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美術教育を考える-2

美術館の普及活動と美術教育(世田谷美術館)
――高橋直裕インタヴュー
村田 真

高橋直裕は世田谷美術館学芸員。同館の学芸部は、展覧会を担当する美術課と、講座・イベント・広報などを担当する普及課に分かれているが、高橋氏は講座(楽しさ発見クラス)を担当する普及課に勤務している。最近「美術館教育」が注目されているなか、美術館の普及活動における教育プログラムの位置づけや、学校の美術教育の問題点などについて話を聞いた。

――高橋さんの仕事を具体的に教えてください。

高橋:俗にナマモノといってますけど、講座です。世田谷美術館の場合「楽しさ発見クラス」という名前でやってます。最初、ワークショップという言葉を使ってたんですが、どうも内容まで限定されてしまいがちなんで……。講師に該当する人はいるんですけど、その人にずっと話をしてもらうというようなレクチャー方式ではなく、参加メンバーのひとりとしてリードしてもらうという感じでやってます。

――大人のクラスと子供のクラスがあるんですね。

高橋:はい。でも子供といっても幼児はやってないんです。ある程度、自分で判断して自分で行動できるくらいの主体性がないと……。こちらで手取り足取りしないで、自分で自発的にやってもらうことが前提になってますから、どんなに若くても小学校1年生以上、そこから先はもうお亡くなりになるまで(笑)。

――大人と子供のクラスではどう違うんですか?

高橋:大人のクラスは美術館の外で活動することが多いですね。美術作品なんかぜんぜん関係なく、町の建築とか自然とか、自分たちの生活環境をフィールドにして、日常の中で美術的なもの、美術的な発想をどう自分たちの生活に役立てていくか、そういうことを考えてやってます。普段見慣れたありきたりの日常が、より想像的な発想を加えることによってどう変化を遂げていくかを考える、それが大人のクラスです。
 子供の場合は、とにかく美術館に親しんでもらおうということで、教育的配慮はあえてしません。教育的な臭いを嗅ぎとると子供は離れていきますからね。だから遊びでいい、とにかく美術館で遊ぶということをテーマに、オリエンテーリング形式で1日で完結することをやってます。まだ日本の美術館の歴史は浅いですから、特に近代美術館は50年あるかないかのもんですから、美術館の存在自体がまだ特殊で、地域社会に溶け込んでいない。だから子供の頃から美術館というものが自分の生活環境の中にあって、そこが自分たちの発想でいかようにも使えるんだと感じてもらえるようになればいいんです。

大人のクラス
バックトゥーネイチャー
子供のクラス
ミュージアム・オリエンテーリング

――美術館教育とかエデュケーショナル・プログラムとか話題になってますけど、その一環と考えていいわけですか?

高橋:んーとね。最近、誤解がすごく多いような気がするんです。美術教育的なプログラムというのは結局、手段でしかないんですよ。でもそれが今、目的になってしまっている。それは違うんです。私のやってる普及活動というのは美術教育ではないんです。美術館教育でもない。あくまで普及活動なんです。
 では普及活動とはなにかといいますと、地方公立美術館の場合、開館する時に、地域文化の振興とか文化意識を高めるためとか、必ずお題目を掲げるじゃないですか。でも実態はどうかというと、それに近づく努力をぜんぜんしてないんですよ。もう展覧会をやるだけで精一杯なんですけど、それだけじゃいけないんで、ちょっとした講演会を開くとかアトリエを設けて創作してもらうとか、お茶を濁している。やっぱり最初に掲げた目標に向けて美術館も経営努力しなくちゃいけないのに、目標と現実にはこーんなに開きがあるんです。そのギャップを埋めるのが普及活動だと思うんです。
それは、展覧会や美術作品の話だけでは埋まりませんから、美術館そのものがどれだけ社会の役に立っているのか、どういう意味を持って美術館は存在しているのか、ということを市民にわかってもらわなくちゃいけない。社会的な働きが美術館に求められているのであれば、どういったものを社会に提供しなければならないかを考えなくちゃいけない。そういうことをお留守にして手法だけに走ってしまうのは、やっぱり違うんじゃないかな。だから、そういうギャップを埋めるための普及活動のひとつとして、美術教育的なものもありますけど、それはあくまで手段のひとつであって、決してそれがイコール普及活動にはならないんですよ。
学芸員というのは教育者じゃないと私は思うんです。サービスを行なうサービスマンみたいなもんです。だから、美術館を通してどれだけサービスを市民に還元できるか、そういう発想が大切だと思うんですけど、全般的にそういう発想がなさすぎるような気がするんです。もちろん研究者としての学芸員も必要ですが、それだけじゃなくて美術館にはサービスに徹してやらなきゃならない仕事もあると思うし、その部分がものすごく必要なんですよね。

子供のクラス
ゲンキニ・エンゲキ
大人のクラス
建築意匠學入門

――学芸員の中には先鋭的な展覧会ばかりやりたがる人もいるわけで、そうするとますますギャップが広がっていきかねないですね。

高橋:うん、そう思います。

――だとすれば、彼(女)らの尻ぬぐいをしてるような(笑)、そういう意識もありますか?

高橋:うん、ただね、ぼくが割り切って考えているのは、たとえ先端的な美術展をやったとしても、展覧会というのは一過性のものです。私が話した作業というのは美術館がある限り続く仕事ですから、それに比べりゃ一過性のものなんて大して重要な意味を持たない(笑)っていっちゃなんだけど……。そういうギャップを埋める作業を進めることによって、美術館そのものの存在意義がはっきり社会に認識されてくれば、そこで行なう展覧会の質も当然変化せざるをえない。だから、かたや先端的な現代美術をやって市民にわかりづらいということがあっても、それはハシカみたいなもんでね(笑)。

――話は違いますけど、今の学校の美術教育をどう思います?

高橋:それはぼくがいえる立場じゃないんだけど、今、学校で時短が進んでいて、受験科目に関係しない美術とか音楽とか、いわゆる情操教育科目が削られていく方向にありますよね。でも、ぼくはやっぱり芸術科目は絶対必要だと思うし、特に図工とか美術は残すべきです。もうひとつは、少なくとも美術とか音楽に関しては、文部省の指導要領の介入をできるだけ緩和するというか、ゼロに近づけて、あとは教師の裁量でできるようにすれば、もっと自由な発想で楽しいものになると思う。今の学校の先生を見てると、いろんな規制にがんじがらめになって、すごくかわいそう。先生があれだけ締め付けられているんだから、自由な発想なんて出てこないし、楽しさも伝えられないですよね。
美術館がいくらあっても子供が行く機会は限られているけど、学校というのは毎日行くわけですから、そこで美術に触れるチャンスを絶対に奪ってはならないと思うんです。そのためにはもっと有効に機能する授業にしていかなければ……。現状だと逆に美術嫌いの子供をつくってしまってる部分もありますし。やっぱり技術的に器用な子がいい点数を取るし、不器用な子は悪い点数になってしまう。大切なのは心だといいながら、心の問題というのは採点評価にならないじゃないですか。そういう矛盾というのはありますね。

美術教育を考える……村田 真
美術と教育を巡って――中村政人インタヴュー
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