18人の中学生達は、誰かに強いられてこのワークショップに参加しているのではなく、自分の意志で集まっていた。展示会場では、それぞれの展覧会プランを練ろうと、「館所蔵世界の近代写真(1)/写真の誕生から現代まで」を真剣に観ている。講義室では、ポラロイドやデジタルカメラなどさまざまなカメラを用いて自分たちで写真を撮ったり、美術館側で用意した写真にかかわる参考図書等を読んだりしている。
写真とは、彼らにとっていったい何なのだろう。とにかく、彼らがどんな切り口から写真にぶつかろうとしているのか、興味深かった。所蔵品目録に載っているが、会場には展示されていないものを出品したいと選んだ子がいた。ワークショップ参加者のどんな要求にも可能な限り応えると言った河本氏は、収蔵庫からその作品を出してきてくれた。意気盛んな中学生たちは、テーマに自分の興味のあるものとして、競争馬、AIR MAX by NIKEなど、とても常識の範囲では考えられないようなものをあげていた。あるいは、自分で創った物語に即して展示していくプランなど、それぞれの個性を十分に出していた。キュレーションする立場より、作品を創る立場に興味をもった一人の女生徒は、自分で撮った写真を展示した(そのなかには、何を隠そう『原さん、無意識の行動』と題された熊のように動く私を追った連続写真まで出品されていた)。
テキストも自分たちで書いた。だれの言葉を借りたのでもない瑞々しさに好感がもてた。曖昧な表現をしてはいけないと諭されて、書き直しをする姿は、一つの物事を完成させようというプロセスでは当然のことながら、熱いものを感じた。河本氏は、ここでやろうとしているのは「思考のトレーニング」だと言っていた。それは言葉をかえれば「生き抜くためのトレーニング」でもあると。14歳の18人の中学生たち、ワークショップの対象はここに据えられた。まるでやってはいけないことのように、相手の殻を破って入り込んでみることすらしない今どきの悲惨なディスコミュニケーション。みんな遠巻きに相手の出方をじっとながめている。そんな姿は子どもたちだけに言えることではない。殻を自分で破らせることが出来れば、どんどん世界を広げていける、と椿氏は語ってくれた。
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