市」や「理想都市の歴史」ではない。「未来都市の考古学」である。この未来の都市を考古するという、ちょっと不思議で気の効いたタイトルは、展覧会の意図を強烈にアピールしている。

モデルが描かれた未来都市

未来都市というと、21世紀とか100年ぐらい先のこととか、具体的な時間を考えてしまいがちだが、この展覧会ではそのプロジェクトが何年先を睨んだものかは重要ではない。例えば展示の重要な一角を占めるシュペーアの大ベルリン計画は、未来というよりはナチス・ドイツという政治体制による都市空間を定義しようとするものであったし、ピラネージは古代ローマという十数世紀前を純粋に睨んでいた。また未来都市というと、都市全体を計画したものやSF映画を考えがちだが、この展覧会ではロシア構成主義者やテッラーニによる建築単体のプロジェクトも模型やCG アニメーションによって展示されている。さらにボザールのローマ大賞受賞者による古代ローマ遺跡やアクロポリスの復元図も展示されている。
  これがどうして「未来都市」なの? と思うかもしれない。確かにそれは未来都市というよりは理想都市といったほうが正確なのかもしれない。だからこの展覧会における「未来都市」の定義は、「実現されなかった、あるいは実現されかけたモデルとしての理想都市」なのである。問題はこの「モデル」なのだ。ピラネージやボザールが古代ローマを、ナチス・ドイツが古代ギリシアを、革命期の建築家が幾何学を、ロシア構成主義が工業化された社会を、それぞれモデルとして追い求めたように、未来指向やメガロマニアでなくとも、モデルが描かれていれば未来都市たりうるのだ。
  しかしこの展示は、モデルとしての理想都市の時代を遡った紹介という意味では十分でない。さらに展示内容がしぼり込まれたのは、考古学的な想像力と未来都市の想像力のつながりに光を当てるためである。例えばナチス・ドイツにおけるシュペーアの計画やムッソリーニ・イタリアにおけるEURの計画、あるいはエコール・デ・ボザールのローマ大賞受賞者による古代ローマ遺跡の実測調査などは、古代ギリシアや古代ローマを都市のモデルとして発見しようとするものである。古代ギリシアや古代ローマを自分たちのルーツに据えようというのは明らかにイデオロギー的であるが、それを現実のものにしたのは考古学的な想像力ではなかったか。イデオロギーとの関係を相対化することによって、考古学的想像力を救い出すことは、この展覧会のひとつの大きな意図である。ファシズムの都市を取り上げた文脈もそこにある。

圧巻はCGアニメーション

展示の内容は、時代が今日に近づくほどに力強さを失っていくようにも見え、未来都市を描くことを諦めてしまいがちな現代のクリエーター達への苛立ちさえも感じさせる。その中で、展覧会の見せ場でもあるこれらのプロジェクトのCGアニメーションの制作は、断片的な情報の比較検討から全体を描き出していくという意味で一種の考古学であり、考古学的な想像力が未来都市の創造につながるということの現代的な実践のといえる。
  この展覧会は現代における未来都市のヴィジョンを直接示すものではない。しかし「未来都市の考古学」というこの展覧会自体が、展示物の延長にある今日の実践として発見されていくように仕組まれているのである(かっこいい!)。我々はこの実践にいかに接続していくかを逆に問われることになるのである。その入口のは、今、目の前にある現代都市の環境そのものに対する考古学なのかな、と考えている。

[つかもと よしはる/建築家]

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《倉俣史郎》展
会期:
1996年6月29日〜
9月23日
会場:
原美術館





原美術館
http://www.haramuseum.or.jp/

はかなさとあわれさとこわれやすさと
 ―《倉俣史朗》展の透明な世界

●椹木野衣



ジャンルや趣向の差異を無化する倉俣の魅力

倉俣の作品についてあらためて考えさせられる、貴重な展覧会である。
  倉俣といえば、国際的な評価で知られることはもちろん、わが国でもつねに高いに人気を誇ってきた。そのことは、本展の実行委員に、安藤忠雄、磯崎新、篠山紀信、田中一光、三宅一生、横尾忠則といった、ジャンルを超えた面々が名を連ねていることひとつ取っても、あきらかだろう。とりわけ、安藤と磯崎、篠山と荒木(特別出品)が同時に名を連ねているだけでも、そのことは特筆に価する。逆に言えば、倉俣の名のもとに、ジャンルやイデオロギーを超え出た大同団結が果たされているとも、言えるのではないか。
  いま、イデオロギーを超え出たと書いたが、イデオロギーを超え出ること自体が、もうひとつのイデオロギーであることはいうまでもない。だとしたら、わたしたちは、何が彼らの間の諸ジャンルや趣向の差異を無化するほどに強い倉俣の魅力を形成しているのかを、あらためて問うべきなのではないか。

荒木−倉俣の見事なコンビネーション

そのことを考える上でもっとも大きいのは、会場の構成の随所に、すでに記した荒木経惟の作品が使われているということだろう。会場構成をエットーレ・ソットサスが手がけたということなので、荒木の写真を使うという案も、ソットサスによるものなのかもしれないが、いずれにせよ、倉又と荒木という、一聴しては意外と思われても不思議のない組み合わせが、展示空間の中で、これ以上ないほど見事なコンビネーションを見せているのである。
  往々にして倉俣は、とりわけ国内において、ロシア構成主義やモダニズムとの関連においてその国際性/世界性が評価されてきたと記憶しているが、こうして荒木と並べて展示した時、モダニズムをベースにしつつも、そこで個性を形成しているのが、また、場合によっては白痴美といってもさしつかえないほどの透明な世界であることが、あらためてわかってくるのである。
  荒木によって写された日本女性の、理性の片鱗も感じさせない透明な非歴史性と、その証しでもあるかのように白い肌に浮かび上がる、薔薇の花にも似た緊縛の痕跡は、倉俣の、くずきりを使用した和菓子にも似た近代以後の日本に特有の透明なはかなさによって抽象化され、一種の川端的「雪国」を形作っているのではないか。
  詳しく言及する余裕はとてもないが、わたしは、今回の展覧会を支えている美意識は、どこかで、近代以後の日本が必要とした、対外的なナショナリズムに繋がりを有しているように思われる。しかしわたしはこんなことをいうからといって、本展を批判しようとしているのでないことは、急いで付け加えておきたい。原美術館の二階に三部屋にわたって構成された倉俣の世界にめまいにも似た圧倒的な吸引力を感じないものには、それについての抵抗感すら生じることがないだろうから。

[さわらぎ のい/美術批評]

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