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『エイリアン4』
――エイリアン、あるいは反復する永遠の悪夢
五十嵐太郎

おぞましい目覚めとともに、またもや悪夢は始まった。前作で自殺による永遠の眠りについたはずのリプリーは、200年後、残された血液のDNAからクローン人間として復活してしまう。が、そもそもエイリアンとは、『ドグラマグラ』のように、目覚めと眠りのあいだに見る白昼夢を反復する物語ではなかったか。1作目はノストロモ号のハイパー・スリープ・カプセルから起きることで始まり、脱出用シャトルで睡眠を開始するところで終わる。2作目はその57年後、眠りながら宇宙空間を漂流しているところを救出され、壮絶な対決の後、再び非常用脱出救命艇で睡眠に入って終わる。3作目はその船の不時着によって彼女が目覚めたことで始まり、自らの体内に寄生したエイリアンが誕生する瞬間に溶鉱炉へ飛び込み、死を選ぶことで終わる。かつてシガーニー・ウィーバーは「彼女が4、5……と続いて出たら滑稽でしょ」と語り、3作目ではリプリーが死ぬことを要求したが、それは許されなかった。今回の4作目でクローン人間として覚醒するからだ。全編を通じて、実に250年以上もリプリーは夢を見続けている。

エイリアンのシリーズは閉所恐怖症的な夢と眠りのイメージにあふれている。舞台は宇宙船や前線のコロニー、または囚人惑星であり、いつも外界から閉じている。睡眠用のカプセルはその象徴といえるかもしれない。2作目の冒頭、リプリーは1作目の出来事がすべて彼女の妄想だったとして狂人扱いされるし、衝撃的な体験はトラウマとなって毎晩悪夢にうなされることになる。少女ニュートは眠ると恐い夢をみると言い、エイリアンと戦う海兵隊はその現実が「悪夢」だと繰り返していうだろう。理解不能な絶対他者=恐怖の対象であるエイリアンは、よく知られているようにギーガーのデザインしたものだが、シュルレアリスムを連想させる彼の作風からいって、おそらく恐ろしい夢の形象として描かれている。ゆえに、それが恐ろしいのは単純に外部的なものだからではない。夢が生むものであり、われわれの内部にあるかもしれないという恐ろしさなのだ。これはエイリアンが本人も自覚のないまま体内に寄生し、胸を破ってあらわれることでも可視化されている。これは見知らぬものが内部に潜む、フロイトの「不気味なもの(ウンハイムリッヒ)」の存在を想起させるだろう。あるいはB.クリードがクリステヴァの「おぞましきもの」を参照しながら指摘したように、エイリアンは怪物的な母親であり、拒絶しつつ魅惑する両義的な存在といえるかもしれない。

エイリアン4








The Internet Movie Database
Alien: Resurrection

http://us.imdb.com/M/title-substring?
title=ALIEN+RESURRECTION&tv=off


ALIEN RESURRECTION
http://www.alien4.com/index2.html
夢こそが欲望の現実界であるというジジェクにならっていえば、逆説的にリプリーは悪夢のなかでエイリアンに出会い、一体化することを望んでいたのである。実はリプリーに11歳の娘がいたものの、57年間の漂流中に年老いて亡くなっていたという重要なエピソードが2作目の劇場版ではカットされているが、これは後の物語の重要な動機づけとなるはずだ。なぜ孤児となった少女をあれほどかわいがったのか(彼女はリプリーをママと呼んだ)。なぜエイリアンのクイーンと対決しなければならなかったのか(R.ロバーツはリプリーに「育ての親」、エイリアンに「生みの親」の象徴を読みとった)。3作目で代理の娘、ニュートも失ったリプリーが皮肉にもエイリアンの母親になってしまうこと。4作目の復活の際、リプリーはエイリアンと遺伝子が混交し、前者は後者に女性の生殖能力をあたえ、ハイブリッドな新生物が誕生すること。瞬間的ではあるが、リプリーはこの自分にも似たエイリアンの子供を愛しいとさえ思うだろう。これらは、すべてリプリーが娘を失ったことへの代償行為にほかならない。
 エイリアンにおける女性の表象は興味深いテーマである(1作目の当初の脚本は男性が主人公だった)。ロス・ジェニングスは「欲望と構想――脱がされるリプリー」で、ステレオタイプな女性像が解体される経緯を3つの作品の分析から追求していたが、4作目にいたってはリプリーはエイリアンの遺伝子を引き受け、もはや普通の人間ではなくなってしまう。しかもクローン人間であり、劇中でリプリーは他のグロテスクな可能性(エイリアンと融合してしまったもうひとつの自己)を偶然に目撃する。にもかかわらず、本作が新人類になると同時に自己のアイデンティティすら危機に陥ったリプリーの「わたしは誰?」という切実な問いを充分に描かなかったことは残念である。『新世紀エヴァンゲリオン』の綾波レイと同様の問題構制を引き受けているのだから。

『デリカテッセン』で知られるジャン・ピエール・ジュネが、『エイリアン4』を監督したことで本作には期待していた。だが、予想以上にハリウッドナイズされていて、デザイン的にも過去の作品を越えるものがなかったことには少なからず不満を覚えた。確かにマッドサイエンティストの描写、奇形への偏愛、水中の戦闘シーンなど、彼特有の素晴らしい映像はある。復活のアイデアもいい。しかし、1作目の緊張感、2作目の爽快感、3作目の荘厳さのどれにも少しずつ及ばないのだ。そして何よりもリプリーが眠らない4作目の終わりが個人的には納得しがたい(これでは5作目は地球で一家に一匹ペット化したエイリアンのお話になってしまう)。

Art Watch Apr. 29, 1997
いかにエヴァンゲリオン・スタイルは
生成したか――『新世紀エヴァンゲリオン
劇場版/シト新生』……●五十嵐太郎





The Internet Movie Database
Delicatessen

http://us.imdb.com/M/title-exact?
Delicatessen%20(1991)


The Internet Movie Database
Jean-Pierre Jeunet

http://us.imdb.com/Name?Jeunet,
+Jean-Pierre





『エイリアン4』
1998年4月25日 東宝洋画系でロードショー公開
会場/問い合わせ
渋東シネタワー  Tel. 03-5489-4210
新宿プラザ劇場 Tel. 03-3200-9141
池袋シネマサンシャイン Tel. 03-3982-6101

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