――学芸員の中には先鋭的な展覧会ばかりやりたがる人もいるわけで、そうするとますますギャップが広がっていきかねないですね。
高橋:うん、そう思います。
――だとすれば、彼(女)らの尻ぬぐいをしてるような(笑)、そういう意識もありますか?
高橋:うん、ただね、ぼくが割り切って考えているのは、たとえ先端的な美術展をやったとしても、展覧会というのは一過性のものです。私が話した作業というのは美術館がある限り続く仕事ですから、それに比べりゃ一過性のものなんて大して重要な意味を持たない(笑)っていっちゃなんだけど……。そういうギャップを埋める作業を進めることによって、美術館そのものの存在意義がはっきり社会に認識されてくれば、そこで行なう展覧会の質も当然変化せざるをえない。だから、かたや先端的な現代美術をやって市民にわかりづらいということがあっても、それはハシカみたいなもんでね(笑)。
――話は違いますけど、今の学校の美術教育をどう思います?
高橋:それはぼくがいえる立場じゃないんだけど、今、学校で時短が進んでいて、受験科目に関係しない美術とか音楽とか、いわゆる情操教育科目が削られていく方向にありますよね。でも、ぼくはやっぱり芸術科目は絶対必要だと思うし、特に図工とか美術は残すべきです。もうひとつは、少なくとも美術とか音楽に関しては、文部省の指導要領の介入をできるだけ緩和するというか、ゼロに近づけて、あとは教師の裁量でできるようにすれば、もっと自由な発想で楽しいものになると思う。今の学校の先生を見てると、いろんな規制にがんじがらめになって、すごくかわいそう。先生があれだけ締め付けられているんだから、自由な発想なんて出てこないし、楽しさも伝えられないですよね。
美術館がいくらあっても子供が行く機会は限られているけど、学校というのは毎日行くわけですから、そこで美術に触れるチャンスを絶対に奪ってはならないと思うんです。そのためにはもっと有効に機能する授業にしていかなければ……。現状だと逆に美術嫌いの子供をつくってしまってる部分もありますし。やっぱり技術的に器用な子がいい点数を取るし、不器用な子は悪い点数になってしまう。大切なのは心だといいながら、心の問題というのは採点評価にならないじゃないですか。そういう矛盾というのはありますね。
美術教育を考える……村田 真
美術と教育を巡って――中村政人インタヴュー
レッツ・トーク・アバウト・アートセンター――CCA北九州
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